物事には実態も本質もない(無我・無自性)。
あるのはただ、
状態である。


その人が前向きに生きているか
後ろ向きに生きているかの
状態である。


物事には全て意味がある。


意味を見出せずにいる状態を仏法では仮諦といい仮の姿と捉える。
意味を見出した状態を空諦といい真実の姿と捉える。
迷い(煩悩)と悟り(菩提)の関係である。


しかし、

自身の真実の姿を悟りえる人間など実はこの世には存在しない。
だから人は生きている以上、絶えず悩みや苦しみが付きまとう。


 真実の姿とまでいかないにしても、自身の人生に何かしらの意味を見出して生きている人達は、如何なる苦難に直面しようとも精神力でそれを乗り越えていけるものである。自身の人生とは何なのか? それを真剣に考え追求しぬいてきた人ほど、より大きな意義を自身の人生に見出すものでもあろう。


ようするに、


人は生きている以上、
悩みや苦しみが絶えず付きまとう(仮諦)が、
真実の自身の姿(空諦)を追求し
それに近づくよう努力していく
その姿勢を仏法では中諦という。


 仏法ではこの中諦を重んじるが故に中道主義とも言われる。理想を見据えながら現実を変えていく、決して偏りのない姿勢


それがB.O.C.(バランス・オブ・チェンジ)。