八幡信仰の発生【1】 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

 八幡信仰の発生【1】

八幡さまについては、以前、当ブログでも記事にしていたので、関連記事を貼っていきます。

八幡神の起源である八幡総本宮 宇佐神宮の公式サイトでは、

分かりやすく歴史年表で由緒を説明してありました。

まず、上代に宗像三女神(むなかたさんじょしん)とも呼ばれる、市杵嶋姫命、端津姫命、田霧姫命が宇佐の地に降臨されたところから始まっていました。

 

天照大御神と素戔嗚尊が誓約(うけい)をして生んだ神々ですが、これもまた神々の名の漢字表記も微妙に異なるのが色々あって、宇佐神宮の御祭神の中の「比売大神」は、多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命の三女神ですが、八幡神社も所によっては、応神天皇の后神としているところもあります。

 

誓約の伝承も複数あり、どちらの神が男児を生んで女児を生んだかが異なり、男女のどちらを生んだなら正しいのかも伝承によっては違う事があって、ここでは「宇佐嶋に下された」と記述がある誓約第6段一書(第三)を貼っておきますね。

 

 

次に神武天皇が東征に際し、宇佐に逗留し、兎狭彦(うさつひこ)・兎狭媛が一柱謄宮(足一謄宮/あしひとつあがりみや)を建て、もてなしました。

 

 

それから仲哀天皇の御代にご懐妊された応神天皇が筑紫の宇美にてご誕生、その後ご即位。

 

 

571年、欽明天皇の御代になって、八幡神が御出現と。

 

 

 

 

長くなるので一旦ここで区切らせていただきます。