語られない宋書 『中華の崩壊と拡大』8 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<文系回帰?>

記事では就職率の変動が志望先の変化と関係していると言うが? 



いずれにしろ、今や文系・理系とか分ける時代では無い‼️  いつまでも昔のイメージから抜け出せ無い事の方に問題ありプンプンムキー


https://www.nikkei.com/article/DGKKZO93820440W6A110C2CT0000/




<語られる事のない宋書>

恒例の土曜夜のサルソンが無いので、午後から図書館で受験勉強の学生さんと一緒に何時間も読書。とりあえず『中華の崩壊と拡大』を読み終える爆笑 


完全に頭に入ったわけでは勿論ないが、取り敢えず一周出来た。あとはこれから少しずつ取りこぼしの部分を回収出来れば良い。


ただ少し残念だったのは、中国の混乱の中で、大規模な人の移動が、江南のみならず、日本列島へも及んだ筈だが、その影響については特に意外な事が書かれているわけでもなかったショボーン


それとは別に一つだけ思ったのは。日本の歴史教育では後の世、小野妹子が遣隋使として煬帝に国書を渡す際、対等の形で隋国と対応した事が強調される。


ところが、その前の「倭の五王」が宋朝に使節を送った時にはあくまで【臣下】として、非常に遜った態度だったことが『宋書』に書かれている。そこでは完全に宋の属国としての倭の立場だった。


確かに多少、日本人にとっては気まずい【都合の悪い事】かもしれないが、此処は歴史の事実として、そうした事も隠さず教育すべき。


そんなことだから、いつまでも歴史学はハード・サイエンスになりきれず、イデオロギーに利用されるだけの【道具的存在】から抜け出す事が出来ないのだろうプンプンムキー




『中華の崩壊と拡大』8

此処で北魏時代の洛陽について記録されたあの『洛陽伽藍記』が取り上げられる。外の図書館から取り寄せた本で、戦乱で荒廃した都のかっての繁栄を記録しようとした本だったと記憶する。


あの本も簡潔だが非常に論理的で、科学的記述で面白かったと記録している。


この本では、胡人が当時毎日の様に洛陽に到着し、当時外国人の数は一万戸以上あったとか。p247


胡人は仏教を携えてきた。特に華北統一の過程で北涼を滅ぼし、僧侶3,000人が平城へ移住させられた後に、北魏の国教の地位を確立する。平城の西に雲崗石窟が造営されたのもこのころ。p248


その後、先の孝文帝の洛陽遷都後、龍門石窟の造営が開始される。p249


とは言え、史上『三武一宗の法難』と呼ばれた廃仏もあった。その理由として仏教が中国の古来の教えでは無かった事を挙げ、武帝は『胡の宗教』だとした。p275


これは北魏がそもそも鮮卑族の国家とすると矛盾するが、ここらから北魏の中国化が相当進んだ事を意味するようだと著者は言う。


北魏の太武帝と北周の武帝はそうして、中華皇帝として非中華の宗教である仏教に大弾圧を加えた。p276


しかし、その北魏の繁栄も長続きせず内乱が再び再燃し、東西に分裂。東魏、西魏と別れる。


内容から離れるが、当時の兵隊の図が敦煌壁画に残っているらしい。それを観ると、兵士だけでなく馬も甲冑を纏っていた様だ。p272

81図


さてこの後、9章でいよいよ、この本を読もうと思った最大の理由。或いは、ここまで何とか読み続けた理由でもある。この時代の中国の日本への影響=日本形成が語られる。