物事には実態も本質もない(無我・無自性)。
あるのはただ、
状態である。


その人が前向きに生きているか
後ろ向きに生きているかの
状態である。


物事には全て意味がある。


意味を見出せずにいる状態を仏法では仮諦といい仮の姿と捉える。
意味を見出した状態を空諦といい真実の姿と捉える。
迷い(煩悩)と悟り(菩提)の関係である。


しかし、

自身の真実の姿を悟りえる人間など実はこの世には存在しない。
だから人は生きている以上、絶えず悩みや苦しみが付きまとう。


 真実の姿とまでいかないにしても、自身の人生に何かしらの意味を見出して生きている人達は、如何なる苦難に直面しようとも精神力でそれを乗り越えていけるものである。自身の人生とは何なのか? それを真剣に考え追求しぬいてきた人ほど、より大きな意義を自身の人生に見出すものでもあろう。


ようするに、


人は生きている以上、
悩みや苦しみが絶えず付きまとう(仮諦)が、
真実の自身の姿(空諦)を追求し
それに近づくよう努力していく
その姿勢を仏法では中諦という。


 仏法ではこの中諦を重んじるが故に中道主義とも言われる。理想を見据えながら現実を変えていく、決して偏りのない姿勢


それがB.O.C.(バランス・オブ・チェンジ)。


才能とは、

不幸の裏返しで身に付くものであろう。


不幸な人生を前向きに展開しえた者にのみ
与えられる特権でもあろう。


B.O.C.


不幸な人生を歩んで来た人達は、
その苦しみの分だけ
幸福になる資質を身に着けている。


しかし、残念な事に
そういった人達の多くが
その不幸の意味を
深く掘り下げて展開できないが為に
不幸な人生のまま終えている。


B.O.C.

 サイモン&ガーファンクルが解散後、レコーディングでのみ再結成し、それぞれのソロ・アルバムに収録された曲で、「マイ・リトル・タウン」という曲がある。ピアノの使い方がかっこ良くて大好きなその1曲は、歌詞もとても魅力的。

 うる覚えだがその詩の内容は、


 「僕が育った汚い小さな街は」と、故郷の街を主人公が語りだす。
 「工場からでる煙で薄汚れた空気」を表現する事で街の汚さを訴え、
 「学校帰りにママが洗濯してた」という表現で如何に小さな街であるかという事を伝え、
 「そんな薄汚れた小さな街で見る虹は真っ黒に見えた」と、
 夢も希望も持てなかった主人公の幼い日の心情を巧みに表現していた。


 7色の虹が真っ黒に見えるという表現力の豊かさ、さすがサイモンですね。そして最後に、その汚い小さな街に帰ってきた主人公が見た虹は、「7色に輝いていた」じゃなかったかな? この部分はうる覚えですけど。「やっぱり黒かった」だったかな? どっちにしても、サイモンが言わんとした事は、

 「イマジネーションの力」だと思う。


イマジネーションをどう活用するかが大事だよって彼はいってるのさ。


 チューニング・ショップを辞めた後、知人のおじさんが病院の基準寝具関係の会社をやっていて、うちに来ないかと誘ってくれまして、そこで8年近く病院まわりをしていた。ハイエースで高速走って久留米や、大牟田、柳川や、北九州、行橋、豊前へと、各病院へ新品のリネンを収めたり、古いリネンを引き取ってきたりするのが日常業務で、夏場は2トンのロングを転がして、病院の布団を一斉に引き上げ、それをドライ工場に持って行ったりもしてました。


 それ以外にも病院のカーテン工事とか床の張替えとかの工事もやっていたのですが、夏真っ最中のある日、町内のソフトボール大会とカーテン工事の日程が重なって、体育部長なんてやってた私は午前中、ソフトボール大会に出場してそこで頂いたお弁当を車に積んで、昼から病院に駆けつけて、先輩と一緒にカーテン工事に取りかかった。


 夕方頃、工事が終わってやっとメシに有り付けると車に積んでいたお弁当をかっ食らった。お腹が好いてたので何一つ残さず完食した。家に帰ると町内会長さんから電話が入り、大事な相談があるというのでお伺いすると夜10頃まで話し込んでいた。その時、ふと体の異変に気づきそそくさと帰宅した。


