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とうとうF1にステップしたミハエル

1991年8月ベルギーGPを前に、
ジョーダンGPのオーナーである「エディージョーダン」は、
チームのドライバーのひとりである「ベルトラン・ガショー」が
酔った上の喧嘩で警察に捕まりレースに出場できなった為
急遽代わりのドライバーを探していた。

旧知の「ペーター・ザウバー」に相談したところ、
彼は22歳のドイツF3チャンピオンを紹介してくれた。
F1をドライブした経験はないが、
将来有望なドライバーだと聞かされたジョーダンは、
一応彼をテストする事にした。

F1屈指のハイスピード・コースである
スパ・フランコルシャンに彼を呼び、
無理をしてマシンを壊さないように注意した。

しかし、その若者は予想を覆す速さを見せ
チーム・メイトの「アンドレア・デ・チェザリス」と
遜色ないタイムを叩きだした。
しかも、ミハエルはチームには嘘をついたが、
スパを走るのは初めてだった。

そして、予選ではF1初出場で7番手のタイムを出し、
F1関係者を驚かせた。
新人にタイムで負けた「チェザリス」は、
「あいつの方が当たりエンジンだ」と主張し、
エンジンの載せ替えをチームに要求したそうだ。

結局決勝は、マシン・トラブルでリタイヤに終わったものの、
ミハエルには多くのF1関係者の注目が集まった。
特に新興チームの「ベネトン」は、ミハエルに興味を持ち
レース後に接触してきた。
やり手のチーム代表である「フラビオ・ブリアトーレ」は、
ミハエルと話して彼がジョーダンと正式な契約を結んでいないのをいい事に、
ミハエルをジョーダンから引き抜いてしまう。

寝耳に水のエディー・ジョーダンは勿論激怒し、
この件は訴訟に持ち込まれたが、
結局ミハエルを取り戻す事はできなかった。

これが、皇帝ミハエル伝説の始まりだった。

フィレンツエンとミハエル

メルセデス・ワークス時代の「ミハエル」と「フィレンツエン」の動画。
こんなのも簡単に見つかるとは、「You Tube」って凄いっすね。

伝説の「ザウバーメルセデスC9」に乗りル・マンにも出場。
クラス5位の成績を得る。

'90 マカオGP 因縁の対決

前回マカオの話を書いたので、動画を探してみました。

トップを走りながらも「ハッキネン」にプレッシャーをかけられる「ミハエル」
とうとうストレートで接触。
「ハッキネン」はマシンを大破してリタイヤし、怒り心頭。
その後涙を流したのは、ハッキネンらしい。
「ミハエル」は、リヤ・ウィングを失ったもののトップでチェッカーを受ける。

実は、2ヒート制で争われるマカオGP。
1ヒート目を勝っていたハッキネンは、2ヒートを2位チェッカーでも優勝だった。
ところが、ミハエルが抜けそうに見えたハッキネンは、
無理をしてレースを台無しにしてしまった。

(ただハッキネンをクラッシュさせるべくわざとミハエルがぶつけたという噂が・・・)