<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=gKUoka-HWPA&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=13
HSK4 #11~#13 背了四十四分钟单词。
https://www.youtube.com/watch?v=7Cdc_yXujZM
https://www.youtube.com/watch?v=9pGwXhnFo9k
『中国まる見え情報局』142。看了十一分钟YouTube频道
https://www.youtube.com/watch?v=VqcEC3eww78
誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,3h52min~4h31min,听写一个小时一分钟句子。
HelloChinese,免费レベル終了、十四分钟。
https://www.youtube.com/watch?v=jfftlfPNF68
ヤンチャンCH/楊小溪看了十四分钟的频道。
日本は既得権益保護が酷い。革新的破壊が成長には必要。
https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk
【完全版1~1200】HSK5,16.5min~26min,x2, 背了半小时单词。
https://www.youtube.com/watch?v=1f8ff0eRdco
エリの中国語研究室,学习十二分钟汉语。一共三个小时六分钟。
运动;散步 4.7 km, 7460步,10 楼。
<2つの番組>
勉強の休憩時間にBSニュースを観た後、続いた2つの番組。「地球タクシー」と「駅ピアノ」。興味深く観入ってしまう。前者はネパールのカトマンズ、後者はオランダ、ユトレヒトが舞台。朝の貴重(?)な勉強時間が潰れたが、内容が良かったのでOKとしよう(汗)
政治腐敗が酷く、未だにカースト制度に縛られるネパールの現実。ネパールは仏教国だと誤解していた。仏教国はブータン?
日本のアニメ曲を歌うオランダの男性。ピアノを弾く若い男性の流暢な英語。レバノンから来た若者。インドネシアから養子でオランダに来たIT関連の男性。皆、インタビュー時英語が上手いのが判る。人種も様々、多文化主義のオランダが判る。2つの異なる社会、でも若者は同じ。受信料払ってOKの番組。
<筑紫神社>
火曜日、快晴の午後。思いついて筑紫神社に行く。黄砂が来ているとのことだったが、それほどでもない。遠くの山並みが綺麗に見える。こんな日はドライブ日和。神社まではナビによれば片道18キロ、30分程度で着くとの予測。
この神社、以前『邪馬台国論争の新視点』という本の中で紹介があったが、この地理的位置に注目した。
丁度、福岡平野と筑紫平野の境界線にあり、山並みが切れたところ軍事的には要となる位置。
Google Earthからの図
国土地理院のツールを使った3D地図(高さを6.9倍に強調した)中央が神社の位置。 両平野の境界、「守りの要」と言って良い場所。ここに要塞があったのかも?
先の本によれば「つくし」は「使い切った」とか「消耗した」という意味が起源だと書かれていたが、神社の由来を書いたものによれば「(命)尽くす」からきたとか。『筑後国風土記』位よれば、この地に、荒ぶる神がいて、ここを行き交う人を殺していたので、畏れてこの神を祀ったのが起源だとか。 先の本の解説とはちと違う。ま、そんなものでしょう。所詮、解釈次第の「何とでも言える世界」。
由緒
途中にお稲荷さん
神社入り口
本殿
ここにもかつて神宮寺があったのだろう。旧梵鐘
文政、天保時代の絵図があるが風化して何が描かれていたのか不明
本殿までのアプローチは、登りは階段(3階分とスマホで出たので3x3=9m高度)帰りは安全のため車道を下るが、ほぼ捻挫は回復したよう。
そんなわけで、夜にいつもの「夜の徘徊」を行う。帰りの上り階段途中で三日月と明るい星が並んでいたのでスマホで撮ったが、三日月は判別不能。あれだけ明るい星は金星?
『中国の歴史認識…』4
前回4章まで読み終わったところで返却期間が迫り、中断していた本を再び再開。
冒頭、著者は1991年を境に中共は共産主義の旗を降ろし、ナショナリズムへの転換を行ったという。そしてこれは選択の余地がないものだったと。即ち、冷戦構造が終結し世界中で民族的な野心や紛争がスタートした、中国もその例外ではないと。p174
さらに天安門事件(1989年)で世界的な反発を呼んだことに対し、中国人はこの政府に対する批判を中国人全体に対する批判、敵意だと解釈したとも。ここに中国人の性格、すなわち「集団主義的」社会からくるという。p175、p225
これはToddによる家族構造的分類である、「共同体社会」と関連があると感じる。また、それゆえにこそ、中国は代々、皇帝支配を続けてきた歴史があると個人的に考える。
それは兎も角、それを主導したのが江沢民。革命政党から愛国政党に舵を切ったとも。それに使ったのが歴史教育だとか。p177
そう、この歴史教育の影響抜きに現代中国は語れない。そこでの『選び取られたトラウマと選びとられた栄光』の理論が使われた。p190
実際には日中戦争で共産党は殆ど貢献していないにも関わらず <恥辱の1世紀を晴らしたのが共産党であるとのストーリーを展開した> この時のスローガンが、
『落后就要挨打』だとか! p192 つまり、「遅れをとると殴られる」から発展に向かい驀進しなければならないという。
それゆえにこそ、
<国際社会の中で成果を挙げることができるかどうかが共産党の正当性に直接関わってくるわけだ!>
<データーベースとして>
梁啓超が『東亜の病夫』という言葉を最初に使ったらしい。p219