さいたま史跡巡り Part2 | 生涯旅人の徒然日記

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気の向くまま走るバイクツーリングが好きです

埼玉北西部を巡る旅ですが、熊谷市立妻沼展示館から深谷駅を見学してきました。

 

その後、中宿歴史公園で古代倉庫群跡を見てから、R17で本庄市へと移動します。

 

本庄市街へと入り、まず立ち寄ったのが「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」です。

 

 

この建物は、明治27年に開業した本庄商業銀行が、融資の担保となった大量の繭を

 

保管するために建てたもので、建物の基礎や壁面には深谷市の煉瓦が使われています。

 

入館は無料で、1階は交流・展示スペース、2階は多目的ホールとなっています。

 

 

展示物で目を惹いたのは、世界最古の自転車機能「陸船車」のレプリカ展示でした。

 

本庄市出身の庄田門弥と言う人が、ヨーロッパよりもはるか以前に発明したそうです。

 

滋賀県出身の平石久平次の陸船車が最初という説もありますが、どうなんでしょうね。

 

 

「煉瓦倉庫」の見学も終えて、続いては「上里町 郷土資料館」へとやってきました。

 

ここは図書館併設の施設で、原始から現在までの上里町の歴史を紹介しています。

 

また令和4年度に施設の改修を行ったそうで、より見学しやすくなりました。

 

 

なんと入場は無料で、常設展示と企画展時のどちらも見ることが出来ます。


常設展示では、近隣で発掘された土器や石器などを多数展示しています。

 

国内で唯一発見された「四つ竹を演奏する埴輪」や「踊る女性埴輪」は必見です。

 


上里の偉人で「日本女性初の水上機操縦士」西﨑キクさんの生涯も紹介しています。

 

西﨑キクさんのお話は、以前アップした下記のレポートをご参照ください。

 

はじめてなんです( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )♥ | 生涯旅人の徒然日記 (ameblo.jp)

 

 

企画展示では、「かみさと町のひなまつり 雛人形を飾るワケ」が開催中でした。

 

毎年恒例の開催らしく、今年は様々な種類の雛人形から隠された意味を読み解きます。

 

珍しい雛人形の姿も見ることが出来るので、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

 

「上里町 郷土資料館」の見学も終えて、K23を東へと進み、本庄児玉ICへ向かいます。

 

上越新幹線の「本庄早稲田駅」へとたどり着いたら、近くに早稲田大学があります。

 

ここに「本庄早稲田の杜ミュージアム」があるので、見学してみましょう。

 

 

ここは本庄市と早稲田大学が共同で開設するミュージアムで、入場無料です。

 

市と大学が所蔵する豊富な資料で、地域の歴史を解説する展示を行っています。

多種多様な埴輪をはじめとする考古資料や年表等で、本庄の歴史と文化をたどります。
 

 

ミュージアムには、たくさんの埴輪と勾玉などの出土品が展示されています。

 

また埴輪を発掘してから展示するまでの流れや、埴輪の作り方などの解説があります。

 

本庄市マスコットはにぽんのモデル「笑う盾持人物埴輪」も展示されていました。

 

 

縄文時代の人々と暮らしがどのようなものであったか、「住」をテーマに、

 

早稲田大学公認サークルであるアニメーション研究会と絵画会の協力を得て、

 

縄文人の生活を分かりやすく伝えています。これが無料とはありがたい限りです!

 

 

さらに建物2階でも、付近の遺跡から出土した考古資料を見ることができました。

 

とにかく出土品の大きさや復元具合の高さなど、見ごたえのある展示が揃っています。

 

ミュージアムには広い駐車場も整備されているので、ぜひとも見学をお勧めします。

 

 

次はR462を南西へと走って、本庄市の児玉地区へと向かうことにしましょう。

 

児玉市街へと入ったら、「本庄市立 塙保己一記念館」へと立ち寄ります。

 

駐車場も広くて、建物も立派なのですが、お高いのでしょうか?(夢グループ風)

 

 

そんな高くはいたしません、もちろんこちらも「無料」で見学できるんです!

 

塙保己一は、盲目の国学者で、本庄市が世界に誇る偉人です。

 

記念館では塙保己一の遺品及び関係資料を展示し、その偉業について紹介しています。

 

 

塙保己一は、1746年に現在の本庄市に生まれますが、7歳で病気のため失明します。

 

15歳で江戸に出て、当道座(盲人組織)に入り、検校雨富須賀一に弟子入りしました。

 

そして34歳のとき”世のため、後のため”に「群書類従」の編さんを決意します。


 

以後40数年の年月をかけて各種文献を収集してまとめた「群書類従」を完成させます。

 

「群書類従」は、日本の文学・歴史を研究する上で、重要な資料となっています。

 

和学講談所の設立をし、1821年には、当道座の最高位・総検校に昇進しました。

 

 

※Part3へ続きます。

今日はここまでで終了です。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

ではおやすみなさい(^^)。

 

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