新書野郎 -137ページ目

時計じかけのハリウッド映画 

時計じかけのハリウッド映画―脚本に隠された黄金法則を探る (角川SSC新書 30)時計じかけのハリウッド映画―脚本に隠された黄金法則を探る (角川SSC新書 30)
芦刈 いづみ 飯富 崇生

角川・エス・エス・コミュニケーションズ 2008-02
売り上げランキング : 66930

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


この角川SSC新書ってのは、角川がこれといった大ヒットも特徴もないOneテーマを見限って作った新書かと思っていたのだが、角川SSCというのは、元々セゾン傘下のを買収した別会社だったらしい。エコノミークラス症候群の高原とか、団塊女子のかおる子さん(これは結構面白かった)に書かせるなど、 Oneテーマより企画力はありそう。その「企画力」繋がりというのは強引だけど、これはアメリカの映画学校の同級生(たぶん)の二人が、ハリウッド映画の脚本システムを解説したもの。この世界が非常にシステマチックで、法則に則った生産工場の如く脚本が作り出されていることは、よく知られている事実なのではあるが、その設計図を知れば、映画鑑賞は10倍楽しくなるかどうかは疑問。この世界も類まれに見る買い手市場だから、その世界を目指す者は「授業」が必要なのであろうが、「現場」にしても、「学校」にしても、「苦学」した人のホンが面白いと思ったことはあまりない。予定調和の美学というものもあるんだろうが、ハリウッドにしてみても、オリジナリティを重視しているらしい国で、ここまでシステム化されているのも、その「システム」自体が一つの産業として確立されているからではないかとも思う。デビッド・リンチの「フォーマット崩し」がピカソ同様、そのフォーマットを知り尽くした者の作戦であることは否定しないが、となると、やはり「文法」を無視して新しい芸術を創造することは不可能なのだろうか。

笑う中国人 

笑う中国人―毒入り中国ジョーク集 (文春新書 616)笑う中国人―毒入り中国ジョーク集 (文春新書 616)
相原 茂

文藝春秋 2008-01
売り上げランキング : 13487

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


文春は本体で、ジョーク屋早坂の中国編もやったみたいだが、そちらの出来が悪かったのか、バッティングを避けたのか相原先生の起用と相成った。なんでも、「手紙」とか、「娘さんをください」を中国で言ったら大変だなんてことを文春の編集者に話したら、大ウケして、是非それを書いてくださいということになったそうだ。さすがに、それでは気恥ずかしくなったそうだが、当然に誰でも知ってることかと思いきや、意外に一般社会で知られていないそうで、その意味が分かる日本人は全体の二割くらいではないかとしている。その割合にどんな根拠があるのか知らんが、そんなもんなのかな。そこで新書の売れ筋であるジョーク集の中国語版も、著者にお鉢がまわってきたのだが、文春らしいのは、最初に「反日ジョーク集」を持ってきたことぐらいか。まあ、その「反日」も含めて、私の様なクソマジメな人間には笑える様なものは一つとしてなかったのだけど、どうもいかんなと思うのは、著者がジョークという手段で世間を哄笑し、風刺する中国人を高尚な人たちだと思っていること。それに対して、2ちゃんねるとかで、「中国人は出て行け」とか罵倒しかできない日本人は未熟なのだという。著者はこのジョーク集のネタは中国のインターネットからせっせと拾い集めてきたそうだが、百度でもなんでも、中国の「2ちゃん」は見ていないのかな。「日本人は出て行け」なんてカワイイもんは少なく、「小日本を殺せ」とかが主流でしょうが。あちらの罵詈雑言の過激さは2ちゃんなんかの比じゃなかろう。たしかに、「息子はスノボ、おれメタボ」みたいな自虐ネタばっかりの日本の川柳とかと比べれば、中国のそれに「批判」の視点があるんだろうけど、「他者」をコケにして、精神的優越に浸るような文化が高尚だとはとても思えん。小池百合子が毒ギョーザでなんか言って問題になったみたいだけど、大陸国家では許される民族ネタも、我々島国の人間にはちょっとねえ。

問題は、躁なんです

問題は、躁なんです   正常と異常のあいだ (光文社新書)問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ (光文社新書)
春日 武彦

