日本語の源流を求めて

大野 晋
日本語の源流を求めて (岩波新書 新赤版 1091)
著者については言うまでもないが、1919年生まれで、今年88歳になったという。その中身が以前の著作からのものと重なるとはいえ、この年で新書書き下ろしはすごい。日野原先生みたいな人もいるが、1910年代生まれで健在という著者の本というのも、最近では読んだ記憶がない。もちろん、その「日本語タミル語起源説」は健在で、延々とその根拠を並べてこられると、何か永遠なる男のロマンというものも感じる。タミル語起源説が学術的に、影響力を有していないことは、素人目にも明らかなのだが、かといってトンデモ扱いにまでは至っていないのも、国語の大家として著者が築いてきた名声と、タミル語という特殊原語の理由が大きいのだろう。この点は、怪しげな韓国人「学者」が次々と出してくる「日本語の起源は韓国語」本と大きく異なる点でもある。著者はタミル語は朝鮮語にも影響を与えたという説を展開していて、それなら日本語と韓国語に共通点があっても合点がいくのだが、この辺は、「日本に文化を伝えてあげた」ということを証明するために、都合よく、日本語を解釈してきた「韓国人学者」にとっては看過できないものであろう。ポリネシア+アイヌ→タミル→高句麗語→ 漢字(呉、漢、唐音)→ヨーロッパ語という日本語形成において影響を受けた諸語の変遷について、最後にまとめてあるのだが、ポリネシア人はモンゴルから海を渡ってきたなんて説もあるし、そうなると日本人騎馬民族説とも繋がるところである。もっとも、モンゴル語と日本語は全く繋がらないらしい(お相撲さんとかみてるとそうでもなさそうだが)から、言語で歴史を解き明かすのも限界というものがあるだろう。結局、現在のどの国家も、どの民族も、人為的に作られた「想像の共同体」である以上、その起源を単一の民族に求めるのはナンセンスではないかという気もしてくる。その意味では、人間が話す言葉というものに、どこか似通った部分があるのは必然的なことだろう。しかし、レプチャならともかく、タミルというのは結構インパクトがあるな。
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留学で人生を棒に振る日本人

栄 陽子
留学で人生を棒に振る日本人―“英語コンプレックス”が生み出す悲劇 (扶桑社新書 8)
この人の名前は昔から、新聞広告などでよく目にしていたのだが、「留学コンサルタント」の草分けみたいな人らしい。創業35年というから大したものなのだが、誰でも留学に行ける時代になると同時に、この業界も誰でも参入する時代になったことで、その「伝統」と「信頼」で差別化する一環としての出版っぽい感じ。留学手続きそのものより、コンサルティング業務に重点を置いているという著者の事務所も、決してして少なくない金額を請求するのだろうが、業界に蔓延る「斡旋屋」の商法を糾弾し、米国大学間の格差を明らかにすることで、「失敗しない業者選び」を訴える。留学の場合、ビザという関門があるから業者任せになってしまうところがあるのだろうが、そもそもハーバードとか一流大学に進もうという意志をもった人たちが、こういう業者をどれだけ利用するのかという点から疑問。業者を使うということは金銭面や、情報収集力、語学力、海外経験の有無といったものが関係してくると思うのだが、著者のところの様な「名門」は知らんが、普通はデモシカ留学組が大勢ではなかろうか。「自分探し」や「思い出作り」には、コミュニティ・カレッジも、日本人アパートも、ワーホリも悪くないのではないかとも思う。MBAとって外資系とかいう絵に描いたモチより、コミュニティ・カレッジでスペイン語に目覚め、南下してウシュアイアまで来てしまったとかいう方が現実的な話だし、ロッキー青木も、ショー小杉も、ノビー落合も、そのバイタリティは「学外」で身につけたものだろう。中国人とか韓国人、インド人の話をしても、その目的意識が最初から違うので話にならない。日本人に生まれた幸せを噛み締めて、「アメリカを見てやろう」というのでもイイんじゃないかな。留学で人生を棒に振るなんて悲壮感を持った日本人「留学生」はそんなにいないでしょうに。
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物語 タイの歴史

柿崎 一郎
物語タイの歴史―微笑みの国の真実 (中公新書 1913)
中公新書の名物シリーズ「物語の歴史」のタイ編だが、物語というより、通史といった感じ。もっとも、その辺はタイの帰国子女であるという著者が一番気にしていたことらしく、執筆依頼から、その内容の吟味に関しては、あとがきに詳しく綴られている。著者としても、幾つか出ている通史の二番煎じは避けたかった様だが、大学の授業でタイ史を担当していることもあり、タイの小学校で教える歴史の様な形に落ち着いたらしい。たしかに、下手に「物語」に拘ると「山田長政」とか、「王様と私」みたいに、史実よりドラマを強調した陳腐なものになってしまう恐れもあるので、シンプルな歴史ものの方がスンナリ入っていける。このシリーズでは珍しく電車一気読みできた。もちろん、山田長政も、「王様と私」も、史実からの解説がちゃんとあるし、タイ派の間では有名な『メナムの残照』もとりあげている。とはいえ、天下の中公新書であるから、タイの小学校で教えている歴史よりは高度だろうし、知識ゼロの大学生を相手するレジュメより濃密ではあろう。ナショナル・ヒストリーの部分はタイの小学校と齟齬を生じているはずだし、王室に関しても然りのはずである。個人的には中国系タイ人の同化の完成が比較的最近のことであったことが勉強になったのだが、それが王様を中心とした国民国家形成圧力によるものという点では、「皇民化」の系譜である。その意味で、「タイ」から「シャム」への国称変更運動という動きがあるということは興味深いのだが、これも「単一民族の神話」と関係した話であるらしい。もっとも、いくら大タイ主義を批判したところで、「シャム」が「中華民族」みたいに、他民族への支配を正当化と平等偽装の為に用いられる様になってしまったら、元も子もなかろう。やっぱりタイはタイでいいんじゃないかな。ブランド力もあると思うし。
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