祇園・天王(津島)信仰/怨霊疫病退散 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

祇園信仰は京都市の八坂神社、天王あるいは津島信仰は愛知県津島市の津島神社が総本社で主祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)です。

須佐之男命は両社で仏教系の牛頭天王(ごずてんのう)と同一視されました。

 

牛頭天王

 

牛頭天王は頭の上の牛頭が特徴で、顔はほとんどが霊力の高さを表す憤怒相。

 

 

釈迦の説法所である祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神。疫病を鎮める神。熱病に効く栴檀(せんだん)の産地である牛頭山の神でもある。この為、疫病祓いの須佐之男命と結びついた訳です。

祇園祭は夏の京都の疫病退散の御霊会。

祇園祭の山鉾

 

 

 

武塔天神

また『備後国風土記』にあるとされる蘇民将来の説話に武塔天神(むとうてんじん)として牛頭天王・須佐之男命が同一視されています。

蘇民将来の説話は、茅の輪くぐりに関連しているので、その季節になるとよく聞きますね。

 

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祇園・天王(津島)信仰の広がり

津島神社の創建の方が古墳時代の540年、八坂神社の創建が飛鳥時代の656年

 

平安初期に京の都で疫病が流行し多くの人々が亡くなりました。

当時は今のように医学も発達していませんでしたから、

「これは無念の思いで死んだ者、怨霊の祟(たた)りだ」と人々に恐れられ、

その怨霊を退散させる為、須佐之男命を祀り始めたとされます。

 

また神仏習合によって須佐之男命は早くから牛頭天王と同一視されており、

八坂神社(神仏分離前は祇園社、又は感神院)に牛頭天王が勧請されていました。

八坂神社は強い疫病祓いの神徳がある産土神として朝廷からも深く崇敬されるようになりました。

 

八坂神社は全国に影響を及ぼす比叡山の傘下にあったほか、平安時代の相次ぐ疫病の流行により、中世までには各地で牛頭天王=須佐之男命を疫病祓いの神として崇敬することが広まったといいます。特に西日本中心に広まりました。

 

津島神社も八坂神社と同様に牛頭天王=須佐之男命を祀り、平安時代には神職の御師が、信仰を説いて回った事から、東海地方を中心に広まって、戦国時代には織田氏の崇敬を受け、江戸時代には伊勢神宮へのお伊勢参りとセットで津島神社へのお参りが定着しました。

 

同じ神様を祀っていても関わり薄い氷川信仰

祇園信仰は、神仏分離後は、須佐之男命を祀る信仰になりました。

そういう訳で、現代の埼玉県の氷川神社でも同じ須佐之男命を祀っていますが、祇園・天王(津島)信仰との関わりは薄いのです。