 家に帰るとトイレに駆け込み激しい嘔吐と下痢に見まわれ、そのあまりの激しさに驚いた家内が、私を車に乗せて病院に運び込んだ。病院でも一晩中、激しい嘔吐と下痢が繰り返し襲ってきて、


 まじ死ぬかと思った。


 その日緊急入院する嵌めになった私にあくる日、病院の先生が検査結果を語ってくれた。


「これは間違いなく食中毒ですね。何か腐ったもの食べませんでしたか?」


と。



 私は小学生の時、お風呂に水中めがねをかけて潜るのが好きで、見慣れない水中の光景が何故か刺激的だった。


 ある時私は思った。お風呂に電球を入れて潜ったらもっと感動を味わえるのではないか? と。


 しかし、ちょっと待て・・・


 水は電気を通すって学校の理科の時間に習ったぞ。
 私は、もしもの事を考えてまず、洗面器にお湯をくみ、そこに裸電球を入れて右手を突っ込んでみた。


 すると、


 100ボルトの電流が肩まで走り、

 電流に完全に腕を押さえ込まれて
 手を抜くにもなかなか抜けなかった。
 神経が電流で麻痺して腕が動かなかったのであろう。


 マジ、死ぬかと思った・・・


 試しておいて良かったです。


※ 良い子は決して真似しないように。

 コーナーでの勝負はそのコーナーに飛び込む時点で既に勝負が決まっている。


 シューマッハの走りは、前を走る車に対して仕掛けるポイントを決めると、その一瞬に対してアプローチを掛ける。そのポイントがしびあであればある程、周を重ねて慎重にアプローチしていく。


 セナは、そのポイントに対して無謀と思える程、強引に勝負を挑む。その激しいインパクトは多くの人々の心を揺さぶった。激しすぎるインパクトは、シューマッハのそれと比較にならない程、大きなリスクを背負い猛烈な死への恐怖が絶えずドライバーにのし掛かる。


 私は、セナの衝撃的な走りがどうやって生み出されるのか、生み出す本人の気持ちを痛いほど理解していただけに心の中でいつも彼に叫んでいた。


もっと楽しんで走るんだ

苦しいだろ

辛いだろ

そんな走りは


 セナがどれだけの苦しみを背負って皆に感動をふりそそいだか、その心情を深く理解出来る私だけに、誰よりも強くセナに呼びかける。


安らかにおやすみ


と。

 集中モードに入りやすい深夜に作業する事が多い私は、数年前、いつものように、テレビをつけたまま自分の世界にのめり込んで作業をしていた。


 そういう時は、深夜テレビの音も断片的にしか脳ミソがキャッチしない。


 その断片的に入ってくる情報からどうやら車のアニメがあってるのは気づいていたが、だからといって、テレビの画面に目を向ける程、私の集中力は甘くない。


 3週か4週に渡って、おや?またやってるなこのアニメと相変わらず音だけ断片的に拾ってた。お腹が好いたので、ラーメンでも食べようと鍋をコンロに掛けて、お湯が沸騰するのをテレビの画面を見ながら待っていた。


「ちょ! ちょ! ちょ! ちょ~と待て!」

「そんな事なら最初からちゃんと見せてくれ!」


 深夜放映されていたそのアニメは、言うまでもないアニメ「頭文字D」であった。



D-Arthur構想 パート4 2005.2.7


リロード機構&ランチャー弾装填方式


<ヒンジ位置の変更>


 当初の構想ではシリンダーをバレルごと前方にずらしてセンターピンの逃げを行って上に跳ね上げるという方法だった。が、それでは、バレルがスライド出来るようにクリアランスを持たせる必要性が出てくる。ガタが出ないでスライド出来る程度のクリアランスであっても発射性能、すなわち着弾性に大きく影響してくるもので出来るならバレルは固定にしておきたい。そこでセンターピンの逃げはノーマル同様にラッチを使いセンターピンが抜けたら上方向に跳ね上がるという上方向のみの動きにしようと思う。


