巷談 中国近代英傑列伝
陳 舜臣
巷談 中国近代英傑列伝
陳舜臣の本というと、ここではあまり取り上げないメジャー系の作家の本ということになるが、新書ということで、例によって電車読書。私もこの人は司馬遼太郎とか井上靖の系譜に連なる「中国ウン千年」系の作家と思っていたのだが、冒頭でそうした日本人の古代、「三国志」偏重中国史観を批判し、自分は近代系と断わっている。ということで、出てくる「英傑」は林則除から始まり、李鴻章、康有為、孫文、魯迅、袁世凱などなど、近世の大物がずらり、総勢15人にも達するのだが、一人一人の伝記が何巻にもなりそうな評伝を200ページ程度の新書ですらりと、まとめあげてしまうのも、職人芸的なものを感じる。おまけに脳内出血で倒れた後の自分の容態も報告し、右手の自由が利かないので今は「両手書き」なのだとか、今や新書の常識(それを告白した養老氏の功績だが)である口述筆記を否定しているのも、あまりにもその文体がサラリとし過ぎていることを本人も自覚しているからだろうか。真相は分からぬが、あれだけ著作の蓄積がある人なのだから、こんな「列伝」くらいお茶の子サイサイだろう。その点、異色なのは最終章に、突然228事件の話を持ってきていること。全く本題と関係ないだけに、何かメッセージ性を感じないでもないが、事件当時、上海にいた台湾人が苦悩し、陳儀の「鎮圧軍」が台湾に向かったことを、必死に台北、更には東京に伝えようとしていたことが書かれている。この本と同時期に出た本に、陳舜臣の弟が当時、上海に留学中であったことが書かれていたが、まさか、その「弁明」なのだろうか。もちろん、こちらには「弟」については何も書かれていない。
★★
中国10億人の日本映画熱愛史
劉 文兵
中国10億人の日本映画熱愛史—高倉健、山口百恵からキムタク、アニメまで
タイトルを見たときから、この本は「当たり」だろうなという予感がしたのだが、実際は予想をを上回る出来だった。著者は「日本」との出会いが映画という世代だが、長じて日本で映画研究者の道を歩むことになったのも、同時代で体験した「衝撃」を客観的に振り返ることができるそうしたバックグラウンドがあったからであろう。「先進国」としての日本が「侵略国」としての日本イメージを上回っていた最初で最後の云わば、幸せな「日本発見」をした世代と言えるのだろうが、それは文革で疲弊した後の文化砂漠にポッカリと咲いた仇花の様なものだったかもしれない。一応、「解放前」の日本映画や「開放後」の「日劇」まで押さえてはいるのだが、やはり中心となるのは、中野良子であり、高倉健であり、山口百恵である。子供であったという著者の熱中ぶりはあとがきに書かれているのだが、こうした原体験を持つ中国人の「日本観」とパンダや「シルクロード」の原体験を持つ日本人の「中国観」は、たしかにある種共通項があるのかもしれない。日本でほとんど名前を聞くこともなくなった中野良子が、現在、中国一色の芸能活動をしている(らしい)ことや、古希を過ぎた高倉健が主演男優として張芸謀に呼ばれたのも、中国の「日本世代」が社会の中心になり、「懐古市場」が成立していることの表れだろう。著者の研究の出発点もそうしたところにあるのだろうが、研究者としての分析は私情に流されている訳ではない。『君よ憤怒の河を渉れ』のヌードシーンや、林立果の『連合艦隊』とかは、私も気になっていたことなので、これで納得した。『おしん』の受動分析も秀逸なものがあるし、黒澤明が知られているのは整髪料のコマーシャルの影響というのは初めて知った。なかなか読み応えがある一書であった。
★★★★
紐育 ニューヨーク!
鈴木 ひとみ
紐育 ニューヨーク!―歴史と今を歩く
NYと東京を往復する「ジャーナリスト」という著者なのだが、これはよくある街歩き本。イマドキの若い人たちにとってNYってどういう位置づけになるのかは分からないのだが、私の時代にはNYが一応、最高峰ということになっていたので、そこで何をするかではなくNYに住むということに意義を見出していた若人が大勢いた。その群れに私もちょっと参加してみたりはしたのだが、元々、NYに何の思い入れもなかったので、仕事が切れたら南下してしまった。結局、この本の出てくる様な「スポット」はどこにも行かなかったのだが、この本によるとタイムズスクエア周辺も浄化されて安心して歩くける場所になったらしい。後に留学生から聞いて初めて知ったのだが、どうも私が住んでいた所は危険な場所だったらしいのだが、そんな実感は全くなかった。タイムズスクウェアを夜中に歩いて帰宅することも多かったのだが、さすがニューヨークは夜中でも人通りがあるので安全だ。などと思っていた。実際にNY在住の人が、観光目線のこういう本を書くのも難しいとは思うのjだが、ニューヨーカー風に仕上げるのも仕事の内だろう。しかし、私がニューヨーカーになり損ねたのも、NYでアメリカとの接点が欠落していたからだろう(著者は紐育っ子と結婚したのだとか)。今、記憶を辿っても、接点の会った人間は皆、ヒスパニックとか中華系である。これではいかんと、無料の英語学校などにも行ってみたのだが、生徒は当然としても先生もドミニカンであった。それはそれで面白かったのではあるが、東京にも東京人と接点なく暮らしている人が大勢いるんだろうなと、日本有数のエスニックエリアと化した、生まれ育った街を歩くと、ふと思ったりもする。
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