<日経サンデー>
土曜の朝のBSテレ東の番組は勉強になった。
アベノミクスで異次元金融緩和の後遺症を抱える日本は、しばらく副作用に右往左往しないといけないと感じた。
「金利のない世界は異常だ」という、私にとっては至極常識的な感覚は間違っているのだろうか??
アベノミクスは「2%」「2年」「2倍」がキャッチフレーズだった。2年でインフレ率2%を達成するため、2倍の資金を市場に供給する異次元緩和。
最後の2は大量の国債を買い入れ(米国では違法のはず?)て、市場にマネーをばら撒き達成したかもしれないが、これは手段で目標ではない。前の2つの目標は達成できなかった。つまり失敗。だから日銀は従来のオーソドックスな道に戻りつつあると理解しているが、その理解でいいのか?
この間銀行は疲弊し、よく分からない保険や投資を売りつける商売に変わりつつある。
<昨夜の天神、サルソン>
天神は人が戻ってきた。
カシーノ
バチャータ
バチャータはなかなか慣れない。ドミニカ共和国の音楽とダンスには他にメレンゲがあったと思うが、島の反対側のハイチにはどんなダンスがあるのか知らない。
ハイチは破綻国家、その事が関係しているような気がしている。
『スマホ社会と紙の本』3
著者は情報の入手法には「プル型」と「プッシュ型」があるという。Google検索はプル型で、検索者の必要に応じて、それに対応する答えとしての情報、著者の表現を使えば「パーソナル化した」答えを提供するという。p103
それに対し、「プッシュ型」は先方から一方的に送り出される情報。p104 だから本屋に行けば<偶然に>様々なセレンディピティの場をプッシュすると言いたいようだ。p105
これも、かなり偏った言い方で、人間の情報収集の仕組みがよく判っていないのではないかと感じる。
例えれば、中国語の「看と看见」あるいは「听と听懂」の違いだろうか? 人はある風景を見てもそこにある全てを認識しているわけではなく、その中で自分の意識に反応するものだけを無意識に選び取っている。これはヒトの情報収集能力の限界だ。
だからある風景を見て、その時理解したことと、それを写真に撮って、後からその写真を見返してみて、当時気がつかなかった多くのことに気がつくことは多い。そんな経験はありませんか? 私はあります、それも仕事で!
昔、Natureに報告できるようなチャンスを逃した経験もある。他の人の論文を読んで慌てて昔のデーターを見返してみてのこと。
個人的にはGoogle検索でも、図書館の本棚の間を歩き回る場合でも、同じような「漏れ」を意識することがある。ただGoogle 検索の場合はアルゴリズム仕様でその傾向が少しだけ強化されているだけだ。程度の差しかない。
後で、著者が「Google効果」と呼ぶ現象を紹介するが、それは「写真を撮っていない作品はよく覚えていたが、写真を撮った作品はそれほど記憶に残っていなかった」という経験だ。p115
しかし反面、上のような現象もある。見た瞬間には認識できなくとも、写真を撮って残しておけば、後から気がつくことがあるということ。
世界は多様な反応や変化が起こる場。しかし人の情報を受け取る能力には限りがある。だから過剰な情報を一部だけを選択する。これはデジタルでもアナログでも同じこと。




