<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=xQkgOdLcP-E&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=1
HSK4~1 #12~#1 背了三十九分钟单词。
https://www.youtube.com/watch?v=QDMfHxJGDmo
ヤンチャンCH/楊小溪看了十六分钟频道。
https://www.youtube.com/watch?v=_HTW8HU9LmY&list=PLZI8vVTxzS7k7jbSknCDOssrgqGpd3BCS
誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,1h51min~2h46min,听写一个小时句子。
https://www.youtube.com/watch?v=Geh2E-rsJbM&list=PLEyBXc_M00ItpVME3QxyPU00mNvm84smP&index=4
武井&典典ちゃんねる,六分钟。
https://www.youtube.com/watch?v=WVnFAmdByr0&list=PLo-JT3CVDIrFJWhHf0oDzTv_apIrAF70H&index=116
ズボラ中国語116。一个小时七分钟。
https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk
【完全版1~1200】HSK5,47min~1h,0.75速度,背了半小时单词。
https://www.youtube.com/watch?v=fSu29E6SW5c&list=PLri82XG8QoLaBS3HG0-DZd5ZVf3kwudY1&index=13
Yuko channel実用ビジネス13,学习十九分钟商业汉语。
https://www.youtube.com/watch?v=OuBTDtCrvFA
誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,0~12min, 背了半小时单词, 一共四个小时二十七分钟。
运动;爬山散步 1.7km, 2723步, 7楼。
ちょっと少ないが、ま、勉強頑張ったから、いいか?
昨日木曜日は遊び倒すということで、『神功皇后伝承を歩く』の舞台の1つ旅石八幡宮と「かよい」八幡宮を現地調査した。旅石八幡宮は県道91号線と須恵川の交差点にあるが、宮内に入ると実に静か。周囲には楠と思われる大木がはえている。
宮内は二段に分かれ、高い位置に古い宮があるのではないかと感じた。鳥居が2つ並んでいるが上の方が小さく、宮も小さい。下段は最近造築されたのではないか。
(上段)
(下段)
ここでは写真に撮らなかったが次に行った神社と同じ「五穀神」の石碑を見つける。なんだか一番古そうな石碑だったが、他の神社にもよく見かけるもの。下の写真は次に行った「かよい八幡宮」のもの。
ここの祭神の1つに大谷田神の説もあるらしい。大谷田宿禰は三韓征伐に同行し、戦後新羅守備将軍として残留し国王の娘を娶り、子供も生まれたとか。10年後に帰国しこの近郊で没したと伝えられる。p111
この伝承は極めて意味深に感じられる。そもそも海を越えての遠征にも簡単に成功し、その後もそれだけの繋がりを半島の王権ともてた。それはおそらく三韓征伐以前から九州との関係があるような? 神功皇后そのものが半島との関係が深い。
この後、モールのスタバでしばらく読書後、かよい八幡宮にも行くが、それについてはまた後日。
<妄想>
夕方、いつもの散歩で団地の上から下界を眺めると、豊かな幾つもの森とその谷間に流れる川が見て取れる。古代、水耕稲作技術と鉄器を持つ農耕民族集団が、それまで狩猟採集民族しかいなかったこの地に初めて入ってきた時「豊かな約束の地」を感じたに違いない。 そうして彼らはこの地に定住し、稲作を始め、急速に人口を増やしてきたのではないか? そんなイメージが湧き上がった。
<風土記や社記の意義>
