お節介なアメリカ  | 新書野郎

お節介なアメリカ 




ノーム・チョムスキー, 大塚 まい
お節介なアメリカ (ちくま新書 676)

この人もサイードと並んで、アメリカ国内よりも海外で知名度が高い人なのだが、その逸話が最初と最後に書いてあるので、それは本人も了承しているところの様だ。中でも日本には熱心なチョム・ファンがいて、サイードにしてもそうだが、なぜに日本人がアメリカ「知識人」の記録映画などを作らなくてはならないのか、向こうの「リベラル派」も不思議に思っているのではなかろうか。どうもこの「アメリカの良心」的な単純な見方には疑問を感じるのだが、おそらく、それが中国や韓国から「日本の良心」と言われている胡散臭い人たちと被るところがあるからだろうか。アメリカのリベラルの人たちは、愛国心を基本に自国も批判すれば、他国の人権問題にも黙っていないというのが主流かと思うが、どうも他国から「良心派」と言われるには、その他国の論理に追従しなくてはならない様で、それが「知識人」の責任だと信じているならば、これほど自国民をバカにしたものはないだろう。そこには「知識人」が「非知識人」を指導しなくてはならないという驕りがあるのだが、「知識人」は所詮、自称「知識人」にしか通用しない論理である。この時代においては、「知識階級」なるものは幻想にしか過ぎないのだが、そうした「反体制」は外国にとっては都合が良いイデオローグに仕立て上げることができる。そんなこんなで、ニューヨーク・タイムズで配信されながら、国内では活字にならなかったコラムを2002年分から放出しているのだが、ニューズ関係は鮮度が命なので、チョムスキーのファンでもなんでもない私は惰性で読むより外なかった。しかし、この人の「北東アジア」認識と日本の「進歩派」が主張する「東アジア共同の家」は似て非なるものではないのか。どうでも良いけど、ナチス並みの全体主義を築こうとしているチャべスに適当に利用されて何とも思わんのかね。それが独裁だろうとなんだろうと、反米なら許すということなのかも知らんけど。