<昨夜の徘徊ルート>
金曜午後3時頃、瞬間夕立があっただけだが、全然違う。快適に散歩できた。但し、やはり上りで汗をかく。丘の下の明るく存在感を示す7で、ついスマホ決済でサクッと買い物。
<猫関連>
最近のお隣のクロちゃんの定位置。猫も涼しい場所を知っている。但しキジトラがきたら場所交代![]()
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また行き先が決まった![]()
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<ガザの未来>
イスラエルとパレスチナ間の1993年の「オスロ合意」はノルウェーが仲介した。あの時はアメリカも影で支援したと記憶がある。ユダヤにもパレスチナにも直接過去の暗い歴史を持たない国が、再度こうした合意形成に活躍してもいいはず。
グローバルサウスに活躍して貰う? いや、日本だって可能性はあるはず。連携してもいい。
「彼奴らの争いに関わるな」との意見もあるが、今の時代、関わらなくても影響は出る。また実際、仲介したノルウェーは何方からも感謝されても恨みをかうことは無かった。知恵と努力を出す処かも?
<反面教師>
中国では反日教育が行き届いている。だからそれに影響された十代の若者が靖國神社に恥ずべき行為をするのはありそうなこと。そうした事件を「反面教師」として認識できるかどうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c1f48e00eca23f40fcb4a46a116ab357368eb8e7
それができず、同じレベルに留めれば日本も同じ。
『スマホ社会と紙の本』2
本も半分過ぎて、この著者が最初からデジタル書籍にネガティブな意識を持っていることが感じられる表現をあちこちで感じるようになった。彼の評価は「そうとも言えるが、別の解釈もあり得る」と感じた事がしばしば。
勿論、誰しも公正な評価というのは難しいものだが、この著者が紙の本で育った世代*である以上、紙の本の肩を持つのは仕方ない。そこそこに対応するのがベター。
* 一橋大学を1961年卒業ということだから多分1940年頃生まれ、となると80歳過ぎくらい?
例えば、そうした彼が言うに、
『(SNSでは)支持できる情報であるかどうかは、「情報源」が信じられるかどうかよりも「情報をもたらした人間」が信じられるかどうかにかかっている』p95 という。
これは自然科学の立場の者からするとちょっとありえない。というよりも信頼できる情報かどうかは「未知」というのがスタンス。だから私は必ず引用する。多分、それぞれトレーニングされた経験の違いだろう。
誰それは、このような実験や分析をしてこうした結果が出た。<もし、これが正しければ…> という論理の組み立て方である。
信頼とかどうとかではなく、たとえその報告者が信頼に十分足る人だ、信頼できると個人的に信用があっても、「結論は間違いかもしれない」というスタンスだ。だから間違いがわかれば前言を翻すことに抵抗はない。
その意味ではこの著者の態度は非自然科学者的。
いずれにせよ、著者はSNSでは確証バイアスがかかるという。つまり自分に都合のいい情報だけを優先して選び取るという現象だ。
それは確かにある話。なにしろHype Machine。
でも、それはデジタルの世界だけの話ではない。本屋に行けば同じ傾向をみることが多い。例えば、同じ傾向の本が同じ本屋の同じ棚に並んでいるのと同じことだ。我々はそうした落とし穴をうまく掻い潜る技法を身につけないといけないことは半世紀前から同様だ。