 シリンダーが固定されていればセンターピンのみのロックで十分なのだが、Bisonブレイク・カスタムはペガサス機構の利点をフルに活用したシリンダー交換式(BB弾&ガスタンク交換)な為、シリンダー本体は、はめ込みのみで固定はされない。その為センターピンのみのロックだとシリンダーのはめ込み部分のガタが影響してシリンダーが空回りを起こしてしまう(シリンダーのねじれ現象)。それを防ぐ為にBisonブレイク・カスタムではセンターピン以外に軸部分のフレームへのロックを設けている。今回のキックアップ方式にしても同様に軸固定用のロックをフレームに設ける為、キックアップはノーマル・ラッチ(センターピン・ロック)&キックアップ・ラッチ(軸ロック)の2点ロックとなる。Bisonブレイク・カスタムがノーマルの性能を損なう事無くフレーム・オープンしてシリンダー交換が出来るのもこの2点ロック、すなわちシリンダーの前(軸)と後ろ(センターピン)とでしっかりと固定出来ているからである。


 上方向のみの動きとなると当初のキックアップのスイング軸のピン位置ではキックアップの角度がきつ過ぎてシリンダー後部がフレーム(シリンダー後部のガード部分の名称なんだったっけ・・・)に当たって逃げ切らないであろう。それを考慮して下図のような位置にキックアップのヒンジ位置(キックアップの軸)を変更する事になる。


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<シリンダーのキックアップ>

 これでキックアップの角度が滑らかになりキックアップした時の姿もこちらの方がカッコいい。(シリンダーはスプリングの張力で跳ね上げる。)その姿は今までに見たことの無いリボルバーの構図で、何かしら銃以外の物体にすら見えてくる。(車輪を付けるとかっこ良く走り出しそうだ)ブレイク時のフレームへの負担が従来のブレイク機構に比べて如何に少ないかがこの構図を見ても十分に伺えるだろう。その余力を残したフレームゆえ次の図にあるランチャー機構が余裕で組み込める。


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<キックアップ・シリンダー機構>



<ランチャー・オープン>

 この姿も銃というよりも、スペースシャトルが何かを母体に格納しようとしている姿にも見えてくる。下に開いたフォア部?によりアンダーバレル先端にセットされたランチャー弾を後方に抜き取る事が出来る。ファア部に付いている四角いボタンはランチャー発射ボタンで開閉用のレバーは下位置に設けようと思っている。

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<ランチャー機構>



<ブレイク・モデルに於ける最強のボディー>

 キックアップの採用によりこの様にオープン・シリンダーとランチャー・オープンの両立が可能となり、その機構を実現する為にマテバ流バレル下段発射機構も一役買っているという訳だ。下の図を見て解る様にどちらをオープンしてもフレーム&バレルの中心軸はしっかりと残っている。故にフレーム両サイドにレーザーやフラッシュ・ライトなどのアイテムを同時に取り付けたとしても強度的に十分に耐えうる構造となる。


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アーサー構想 パート3 2005.2.6


デザイン設計2(ランチャー専用アンダーバレル)


 前回のデザイン設計はアンダー・バレルを交換することなくランチャーを装着出来る設計でデザインを仕上げてみたが、結果としてランチャー取り付け位置が下がってしまいトップヘビー感が強く出てしまった。今回は当初の構想通り、ランチャー装着用のアンダーバレルに付け替える設計でデザインを考えてみよう。まずは標準のArthurだがこちらはフレームサイド部をフィンタイプに変更してみた。

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 次がアンダー・バレルを交換してのランチャーを装着したD仕様だ。ランチャー専用アンダー・バレルだけに前回よりもよりバレルに近い位置でランチャーをセットする事が出来、違和感を感じる事無くなくランチャーが装着出来ている様に思う。フォアブリップ後部(フレーム先端部)を軸にしてフォア前部が下に開きランチャー弾を交換出来る設計で考えている。流石に10.5インチともなるとホルスターに収める訳にはいかないだろうからスリングを付けられるように考えている。スリングをダラリとたらして片手で銃を突きつけるってポーズが決まりそうだ。


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 サイドに装着するレールも後ろに長くしてモジュールのセット位置を後方にずらしトップウエイトを軽減させている。

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 ツートン・カラーにするとよりスマート感がアップして私的にはこちらの方が好みである。

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 フォアグリップを外した場合

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