新書野郎 -149ページ目

マックス・ヴェーバーの哀しみ 




羽入 辰郎
マックス・ヴェーバーの哀しみ―一生を母親に貪り喰われた男 (PHP新書 490)

著者は『マックス・ヴェーバーの犯罪』という本を出して、マックス・ヴェーバーを断罪した人らしい。マックス・ヴェーバーといえば、日本の「知識人」が崇める丸山眞男とか大塚久雄が崇める人なのだから、正に神をも恐れぬことをやってのけた訳だが、ヴェーバー研究者からは、かなり攻撃をくらったらしい。あとがきには、その相手の名前を出して挑戦的なことも書いたりしていて、何か鬼気迫るものを感じる。ただ、当然ながらヴェーバーの「倫理」などについて私が深く知ってるわけも無く、どのような断罪が行われたのかはよく分からんのだが、今回はその「著作」ではなく、マックス・ヴェーバーの「人間性」そのものに有罪判決を下そうというのだから、この著者も相当なタマである。まあ、そのお陰で私のような「非知識人」も楽しく読めるのだけど、著者は元々ソーシャル・ワーカーをしていた人らしく、その方法論から「知の巨頭」が抱えていた精神的疾患を暴いていく。母親に対する屈折した感情というものはたしかにあったのだろうが、その材料を妻の日記に依拠していたり、著者が現代日本で経験してきたケースに当てはめていくのもどうかとは思う。もっとも、歴史に名を残す知識人は、純粋に残した書物だけで評価されるべきなのだろうかという疑問はたしかにある。その「知識」が学問の習得によって得られるものであれば、「書物」だけあればよいのであって、「知識人」などという存在は必要ではない。マックス・ヴェーバーは全く講義ができない人だったらしいので、「教師」としても失格者だったのだろう。「マックス・ヴェーバーは」とか分かったように言っても、それは「マックス・ヴェーバーが書いた本」の話であって、「マックス・ウェーバー」その人のことではない。研究者はその「著作」だけではなく、対象の内面まで入って解剖しつくすのが、究極の研究なのではないかと思った。
★★★

若者を喰い物にし続ける社会




立木 信
若者を喰い物にし続ける社会 (新書y (175))

威勢はいいが、天木直人なんか持ち上げてるのはイタイ。

老いてゆくアジア




大泉 啓一郎
老いてゆくアジア―繁栄の構図が変わるとき (中公新書 1914)

まあ、今さらジタバタしたってしょうがないよね。
★★

知ってるつもりの中国語 




上野惠司
知ってるつもりの中国語 「同じ漢字」が誤解のモト (アスキー新書 31)
著者は1981年から長年にわたってNHKラジオ中国語講座を担当していたというから、私も聞いたことがあるのかもしれん(名前は記憶にない)。現在は日本中国語検定協会理事とのことだが、これはHKSじゃない国産の方か。そんな中国語教育の大御所だが、大学を卒業してから中国語の勉強を始めたのだという。それでも四十数年前とのことだが、やはり「新中国」に憧れたクチなのだろうか。おそらく、長年「毛沢東語録」とかをテキストにしていた筈だが、元NHK講師として、そうした「党派語学」とは縁を切ったらしく、お約束の話から入る。「本日大売出」とか、「湯」とか、「手紙」とか、「麻雀」とか。相原先生もほとんど同じエピソードを書いている。しかし、失敗したり、勘ちがいしたりするのは、知人とか、教え子とか、大学の留学生とかいうことになっているけど、こんなに都合よく、自分の周りの人間が間違えてくれるはずもなく、もはや、これは中国語噺の「つかみ」みたいなもんなのだろう。ただ、さすがに「手紙」だけは、もはや「一般常識」なので、最近は中国語を知らない人にも知られているとか照れ隠し。「麻雀」もそれに近いので、「麻雀」と呼ぶ地域があると断りを入れている。しかし、北方出身の中国人などはそのことを全く知らない人も多く、未だに中国語のテキストに得意げに書いてあったりもする。そんな感じでジャブをかましてから、レベルアップしていくのだが、「我孫子」のエピソードは仕込みっぽい。面白くてイイと、我孫子に住んでいる中国人なら知ってるが。ただ、「女士」と「女史」の違いとか、「湯たんぽ」、「ロートル」といった中国語起源の言葉などは参考になる。「ノーテンファイラー」という言葉はなんか聞いたことがあったが、これも「アタマコンクリ」に通じるものがある。しかし、「ヶ」が「個」の略字起源だとは知らなかった。前々から、あの2つの字は似てるなと思ってはいたのだが、「一個、二個」を「いっけ、にけ」と言ったりもするので、元々、「ケ」という数え方か、発音か、訛りがあって、「ヶ」は「ケ」なのだとばかり思ってた。当然、簡体字公布以前から入ってる字句なので、昔から大陸で使われている略字が入ったらしいのだが、これは定説なんだろうか。
★★

