過去の感情の棚卸中、と昨日書いたけど、
ズドンな記事が入ってきた。
本文より
肩書きを欲しがってたのも『自分は無価値』の信念からだったし
人と比較して落ち込んだり優越感に浸ってたりしてたのも『自分は無価値』からの信念だった。
肩書きが『わたし』の価値を確立してくれる。
他人の成功は『わたし』の価値を脅かす。
他人より上手くいってる部分があれば『わたし』の価値を見出せる。
”誰々さんと知り合い”とよく話してたのも『自分は無価値』の信念から来てたし
一歩踏み出す勇気といろんなことに挑戦するのが怖くてなにもできなかったのも『自分は無価値』の信念があったから。
断られることも断ることも怖くて出来なかったのは『自分は無価値』の信念によるもの。
”価値がある”と皆に認めらてる人と知り合いであることは『わたし』の価値につながると無意識で思い込んでたし
もしも”失敗”したら『わたし』の価値が無くなってしまうから、だからやりたいことをやる勇気が出ない。
『断られる』ということは『わたし』の価値が減る行為だから、頼みごとができない。
『断る』ということは『相手』の価値を傷つける行為だから、断れない。
そして究極は誰かに『承認』してもらうために奔走してたなーって部分。
誰かの承認は『わたし』の価値になるから。
特に権威ある人の承認は『わたし』の価値を上げてくれる。
結局、ぜーーーんぶのこじらせ原因は『自分は無価値』って信念から来てたんですよ。
私も今、自分の感情や行動の分析、研究にハマっているところだけど、
先行く人がいて、ヒントや答えを見せてくれるんだよね。
バシャール?誰それ?って感じだけど、
すごく分かりやすくしてくれてるなぁと思う。
なぜか、自分の好きな人や好きなことを好きだと発信することに、
抵抗があったりする。
「他の人にどう思われるだろう。」とか、
「自分の感覚を自分が信じられない。」とか、
他人軸の考えが出現するなぁ。
何を好きでもいいのにね。
他の人の好きが自分と違うからって、
その人を否定したりはしないもんね。
なのに、自分にはどうしてそれをしてしまうんだろう。
私はこれが好きだけど、あの人は好きではない。
ただ、それだけのことを、
「私を否定された」とか「私の好きをなかったことにしなくていい。」
話はズレたけれども、
Happyちゃん、すごいなぁ。
好きだなぁ。