英国王室の女性学

渡辺 みどり
英国王室の女性学 (朝日新書 78)
帽子がトレードマークの皇室ジャーナリストといえば、この著者だが、女子大の客員教授も務めているそうで、このテーマもその辺の絡みなのかもしれない。どうも世に皇室マニアはゴマンといれども、男性か女性かによって、その意味合いが大分異なることが多く、男は所謂「右翼系」、女は「ミーハー系」とイメージしてしまうのは私の偏見だろうか。あのダイアナ・フィーバーの時も、どうしてよその国の皇太子と離婚した女になどに、そこまで感情移入できるものかと不思議に思ったものだが、これも反王室の立場なのか、親王室の立場だったのかよく分からない。ならば雅子さんも応援して然るべきかと思うが、雅子さんに同情を寄せるのは、日本の「男性社会」を批判するのが使命だと思っている欧米の「日本通」くらいなもので、日本人女性からは、あまり共感の声が聞かれないのも、「皇室タブー」の魔力なのだろうか。もっともそれが、国民との距離が近いヨーロッパの王室と、そうではない日本の皇室の違いであるとは散々言われていることである。この新書も、そうした側面を前面に出したもので、ダイアナからキャサリン・バーまで時代を遡る形に、英国王室における女性史を「女性」側から描いていて、いわば「恋愛史」である。こうした物語が、日本の皇室で成立するのは、せいぜい「テニスコートの恋」ぐらいなもんなのだろうが、女性の皇室マニアは、やはり、そういう物語を求めているものなのだろうか。女系天皇の論争がすっかり途絶えてしまったのも、日本の皇室の女性学が「産む機械」の論証になるみたいで、ちょっとイヤな感じだが。
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お節介なアメリカ

ノーム・チョムスキー, 大塚 まい
お節介なアメリカ (ちくま新書 676)
この人もサイードと並んで、アメリカ国内よりも海外で知名度が高い人なのだが、その逸話が最初と最後に書いてあるので、それは本人も了承しているところの様だ。中でも日本には熱心なチョム・ファンがいて、サイードにしてもそうだが、なぜに日本人がアメリカ「知識人」の記録映画などを作らなくてはならないのか、向こうの「リベラル派」も不思議に思っているのではなかろうか。どうもこの「アメリカの良心」的な単純な見方には疑問を感じるのだが、おそらく、それが中国や韓国から「日本の良心」と言われている胡散臭い人たちと被るところがあるからだろうか。アメリカのリベラルの人たちは、愛国心を基本に自国も批判すれば、他国の人権問題にも黙っていないというのが主流かと思うが、どうも他国から「良心派」と言われるには、その他国の論理に追従しなくてはならない様で、それが「知識人」の責任だと信じているならば、これほど自国民をバカにしたものはないだろう。そこには「知識人」が「非知識人」を指導しなくてはならないという驕りがあるのだが、「知識人」は所詮、自称「知識人」にしか通用しない論理である。この時代においては、「知識階級」なるものは幻想にしか過ぎないのだが、そうした「反体制」は外国にとっては都合が良いイデオローグに仕立て上げることができる。そんなこんなで、ニューヨーク・タイムズで配信されながら、国内では活字にならなかったコラムを2002年分から放出しているのだが、ニューズ関係は鮮度が命なので、チョムスキーのファンでもなんでもない私は惰性で読むより外なかった。しかし、この人の「北東アジア」認識と日本の「進歩派」が主張する「東アジア共同の家」は似て非なるものではないのか。どうでも良いけど、ナチス並みの全体主義を築こうとしているチャべスに適当に利用されて何とも思わんのかね。それが独裁だろうとなんだろうと、反米なら許すということなのかも知らんけど。
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