死体は悩む




上野 正彦
死体は悩む―多発する猟奇殺人事件の真実 (角川oneテーマ21 C 137)

この分野を独占してる人だから、まあ説得力はある。韓国に関してはヨイショだろうが。
★★

プロ交渉人




諸星 裕
プロ交渉人―世界は「交渉」で動く (集英社新書 419B) (集英社新書 419B)

偉そうな態度の人間は嫌いだと言いながら、偉そうなテメーの自慢話ばかり。

裁判官の爆笑お言葉集




長嶺 超輝
裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書 な 3-1)

これはイイね。
★★★

新しい神の国 




古田 博司
新しい神の国 (ちくま新書 684)

ホント最近は「何が教授をそうさせたか」といった感じだが、『東アジア「反日」トライアングル』以降、そうした声に対しての著者なりのオトシマエみたいな本。ハワイのサバティカルの話から始まるのだが、アメリカ(ハワイだけど)にも決別宣言してしまって、それこそ「右翼論客」への道を宣言してしまった様なもの。それにしても、ここまで言うかというくらい、中韓(特亜ではなく別亜だそうだ)、米へのダメ出し。もうお願いだから好きなこと言わせてといった感じの叫びには何か痛切なものも感じる。著者が逃げ込む安住の地は「新しい神の国」ニッポンなのだが、たしかに著者が生きる「思想空間」の世界では、訳分からん一神教と、その派生系であるマルクス主義や、情け容赦ない残酷な中華思想と、その派生系である小中華に支配され、奴隷になることを強要され、凶用されてきたということなのかもしれない。自分たちの国を「神州」とか呼んでる連中が、他国の「神の国」発言を非難するというのも変な話だが、それに追従する人たちは、「神州」など、せいぜいミソ屋ぐらいしか知らないんだろう。まあ、国内のバカ左翼に呆れ笑うのは結構なのだが、ホントに授業もこんな感じでやっているのだろうか。怒った留学生たちに詰め寄られた話は出来すぎの様な気もする。黒田とかもそうなんだろうが、とにかく思ったことを、相手のことなど気にせずに正直に言ってしまうというのも、韓国に影響されたものの様に感じる。小倉みたいに「儒教」を担保したりもしないので、韓国人と付き合っていると「右傾化」してしまうのも自然の摂理なのだろう。その意味ではマッサラな状態で「韓流」とか「統一協会」とかにでも洗脳されない限り、日本人が韓国人の思うような「親韓」になることは無理というものなのだが、その穴を埋めていた「贖罪」と「左翼」の虚構が更なる「嫌韓」を生むという悪循環に、そろそろ連中も気が付くべきなのではないかな(その辺、中国はさすがに気が付いてる様だけどけど)。しかし、中韓帰りからどんどん「ナショナリスト」が生まれてくる現状はどうなんだろう。米国帰りも、あちらで中韓学生からネオナチ呼ばわりされて、愛国者となって帰国したという元ノンポリを知っているが、「アメリカに留学したものは親米になる(実際は親米国籍なのだが)が、日本に留学した者は反米になる」なんて呑気なことを言ってるうち、しっぺ返しをくらってしまって元も子もないだろう。それも結局、日本と中韓はお互いを必要としているということの証左ではあるのだが。
★★

キュウリのトゲはなぜ消えたのか




藤田 智
キュウリのトゲはなぜ消えたのか―サプライズな「野菜学」 (学研新書 18)

つまらんギャグを言って自分で大爆笑とは。

戦略を持たない日本