<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=RBvTiSELGqs&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=6
HSK2~3#4~#6 背了四十一分钟单词。
https://www.youtube.com/watch?v=flbKM0MBYiE
中国まる見え情報局234 八分钟。
https://www.youtube.com/watch?v=XDTfNAWoDAs
誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,1h10min~end,听写五十分钟句子。
https://www.youtube.com/watch?v=kpZwgfuJhFQ
興梠一郎频道,看了十分钟興梠频道。
https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk
【完全版1~1200】HSK5,0~13min,0.75速度,背了半小时单词。
https://www.youtube.com/watch?v=vwhpfpnMFao
チャイナ娘くまちゃん,看了十分钟的频道。
https://www.youtube.com/watch?v=nmQCl02caKc&list=PLE591C0467F171909&index=11
中国語中級文法講座11,学了二十一分钟汉语作文。
https://www.youtube.com/watch?v=1WH-v7ronuY&list=RDCMUCIyp9OQb4N1yqcto1EcG-ZQ&index=6
びびさんのポスト,太容易了,听力二十分钟,一共三个小时十分钟。
运动:一堂Salsa课 (计划)
予告編2つ
<1 久山研究>
昨日議論した、個人の健康情報のクラウド化は夢物語ではない。
既に何十年も前からアナログ的ではあるが「Hisayama Study」として世界的に知られている試みがある。これをデジタル化すれば良いだけ。またこれまで疫学的な部分に限られていたことをもっと広く拡張すれば良い。これについてはいずれまた考えをまとめてみたい。
<2 血判状>
いやはや驚いた。安徽省で自発的に始められた「生産請負制」の話は良く聞くが、その背景にすざましい物語があったとは! 正しくこうした実話こそ求めていたもの。
いずれ、詳細は後でまとめるとしても、一言先走って。
これを指導した人物。もし当局に咎められ罪を問われ死刑になったら、自分の子供を18歳まで村全体で扶養する「血判状」を準備したとか!! 知らなかった。こうしたことは正規の歴史書には書かれない。
<禁書>
『中国全史』下巻も終盤に入った。この本の中で『墓標』(和訳題名「大躍進秘録」)が話題になっていたが、これは過去11回にもわたり昔のblogに纏めたことがある。中国本土では禁書。
その他、同じく禁書として『中国農民調査』も何回かにわけて昔のtea cup blogにまとめた。いま残っていないのは残念。
それは兎も角、こうした自国の過去を振り返らない国、否、消し去ろうとする国。よく「歴史に学べ」とか日本相手に言うが、よくも恥知らずに言えるものだと思う。過去から学ぼうとしない国は同じ過ちを繰り返す。中国に限らず日本もこれは同様。
文革の記録を残した中国人ジャーナリストの遺産。
https://www.nytimes.com/2020/06/25/world/asia/li-zhensheng-dead.html
<坂道駐車>
MDさんのblogを覗いたら「ワイルドだぜ」の写真が出ていた。しかしそこで私が注目したのは車の停め方。
いや〜 変なところに目がいきますね。坂道の街、SFで車を運転する際は必ず習慣にしないといけない停め方でした。
https://ameblo.jp/maxdad/entry-12808680767.html
それでフト気がついた。いつも夜の散歩(ボケ老人の夜の徘徊ともいう)で団地の端の坂道を通ると路上駐車の車がズラッと並んでいる。これは本来、路駐禁止地区だが、ここは高い石垣の上に家があるので車庫用のトンネルが造られてはいるが普通1台分、それ以上の車があるとスペースに余裕がない。またトラックとか大きい車だと車庫に入らない場合もあろう。そんなこともあり、多分路上駐車が黙認されているみたいだ。
Google Earthで現場を見る。この宅地デザインも問題だと思っていますが? アプローチが階段しかないので老人は住めないね。
それで気になった、ちゃんと坂道駐車の基本が守られているかどうか? 夜の現地調査に出かけた😆 此処は結構な急斜面。
上の車は合格です。暗くて見難いが右側のタイヤは直線になっているが石垣に直接接地しているので転げ出すことはないだろう。
問題はこのトラック。車輪が逆に道路側に向かっているので、万一サイドブレーキが外れるとこのトラックは坂道を転げることになる。ちょっと危険。車止をタイヤに噛ませる必要あり。簡単な事だが、何故しない? 万一を考えないと災害は忘れた頃にやってくる。
『中国全史』下巻8
太平天国の乱で魏源は命を落としたが、次の世代がその焼け跡の中で生を受ける。康有為(1858年)、魯迅(1881年)、秋瑾(1875年)である。p178
ところで魯迅も秋瑾も紹興出身だと記憶するが調べたら、間違いなくそうで魯迅の紹興の生家には行ったことがある。また秋瑾は西湖の畔に銅像が建ち、康有為の記念館を廈門で見た記憶がある。
これらも全て以前のtea cup blogに記録していたが、愚かにも断捨離してしまった(涙)ついでに言えば、明代の張岱もそうだ。
それはともかく、そのあと、清朝滅亡と半植民地化へのきっかけとなる「義和団事件」が1899年に起こる。この時のことを映画化したのが「北京の55日」。 昔、むかし、子供の時みた記憶があるが、内容は覚えていない。調べたら日本公開は1963年だとか。それなら子どもの頃に見たことになるが、《英雄物語》といった感じだったような? 勿論、これは米国からの視線。今見たら別の印象を持つに違いない。
そのあと、中国各地では暴動が多発する。とりわけ湖南省では頻発したらしい。そしてそれを目撃した師範学校に通う青年がいた。そう!毛沢東である。
彼は、暴力と階級闘争が日常化する湖南省で育った。p200
1911年10月10日、武昌蜂起が起こる。現在の武漢、あのコロナ発祥の地はこの武昌と漢口と漢陽の合併後の都市だが、歴史上非常に重要な事件が何度か起こった一帯だ。阿片戦争でも舞台となった。
ここでも1人のイギリス人少年、宣教活動に従事した一族の子供、トム・ギリソンの手紙を通じてその出来事を著者は記述する。p204
現在は1000万を超える大都市だが、当時は50万都市。それでも長江中流域の条約港として外国商館も多かった。p203
こうして同時代の証言者の言葉で語られる歴史が素晴らしい!👍




