<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=rqCA-PAqcdE
HSK4, x3 背了四十一分钟单词。
https://www.youtube.com/watch?v=YX9L72Nx-Qk
关于苏州, 十四分钟。
https://www.youtube.com/watch?v=8Zy6aC12D7I
誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,24min~end,做一个小时八分钟作文和听写。一共两个小时三分钟。
木曜病発症するもギリギリセーフ![]()
运动:上坡散步 4km,6199步,11楼(计划)
<今朝のWorld Newsから>
イギリスBBC:韓国で大統領弾劾。
ドイツZDF:VW労使妥協は難航。/露中からのサイバー攻撃。/ジョージア2028年までEU加盟を申請しない。
シンガポールCAN:韓国内政混乱で金融不安、株式下落するも持ち直す。
韓国KBS:大統領弾劾は6〜7日に採決予定。非常事態ではない状態での戒厳令発令とする。但し、与党の7割が大統領の離党勧告に反対。
中国CCTV:機械工業輸出増加。<いい話しかないCCTV
中国上海:鉄道網の活発化。
中国香港:南シナ海で中菲衝突続く。/ジョージア反政府デモで混乱、ジョージアからウクライナに義勇軍の存在。
ベトナムVTV:中国とのスマート国境建設。/メコンデルタで乾季に塩害予想。
オーストラリアABC:オーストラリア、イスラエルの占領地批判>ユダヤ人批判との批判、米国との関係悪化も懸念。/ニュージーランド、サモアでタンカー沈没、環境汚染。
インドNDTV:シーク教徒によるテロ未遂。
自由主義国家の内政混乱に比べ、権威主義的国家の安定?が対照的。
<難聴と認知症>
昔から耳鳴りと高音域の難聴がある。ある説によると難聴で高音域の情報空白で、それで脳が勝手にその音域に異常な音を感じているように錯覚するのだとか? 真偽のほどは知らない![]()
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早朝のNHK-BSの朝のクラッシック番組は音量25/60でも音が非常に大きく感じるが、次の6時からの番組、World Newsだと人によっては聞きにくく、音量を少し30位まで上げることがある。多分、プロのアナウンサーでなく通訳ということもあるだろう。
それにしても、難聴と認知症の関係は時々話題になる。 一般的な説明では、
「難聴で会話が聞き取れにくいので、コミュニケーション障害が出て、ますます人との会話の頻度が減り、それで認知症が進行する」
とのことだが、逆もあるのではないかと怖れている。つまり認知症が進み、
<音としては聞こえているが、何を意味するのか脳が理解できていない> ということだ。
中国語で「听」と「听懂」の違いというのだろうか? 視覚だと「看」と「看见」というところかな? もしそうだとすれば、ヒタヒタと軽度の認知症が自分にもすすんでいるということ![]()
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たまたま、今朝の番組で感じたことだが、そうだとすればなかなか辛い![]()
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<昨夜のクラス>
また新たな振り付け。男性はリードしないといけないので、大変です![]()
<韓国の非常事態宣言>
戒厳令?と言っていいのか知らないが、それが一時的にでも出たのには驚いた![]()
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出せる国、韓国がいいのか、出せない日本がいいのか。意見が分かれるかもしれないが、今のところ戒厳令など出しても良いことは1つもない。今のままがいいのかな?
それしても「韓国病」は健全。今の大統領も退いた後は罪を問われるだろう。辞めた後、無事な大統領はいないんじゃないか?
『ユーラシアの中の「天平」』8
「安史の乱」後に、東南アジアをつなぐ海のシルクロードの拠点の幾つか(揚州、広州など)がアラビア、ペルシャ人と安禄山がソクド系ということで似ていることからか警戒され、大規模な略奪を受け、海のシルクロードも一時壊滅的な打撃を受けたとか。あるいは単に政情不安でこれを奇貨として胡商の財産を奪っただけかもしれないが? p315
こうした情勢の中で再び、動揺した東アジアの日本、新羅、渤海はそれぞれ危機的状況に対応して国家形成を急いだ。しかしその国家は、まさに不安定化する中国を模倣するものだったとか。p332
またその中で、渤海は対立する新羅への牽制として日本に接近したらしい。p336 その1つが758年の渤海使来日である。p342
渤海は高校世界史で出てきたが、あまり深く習った記憶はない。それは渤海がすぐに滅亡したからだろうか? それでも調べてみると698~926年まで王朝は228年、唐王朝より長く後の五代十国時代まで続いている。
なおこの国については、中韓では捉え方が異なるらしいことは以前、他の本で出てきた。中国では少数民族の「かつまつ族」が造った地方国家。朝鮮では高句麗の遺民により造られたとする。この著者は後者の立場のよう。
ここらは現代の政治が絡んでくるので厄介だ。何れにしても当時の渤海国自体は高句麗の遺民との立場をとったよう。
759年に藤原仲麻呂は唐の力が東アジアに及ぼさないことを見越し、新羅進攻を計画した。そして軍船の造営を着手した。その規模は極めて大きい。348ページの表4-2に計画と実際に造られた船の数を示している。
この軍船は遣唐使の船と同規模で1隻あたり150人(遣唐使船=600人/4隻)とされる。p346
しかしこの新羅進攻は最終的には中止されるが、それにはこれを推進した藤原の仲麻呂の失脚、具体的には孝謙上皇と仲麻呂の武力衝突、誅殺による。ここで活躍するのが唐帰りの吉備真備。p361


