<土曜の夜は幸い雪はなし>
土曜は今年最大の寒気襲来とのことだが、雪がなければ問題ないと判断し、峠を越えて、サルソンにGO!
2時間程度でしたが楽しめました。今回も初心者と思しき外人さんを誘ってみました。
サルソンに来て、後ろのテーブルで、フロアーで踊っている人を観ているだけはつまらないはず![]()
これを機会に常連さんになってもらいたい![]()
スレンダーボディーの背が高い若い欧米系の方でした![]()
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『イブン・バットゥータの世界大旅行』4
バットゥータは1325年ごろに20歳くらいで故郷、北部モロッコのタンジールを旅立ち、p10
1327年にダマスカスに到着。このとき身重の妻がいたので、此処に残し旅立つとある。p38
ということは旅に妻を同伴したのか? これに関しては後で多くの情報が得られた。法顕や玄奘同様、一人で旅したわけではない。
それからメッカに行き、1334〜1342年まで8年間インドのデリーで法官を務めた。モロッコに戻ったのは45歳くらいで1350年ごろ。四半世紀を旅に費やしたことになる。p79
しかしそれだけではなく、故郷に一度戻った後にも、再度アフリカ内陸縦断の旅に出、50歳でようやく落ち着いたみたいだ。
彼は海路も陸路も使用したが、ここで中国のダウ船を利用する話がある。これは中型船でザウウと呼ばれたらしく、これは英語のダウ(dhow)の語源とか。そして本来の語源は中国語のドウ(舟+童)だという。この中国語は調べても辞書に出てこない?
それで、早速「ちー」さんに聞いてみたところ「艟」だとか。
さらにDeepSeekにもこれをduo あるいはdouと発音する中国語の方言があるか聞いてみたが、無いとか。これは日本語読み? いや、英語の語源になっていると言うからドウ、ダウと発音する方言とかがあるはず? まさか、日本語発音から英語はないはず![]()
これは今後の課題。
それはさて置き、バットゥータ以外にも巡礼記は当時、たくさん書かれたらしい。これは勿論、メッカ巡礼が理由。p78
つまり、当時のガイドブック?
ところがバットゥータが故郷に戻った1350年ごろペストの大流行が起こり、また社会の不安定化などで旅行、巡礼が衰えたとも。p79
彼、バットゥータの家系はスンナ派の1つマーリク派の法官の家系だったと考えられている。p83
写本には沢山の種類があるらしい。まず分類として1)前編のみ 2)後編 3)完本 4)完本の要約本。p96
著者は103ページに全部で7+7+5+10=29の写本を示す。
こうして本の内容だけでなく、様々な関連事項を知ることに最も興味を感じる。 寄り道が多すぎる?![]()
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でもこれは性格、変えられないね。別に悪いことじゃないはず![]()
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