『自由の命運』10 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<素晴らしい番組>
土曜の夜はいつもの番組、『小さな村の物語、イタリア編』。10年ぶりにコロナ下の村にまた訪れた。単なる観光案内ではない人生の記録。素晴らしい番組だといつも思う。

イタリアは国外への出稼ぎが多い。他のEU諸国に比べれば貧しいかもしれないが、生活は豊か。それは平均寿命も健康寿命も世界でもトップクラスである事が証明している。
https://www.bs4.jp/italy/articles/0j6h1yevxoy5gueu.html

「歩くことに喜びを感じている」と番組の中の主人公たちが語っていたが、私もコロナでジムを止めて、そのかわりに歩くことを始めた。この団地に30年以上住んでいるにもかかわらず知らないことが周りに沢山あることを初めて知った。




<ダブル誤算>
上記の番組を見て日曜、急にパスタ料理を食べたくなった。そこで予めスマホで調べてみると近くのイタリアレストラン、La Festaは本日は休業とのこと。これが最初の誤算。それで確実なモールにまた行くことにした。ここにはピエトロ他が有る。それで店外でメニューを眺めているうちに気がついた。ワインが飲めないではないか! 車で来ているので当然アウト。そう思うと食べる気が萎えてしまった。それでもせっかくモールまで出かけてきたのでお酒なしで普段あまり食べないようなガッツリ系を食べようと別の店に入りサイコロステーキとハンバークのコンボを頂きました。



ま、ワイン抜きのパスタは魅力半減ですからね。




<出来ないのは闇があるから>
日曜朝のフジの日曜報道で甘利氏が出ていて大臣室で献金を受けた事を反省していた。

献金は合法的だから問題ないと思うが、大臣室で受け取ったのはあまりにも脇が甘い。本人も反省しきりだったし、本件は本人も秘書も不起訴になっているので疑惑は残るがこれ以上追求しても仕方ない。これを契機に透明性を確保する方策を与野党で構築すべきだ。野党だって献金は合法、グレーな金の動きを封じるシッステムを構築することの方が重要。

それで思うのだが、全て献金情報をいつでも誰でも簡単にアクセス可能なサイトにリアルタイムでアップする仕組みを構築すべき。こうしたことをせずに無駄な批判や弁明をしても意味ない。

それで思い出したのが科研費の審査での出来事、何度か審査員をしたことがあるが、その中で審査を断ったことがある。それはよく知った人の論文の依頼が来たから。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6477/trackback

審査員のリストはその時点では秘密になっているが(知り合いに審査を頼むということが起こらないよう)、役が終わったら翌年から公開される。従ってかなり透明性がある。従って知り合いの論文でも引き受けて問題ないと思うが、やはり無意識に人情が関わる可能性を考え敢えて断った。そうした仕組みを導入すればいいこと。実に簡単なことだが、それが出来なのはやはり闇があるからだろう。

因みに論文の審査は名誉職で謝礼はない。




『自由の命運』10
清の王朝成立時期の過酷な虐殺事件を記録した『揚州十日記』が引用されていた。p340 この書は清朝時代は禁書にされていた。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6560/trackback

現在でも『毛沢東 大躍進秘録』や『中国農民调查』が禁書にされているのと同様。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5663/trackback
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2837/trackback

清朝は農民反乱を防ぐ目的で1731年に地税を固定し、これは物価上昇を考えると事実上の減税だが、そのため国家の収税は減ったため公共サービスや大運河を含むインフラ建設をやめた。実際1840年には運河は通行不能になった。p342 

公共サービスの代わりに中国では宗族と呼ばれる血縁・地縁関係がその代わりを行い、政府はそれを支援し、祠堂の建設や家族制度の制度化を促したという。例えば1726年に清朝は100人以上の宗族が住む村には必ず族正をおくべしとの令が出された。p349~350  宗族の存在は確かに現代中国でもよく観察されること。

著者によれば民衆の政治参加の芽は秦代に摘み取られ、その後は専制のリヴァイアサンにより抑圧されたという。p346 

そんな中、民衆の組織化がなかったわけではないが、著者によればそれは血縁(宗族など)地縁によるもので、その例に多くの寧波人や安徽人、湖南人、広州人など「同郷組合」同士の勢力争いの例を挙げる。p347 そして漢口(現在の武漢の一部)での例を挙げ、最も自律的で積極的な社会が現れそうな場所でも、そのような動きが無かったことを挙げる。p348