日本の記紀はイスラーム教のクルアーンと同様に幾つかの別伝を併記するらしい。それに対し、キリスト教は度重なる公会議で異説の類を厳しく排除した。
とはいえ、記紀も近代になり特に天皇制が国体維持に使われるようになって異説の類を排除したらしい。但し、地方の風土記や社記については手が回らなかったみたいだ(笑)まして外国の史書の修正削除は無理。だから中国の史書に《15代神功天皇》の記載が残っている。因みに15代神功天皇について削除したのは大正になってから。
今読んでいる『神功皇后伝承を歩く』にはそうした風土記、社史の例が紹介されている。どこまで真実かは別として非常に面白い。
<2回目はなし>
昨日のblogで以前読んだ本を気が付かず再度読んだ顛末を紹介した(汗) 基本、私は「2度読み」はしないことにしている。これは簡単な理由から。
誰しも本の内容を完全に理解することは難しい。特によく知らない分野だと精々2〜3割ということも多い。だからといって繰り返し読めば理解度が倍になるかといえばこれまた無い。1回目が3割なら、精々1割り増しの4割程度。それなら同じ分野の別の本を新たに読んだ方が効率いい。数字で示せば 3+1=4<3+3=6 だ。
これは私が基本、文学作品を読まないからだと思う。文学は私にとっては「論破王ひろゆき」風にいえば、『それは単なる貴方の印象でしょう?』の類。
毎年、50冊程読んでいるので、図書館で「これは!」と思う本を手に取り、同じ本だったことは頻繁にある。図書館と雖も、本棚には限られた数の本しか無いのでよくあること。大学時代は地下書庫に入れたので本は無数にあるように感じたが。今では書庫に入ることはできない。『人生で一度は訪れていい場所』として、私の中では大学の地下書庫がある。
『神功皇后伝承を歩く』上
綾杉るな著、不知火書房。2014年初版、2018年3版。
写真が沢山あるし、地元の話なので気楽に気分転換に借りたものだが、読み始めるとなかなかどうして、色々興味深いこと、知らなかったこと(正確には頭では判っていたつもりでもちゃんと認識してなかったこと)が沢山書かれていて勉強になった。
まず最初に地元の宇美八幡と同じ名前で、しかも同じ伝承を持つ神社が糸島にあることを知る。すなわち応神天皇の出産と仲哀天皇のモガリの地という点。出産に関しては地元が泉ならここは森(産毛の森) しかも両社には深い縁もありそうだ。地元の宇美の宇美八幡の祭事にはこの糸島の宇美宮が行かないといけないらしい。p97
仲哀天皇には神功皇后の前に二人の姫の間に皇子が生まれていたが、彼らは後に誅殺されている。皇位をめぐり、すざまじい権力闘争はこの時代にもあったわけ。それは兎も角、最初に気がついたのは、今の地形は昔に比べかなり海岸線が陸化され面影がほとんど残っていないことだ。例えば北九州地区の現在JRが通っている場所は海や湾で海路で繋がっていたこと。それゆえ洞海湾から遠賀川は直接水路で繋がっていた。
皇后は熊襲が叛くのは新羅の後援によるものと考え三韓出兵をしたということ。p47 ここから半島と九州の抜き差しならぬ関係が分かる。
糸島の高祖神社のところで、糸島は大陸の文化、技術が伝わった場所で古代の製鉄炉が26基も発掘されているらしい、またこの県主の祖、「いとて」は筑前風土記によれば高麗國の末裔らしい。p85
第6代孝安天皇から11代の垂仁天皇期まで異国から襲来が度々あったことが記紀に書かれているらしい。p88
15代神功皇后という記載もあるらしい。p79 これについては中国の史書は15代神功天皇という記載が普通。これについてはまた後で、
もう1つ気になる記載として神功皇后の遠祖に「あまのひぼこ」がいて、「いとて」も同じく「あまのひぼこ」の末裔という伝承があること。p96
「あまのひぼこ」は新羅の皇子との史料もあるようだ。つまり神功皇后の出生に半島の影が強い。さて、ここらの話はどうなっているのだろう? 仲哀天皇が渋った半島遠征、皇后が積極的だったのはもしかすると彼女に半島王国の継承権があったからかもしれないと、この時点で感じた。
ま、日本古代史の世界はイデオロギー満載の世界なのであまり期待できないが?






