今日は6月晦日で、多くの神社では夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)の神事が行われた事と存じます。
夏越の祓の唱え歌
茅の輪をくぐる時、∞を描くように、茅の輪の真ん中に立って、最初は左回りして真ん中に戻り、次に右回りして真ん中戻りするのを3回繰り返すことが多く、
それと和歌を唱える習わしも伝承されていて
水無月の 夏越の祓する人は
ちとせ(千歳)の命 のぶといふなり
この歌は室町時代の一条兼良の『公事根源』に見えるとか。
で、その著者は続けて
然(しか)るに法性寺関白記には 思うふことみなつきねとて
あさの葉をきりにきりてもはらえつる哉
此のうたを詠ずべしとみえたり。
…と書いてあるそうです。
『法性寺(はっしょうじ)関白記』は平安時代後期の藤原忠道の日記であるから、この唱え歌は12世紀から続いていた事が分かるとか。
この前、夏越ごはんのCMソング動画を当ブログでもアップしましたが、約千年の昔の平安時代から
「夏越の祓えすると長生きできるってよ」的な和歌を詠んで誘い、国の安寧、除災招福の為に清め祓をしてきたんですね。
元祖 夏越の祓えキャンペーンソング?
蘇民将来の話に方位を司る神
それから茅の輪についての蘇民将来の説話が、
実は明治の改暦に至るまで日本で用いられてきた暦であるインド暦法、つまり宿曜の基幹を成す暦神神話だということを知りました。
武塔神(むとうのかみ)又はスサノオの神又は牛頭天王が、
初回泊めてもらった時から年を経て再び訪れた時に八柱の御子を率いてきたと言いますが、その八柱の御子たちは八方位を司る暦の八将神だったとか。
【参考書籍】
『神社のいろは要語集 祭祀編』監修:神社本庁
と、ここで私が以前湯島天満宮で入手しました
『令和5年 神社福運暦』を開いて確認してみましたら、
ん?八柱以上おられますね。
そのうち、「大将軍」は3年ふさがり、建築工事、引っ越しなどを慎む方角で、○○神と書いてないし
「土公神」(どこうじん・どくじん・どぐじんなどと呼ばれる)は土を守る神。春は竈、夏は門、秋は井戸、冬は庭にあり。地上に出て決まった方角に遊行し、何日か後に土の中に入る事を繰り返す神なので、たぶん違うと思う。
「死符」も申の方この方角に向かって木を切らず、墓を建立せずということで、○○神と書いてないし神様と違うと思う。
金神も季節ごとに移動するから違うと思う。
その他、歳徳神(恵方)・巡金神・太歳神・太陰神・歳刑神・歳破神・歳殺神・黄幡神・豹尾神とあるけど、司る方位が八方位ではなく、十二支で、その方位で木を切らずとか嫁とり養子不可とか吉方より凶方が多いですね。
ここはもっとシンプルに乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤と、
易経の八卦、八宅風水ですか、それで八方位に分けたほうがピッタリですね。
乾=北西・兌=西・離=南・震=東・巽=東南・坎=北・艮=北東・坤=南西
しかしまあ、蘇民将来が貧しくとも家に泊めて心のこもった粟飯のもてなしをした善き行いに対する神様からの報いが、
「茅の輪を腰の上につけ締めよ」という事で、神の詔に従ってつけたその夜に、蘇民将来の娘一人を置いて、ことごとにころしほろぼしてき…って書いてありまして、
『え?ことごとく殺し滅ぼして?蘇民将来とその奥さんは?』と、ちょっと怖い話のように思いました。