光文社 2008-02-15
売り上げランキング : 579

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


読んでてビョーキになりそうだった。
★★

よみがえる緑のシルクロード 

よみがえる緑のシルクロード (岩波ジュニア新書)よみがえる緑のシルクロード (岩波ジュニア新書)
佐藤 洋一郎

岩波書店 2006-05
売り上げランキング : 256682

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「新シル」でも目玉だった小河墓遺跡。これは地球研の先生が書いたジュニア向け解説だが、なんでも、NHKの番組制作責任者が地球研の「DNA考古学」勉強会に出席したことから、著者は現地への同行が叶ったらしい。番組の内容はすっかり忘れてしまったのだが、どうも出土した種子を発芽させる計画があった様で、検査器具やら何やら一切をウルムチまで持ち込んだらしい。著者は現地のものは現地で実験するのが筋としているのだが、おそらくは、「種子」を持ち帰ると面倒な「国際問題」が起こる可能性が高いのでNHKが待ったをかけたのだろう。中国側のフロントは新疆文物考古研究所長といウイグル人だったことも思い出したが、これも何だかわざとらしい。例の聖火チョモランマ登頂でも、チベット人隊員を漢人と組ますらしいが、チベット人が漢人と頂に五星紅旗を立てる光景は想像するだけでオゾマシイ。まあ、そんなことは理系の研究者にとっては、野暮な話である訳で、研究の為には悪魔とでも手を組まないと、科学の発展はないというもの。著者の様な農学者は、DNAを採取して、その年代を測定し、歴史を探る訳だが、中国の様な「文書」の国では、書かれた「歴史」との整合性も焦点となるらしい。南京の万人骨は出てくるが、それより遥かに膨大な数になる筈の大躍進や文革期の万人骨が出てくるのはまだ先か。
★★

日本は世界で第何位?

日本は世界で第何位? (新潮新書 240)/岡崎 大五

¥735
Amazon.co.jp

何かムカつくんだよな。

ネットカフェ難民

四字熟語ひとくち話




岩波書店辞典編集部
四字熟語ひとくち話

やけに軽いな。

大地と人を撮る 




高野 潤
大地と人を撮る カラー版―アンデスを歩きつづけて (岩波ジュニア新書 584)

先日、読んだアマゾンものの片割れ(たぶん)がコレ。岩波ジュニアのカラー版で出ているけど、アマゾン編が採用されなかったのは、分量の問題か。全裸写真か。それで、副題が「アンデスを歩きつづけて」になっているのだが、35年間、毎年ペルーやボリビアに通ってるというのもエライもんだ。それも見事にアンデスとアマゾンだけで、都会の話が出てくるのは初アンデスの1973年のラパスだけ。毎年、リマやラパスは経由しているんだろうが、この人の本に登場するのは常に「秘境」である。日本でも自然をテーマに撮っているそうだが、当初からアンデスを生涯歩き続けたいという希望があった様で、その為に写真家になったのだという。文化人類学とか考古学の学者さんなんかもアンデスの山奥を歩いてらっしゃるけど、さすがに生涯歩き続けている訳ではない。生涯歩き続けるには、世捨て人になる以外は、写真家になるのが早道なのかもしれない。たしかにカメラマンを名乗るバックパッカーなんてのも多いが、「ナンチャッテ」にならなかったのは、著者の悲壮な決意の賜物なのだろう。バイトして、デジカメ買って、ひとっとびし、ブログにアップすれば、誰でもアンデス写真家になれる時代は、進化したと言えばそうなのだが、何か味気ないものではある。団塊の世代があとどれだけ歩き続けられるのか分からないが、死に場所はアンデスとアマゾンのどっちが良いのだろうか。
★★

ラジオの戦争責任




坂本 慎一
ラジオの戦争責任 (PHP新書 508)

PHPの研究員か。別にいいけど。
★★

ゲルニカ



宮下 誠
ゲルニカ ピカソが描いた不安と予感 (光文社新書)

戸川純の「ゲルニカ」ならいざ知らず、本家の「ゲルニカ」の解説本は山とあるのだろう。そのアプローチの方法も時代背景から、美術的評価、ピカソの個人的側面からなど、その筋では語りつくされているのかもしれない。その辺を掻い摘んで教えてくれる新書は私の様なトーシロには貴重なのだが、これは意外と眠くならなかった。著者は美術史の先生らしいのだが、「画像解釈学」という学問があるとは知らなかった。「画像」というと、デジタルなものを想像してしまうのだが、別にイケナイものを蒐集している訳ではなく、絵の解釈をする学問なのだろう。美術評論自体が「画像解釈」みたいなものなのだろうが、「ゲルニカ」の様に高度にデフォルメされると、「美術的」な評価を超えて、「芸術的」評価の領域に入るのだろう。「芸術」の定義というのは様々なのだけど、何かよく分からないが、観る者を圧倒する力を言うらしい。その力の源は「画像」そのものではなく、その作品の奥底にある意識が発するもので、その意識を探るのが「画像解釈学」で良いのかな。ただ、観る者を圧倒するだけなら、大きい作品を描けばよいらしい。鑑賞者を包み込む様な大きな作品が、何やら強い力を放っていることは、たしかにある。しかし、それが芸術の本質ではないのだろう。とはいえ、求められるのは「オリジナリティ」ではない。芸術の魔の力というものは、作り手と受け手の感受性がマッチした時に放たれるものではないだろうか。自分も「ゲルニカ」を確かに観た。観たが、岡本太郎が感じた衝撃すら推し量ることができなかった。魔の力で「ゲルニカ」と対話できないなら、「画像解釈学」の手を借りて、「ピカソ」と対話を試みるしか、この20世紀最大の傑作を理解する術はないのだろう。
★★