近くて遠い中国語
阿辻 哲次
近くて遠い中国語―日本人のカンちがい
「漢字」に関する新書を何冊も出している著者だが、実は大学で講義を持っているのは現代中国語の方だと言う。先年、亡くなられた白川静氏みたいに、「漢文」と「中国語」を切り離す系統もある様だが、この著者が現代中国語の方にも軸足を置いていたとは意外。この新書はあくまでも「中国語」の話なので、「カンちがい」の定番である「手紙」とか、「愛人」なんかも取り上げているのだが、「愛人」って今でも使うのかいな。そんな初学者向けの体裁は一応とっているものの、ピンインに簡体字とかの詳しい説明があるので、知識ゼロだとちょっと辛いかもしれない。教科書っぽい後半よりも、面白かったのは前半の著者の中国語学習の道であって、日本における70年代の中国語世界の状況がよく伝わってくる。テキストが「革命輸出」であったことはよく知られているのだが、中国語学習者も、また「毛沢東思想」の生き残りが跋扈していた時代であったとか。私が中国語なるものを初めて勉強した80年代後半で、中国語学習も大衆化が進んだ頃だが、それでもNHKのテキストに「同志」とかバンバン出てきたのを覚えている。こうした「中国語り」は、「竹のカーテン」までとはいかなくても、「中国」も「中国語」も「中国人」も巷に溢れていなかった時代を知る者に特徴的なものなのであるが、それが時代の趨勢とはいえ、こうナンデモありのアナーキーな「中国世界」が日本に出現してしまうと、あの頃の純情無垢な中国を懐かしく感じるのも無理は無いだろう。著者が中国を初めて訪れたのは1977年とのことだが、例え学生であっても、「外賓」(懐かしい)待遇であった筈だ。多かれ少なかれ中国訪問者全員が持っていただろう当時の微妙な「贖罪意識」と、「外賓」としての優越感のギャップが「友好人士」形成に役立った訳であるが、やはり、「反日」でも「反中」でも「人間」的付き合いができる現在の方が自然であることは間違いない。
★★
韓国・北朝鮮の嘘を見破る
鄭 大均, 古田 博司
韓国・北朝鮮の嘘を見破る―近現代史の争点30
「諸君」の名物特集、「ああ言われたら、こう言い返せ」の新書化だけど、十九本を再録し、十一本の書き下ろしを加えたという豪華版。元々「諸君」なので結論は、ハッキリしているのだけど、北に関しては反論するのもバカバカしい(島田洋一は、ほんとにそんな感じ)といったところなのか、そのほとんどが韓国関係。メンバーも御馴染みのところが揃っているのだけど、私の好きな小倉や水野といった名前が見られないのは、出版社の選択か、本人の都合か。その辺に関係しているのかどうか分からぬが、韓国に対する批判は妥当だとしても、それが日本(の右派)に正当性を与えるものではないという点において、ひっかかりがあったのかもしれない。結局、韓国人執筆者はゼロ(鄭、浅川は帰化済み)ということになったが、ニューカマー帰化組にして、文春知識人の呉善花も登場していない。それ以外は豪華で神谷不二なんて懐かしい名前もあるし、黒田に豊田の二大巨頭、倉田真由美まで出てきて冬ソナ批判をしていたりする。原田環の「京城」とか面白いものも多いのだが、相手がこっちを単純化しているから、こっちも相手を単純化しろといいった論理のものも多々。ケンカの作法としては、それが正しいのかもしれないし、執筆人が忌み嫌う「朝日系」「自虐系」「偽善系」といった人たちよりは、はるかにマシなのも事実だが、「あった歴史より、あるべき歴史」という魔物に対処するには変化球も必要ではないかという気もする。古田博司のいう「知りすぎた不幸」は逆説的には「無知の幸福」なのだが、「知れば知るほど嫌いになる国」という「嫌韓流」のキャッチフレーズを出すまでもなく、韓国そのものというより、「日本人は歴史を知らないから正さなくてはならない」とする韓国人の姿勢に対する反感なのではないかという感じがする。
★★
日本とフランス 二つの民主主義
薬師院 仁志
日本とフランス 二つの民主主義
たしかに日本人が金科玉条の如く唱えてきた「自由」や「民主主義」というものが、実際の生活に反映されているかと言うと、難しいところではある。左翼が「自由」を訴えるというのが噴飯ものであることもよく分かる。ただし、反体制や「国家」を絶対悪とみなすことが、「自由」や「民主主義」だと誤解されてきた結果、「市民社会」は教条的な意味で用いられる様になり、「健全なる市民」が思考停止に追い込まれてしまったことは悲劇であろう。最近の「格差社会」議論をみても、「平等」を求める声は相変わらず教条主義の罠に吸収されてしまっている。著者もフランス式の「平等」至上主義に基づいた「連帯」主義に賛同している訳ではなさそうだが、正直言って、「連帯」に息苦しさを感じる人たちも多いのではないかという気もする。全共闘世代でも、当時、実際に運動に参加した人たちは、同世代の5%くらいという説もあるが、「連帯」自体が一種の娯楽であった側面もあるのではなかろうか。私も何度か欧州、その他でストに遭遇しているが、人々がそれを支持しているというより、「非日常」としてのストライキを愉しんでいる感じもした。かつては日本でもそれは年中行事であったのだが、「支持率」至上主義の社会においては、労組も「乗客」を敵に廻す事ができなくなったことは、左派が消費税撤廃とか、公務員削減を訴える怪と同じ事情である。「平等」が絵に描いた餅に過ぎないのは、ほとんどの人が日々の生活で実感していることだと思うが、この総レジャーランド化した世界では娯楽としての「運動」(と言うと赤旗まつりみたいだが)も起こすのは難しくなってきている。
★★★