神道の霊魂観【3】幸魂・奇魂
今度は、四魂のうち幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)について神道家たちの解釈と展開を簡単にご紹介しようと思っていたら、本当に冗談抜きで「まじ?」なんて言葉も流行ってなかったと思われる江戸時代に「まぢみたま」と呼んでいたので面白かった。
もっともそれは「まじない」の「まぢ」に近いと、その前後の文脈から真面目に読み取れますが。
さて、前回は国学者らについては名前だけで略歴の説明もなく一般的には分かりづらかったと思い、今回は少し調べて書き足すことにしました。
鈴木重胤の解釈
前回も登場した鈴木重胤の解釈から書こうと思います。
鈴木重胤(1812~1863年)は江戸末期の国学者。淡路出身。文久3年(1863年)に刺客に暗殺された。享年52歳。平田篤胤の没後の門人。大国隆正にも学ぶ。
和魂・荒魂について、日本神話の始まりにおいて、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の大御魂より、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)が事を成し、神皇産霊神が事を努めて天地となるものが成立したという天地開闢の解釈に繋げて、神の魂に善悪吉凶はない。「成す」と「務める」役割で事が達成されるとしている。
そして幸魂と奇魂は、八神殿奉斎の神魂、高御魂の神の二柱の御霊だが、
世の中の人も幸魂と奇魂を大きく預かることで物事が成功するのであるから、
そのために鎮魂祭の術が伝わったとしている。
また本居宣長の荒魂と和魂の解釈に同意し、更につき進めている。
橘 守部の解釈
橘 守部(たちばな もりべ/1781~1849年)
江戸時代の国学者/伊勢出身/現埼玉県幸手市に住んでいた事があるので、幸手市の公式サイトの「みんなで守り伝えよう!文化財」ページにも幸手の偉人として紹介されている
橘 守部は、本居宣長の解釈と異なる見解を示している。
幸魂奇魂は心の活用を称え云う語にして、かの和魂荒魂などと云う御魂の名にあらず。幸魂と奇魂の二つには非ず。幸(さき)く奇(くすし)く妙(たえ)なる魂と云うことにて、精神の徳化を云う語なり。
平たく言うと「心の問題」のことのようです。
大国隆正
大国隆正(おおくに たかまさ/1793~1871年)津和野藩士出身 王政復古の大号令を提言した。
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大国隆正によると、また一つ「術魂」という霊魂観があって、説明が長くなるので、
また今度。