生き残る道、キリはキリ & 『イブン・バットゥータの世界大旅行』5 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>

https://www.youtube.com/watch?v=-aNrg-q3u7w&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=9

HSK3,7~9 背了三十九分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=wmOYYPr42zY

中国まる見え情報局,~24min,看了二十四分钟频道。

 

https://www.youtube.com/watch?v=RdBOCJpd6Ls

誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル。做一个小时二十七分钟听写。

 

https://www.youtube.com/watch?v=85A7hIhwgOc

关于DeepSeek,十二分钟。

 

https://www.youtube.com/watch?v=7DKhDWFGUtY

誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル。0~37min,做四十分钟听写和作文。一共三个小时二十二分钟。

 

アンカリング成功

 

运动;上坡散步, 3.6km,3930步,7楼 (计划)

 

 

 

 

 

<今朝のWorld Newsから>

イギリスBBC:北部からイスラエル軍退去するもインフラは完全破壊

ドイツZDF:選挙を控え、メルツ氏はシュルツ氏をリード。

カタール、アルジャジーラ:イスラエル南北分断回廊から退去>北部へパレスチナ人移動可能。/イスラエル交渉団、カタールへ、但し第二段階停戦へ拒否か?<ネタニエフ政権が保守派の離脱で持たない

中国上海:

中国香港:香港マラソン開催。/プーチンvsトランプ電話会談>3年のウクライナ終戦へ動く。

シンガポールCAN:ハマス人質のタイ人解放。

オーストラリアABC:Corpse花開花>靴下の匂い=捕食者引き寄せる。

インドNDTV:10日からパリでのAIサミットでマクロン&モディ共同議長。差別化目指す=利益優先米国と国家管理の中国。

https://www.asahi.com/articles/AST2922R6T29UHBI025M.html

 

フランスとインド、新たなAI開発へ動く。日本は?

 

 

 

 

<未来を開く唯一の道>

キャリアの前半分は、当時大流行の癌遺伝子研究で大山を当て、全国紙にも紹介され、後に自分の教室を持てたのもそれがあったから。

 

しかし、そうした「この世の春」も長続きせずえーん 限界を感じてテーマと手法を変えた。テーマを「癌」から「老化」へ、手法を「Gene」から「*Epigenetics」へ。

 

*Epigeneticsについてはこちらで。

https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/011900001/22/11/10/00477/

 

それが上手く行ったわけではないがショボーン そのままでは「ジリ貧」になるのは判っていたこと。生き残るためには、

 

変化しなければならない

 

それだけが  未来を切り開く唯1つの道。これは「つよつよぴーさん」のblogからインスパイヤーされたもの。

 

『強いものが生き残るのでも、賢いものが生き残るのでもない。生き残るものは変化する者』

 

とのダーウィンの言葉は真理をついている。

 

 

 

 

 

<どうせ中国でしょう?>

今でも、このような事を言う人がいる。確かにピンからキリまでの中国、上記の人達は自分の立ち位置からしかモノが見えないからそうだと言いたい。

 

キリはキリしか見えない」ということ爆笑ニヤリ

 

 

 

 

 

 

 

<峠越え>

自宅のある宇美町から福岡市までは車で直ぐ。空港だと20分程度。しかし、この時期市内と宇美町では天候が少し異なるので要注意。問題となるのが積雪。

 

市内では「積雪なし」でも地元では積もることがある。その理由は玄界灘から福岡市内に西高東低の空気が流れ込むと、地元の高台に直接衝突し、雪を降らせるからだろう。だから、土曜も天気予報、特に「雲の予報」を見てサルソン行きを決めた。

 

下の図は国土地理院のツールで博多湾から地元を見る、3D地図を作ってこの状況を明示化したもの。高度は10倍に拡大している。

 

赤矢印の先、宇美線終点がギザギザの線で切れている。その先の山(実際は台地)の頂上のところに団地が位置する。ここに寒気が衝突して市内では「降雪なし」でも地元では雪が降る。

 

 

山の頂上の右側、隣の山の間の峠を越えて西行して市内に出るが、この際積雪があるとスリップ事故とかが多発しやすい。それが先日の例。

 

 

 

 

<猛烈>

懐かしい「オ〜 オー、モーレツ!」の動画か何故か紹介されて来た。

https://www.youtube.com/watch?v=Uij24Pik-nY

 

1969年のCMだとか。この時代に育った世代、熱き高校生爆笑だもの。猛烈に仕事しないといけないと感じていた高度成長期。今の「ライフ・ワークバランス」の時代とは違う。

 

「知識 (学校の成績) なんてドンだけ役に立つ⁈  行動あるのみ、数字でナンボの精神」

 

は今でも健在みたい。 あ、成績軽視は多分に言い訳てへぺろショボーンえーん

 

 

 

 

 

『イブン・バットゥータの世界大旅行』5

1325年、バットゥータは21歳で故郷のタンジール(北モロッコ)を旅立ったが、どうやら連れを連れての旅のようらしい。旅行記には『旅仲間もなく…ただ一人の旅立ちであったが』と書かれているものの、p108 実際には奴隷も連れてのようで、また旅の途中で妻も娶っている。p114

 

この妻はその後、ダマスカスで出産のため途中で旅団から外れ、当地で出産もしていることは先に書いた通り。また、この妻の前にも旅団の指導者の娘の別の女性と結婚もしているが義父との仲違いで離婚したとも。p116 更にこの歳で彼は旅団の法官にもなっていることから、それなりの立場で参加したよう。p113

 

こうした点は、あの法顕や玄奘がインドへ旅した時も同様で、決して一人旅ではない。とりわけこの時代、旅の途中には様々な危険があったわけで当然といえば当然。

 

旅の途中でカイロを行きと帰りに訪れているが、最初の時は人口50万の当時、文化、経済の一大センターだったらしいが、帰路ではペストの流行直後で人口の1/3が死亡し荒れ果てていたとも。p121 それはアレクサンドリアも同様で、行きには有名な灯台があったが、帰りには崩壊していたとも。p117

 

今回の新型コロナとは規模も重要性も異なるが疫病は当時の世界を変えたよう。

 

カイロからナイル川を遡り現在アスワン近くまで南下して、そこから砂漠を横断し、メッカの紅海を挟んで対岸にあるアイザーブまで行き、そこから海を越えてメッカに行くのが普通のルートで、彼もそれに従ったが、内乱でこのルートが取れないことがわかり、引き返すことになった。

 

再度、カイロまで戻り、そこから陸路でシリアまで行き。山越えをして再度、南下しメッカを目指すという遠回りをしたよう。これにはダマスカスからの大巡礼団があることが重要のよう。

 

なお、わざわざシリア(アレッポ=赤帯で囲った部分(まで行ったのは越えるべき山脈(赤線で囲む)があるからのよう。

 

とはいえ、著者によればここらの旅の順路には合理性がなく、多分他にたくさん書かれていた当時の巡礼記(=ガイドブック)からの引用が多く、これは編集者、イブン・ジュザイイによって大幅に加筆がなされたのだろうということ。p127

 

マルコポーロの旅行記にしても、彼自身の記載ではないので、もしかすると彼の本もそうした編集者による加筆、修正があるのかもしれないと思った次第。爆笑キョロキョロ