今の部署に無事?残留。

そして仕事を仕事と思っていない2人が異動。

人員は多分1人減ですが、その穴は他のメンバーで補えるはず。

平成29年度は常に危機感を持って仕事をしていきたいと思っています。

仕事が出来ることに感謝しながら、家族のために頑張っていきます。

あと4時間ほどで異動の内示が出ます。

やっぱりそわそわ。

まぁ、程よく緊張しながら、気楽に待とうと思います。

なるようにしかならないですし。
休職中に使っていたブログを昨日消去しました。

理由は1回の記事を長くしてしまっていることと、当時の自分が恥ずかしいから。

ちょっとスッキリ。

明日の今時分には、来年度の部署が決まっていると思うと、やっぱりそわそわしてしまいます。

出来ればあと1年、今の部署にいたいです。

まぁ、こればかりは僕の力ではどうすることもできませんが。

でも、今こうして異動の心配が出来るのは有り難いことです。

感謝の気持ちを忘れずに。
内示発表の日を上司から聞きました。

週明け27日の月曜日。

今の気持ちは、残留が第一希望。

次が、とある部署への異動。

これが今の気持ち。

現状考え得る最善の希望。

でも人生、色んな理不尽がありました。

これからもあるでしょう。

内示も自分の思いどおりにならない、ある意味理不尽なシステム?

だからこそ今はココロにゆとりを持ち、ゆっくりと考えよう。
昨日は家族3人で遊園地的な場所に出かけました。

娘はアスレチックが好きで、昨日も3回くらい同じようなもので遊んでいました。

その際、娘が5~10分ほどアスレチックの中をいったりきたりして見当たらなくなりましたが、僕はすぐ出てくるだろうと何にも心配していませんでした。

ですが、妻はもの凄く心配だったようで、係のおじさんにも声をかけ探していました。

案の定というべきか、すぐに娘は確保?する事が出来ました。

妻は仕事などではあまり心配症なところはないと思うのですが、娘のことになると良い意味で、心配症が発動します。

僕とは全く逆。

そのうち見つかるだろうという考えと、失敗しても何とかなるだろうという考え。

私も妻と同じ後者の考え方ができればと思うのですが、まず無理でしょう。

だから娘には妻と同じような考え方になってほしい。

お願いだから、僕と同じ用にはならないでほしい。

僕と同じ職場に同い年の女性職員がいます。

 

自分を棚に上げて言うのも何なのですが、仕事をしません。

 

正確に言うと、好きな仕事はするけれど、嫌な仕事はしないという人です。

 

それでも上司からするようにと言われると、

 

黙り込む→休む→他の職員がする→期限が過ぎたあと、しれっと出勤

 

という形になります。

 

普通ならめちゃくちゃ怒られるはずなのですが、病休を取ってしまうと上司の評価にも影響があるので、お咎めなし。

 

正直、同じ給料でこれだけ業務量が違うと・・・

 

それに定時になったら速攻帰るし。

 

その女性職員が異動になればいいのになぁ。

僕は仕事をして1年経ってから、夜間大学に通うようになりました。

そこでは同じような境遇?の4人とつるんでいました。

僕以外の3人は無事卒業。

僕は4年の時、うつ病になり卒業できませんでした。

あと2単位だったのですが、砕けたココロでは無理でした。

また後日書こうと思うのですが、あの時まで自分が精神病になるなんて思ってもいませんでした。

そして精神病がこれほどまでに辛いということも。

脱線してしまいましたが、一緒につるんでいた一番仲の良かった友人sから、昨日13年ぶりくらいに電話がありました。

この6月に結婚するとのことで、いらなくなったサッカーフィギュアをもらってくれとの電話でした。

祝いも渡したいので、年度明け何もなければ会おうと思っています。

あのとき、まだ20代でした。

1日は長いのに、年単位になると本当に早い。

最後に。

友人sには幸せになってほしい。

他部署の課長が病気で休むことになったようです。

病名は癌。

これまで出世街道まっしぐらで、はたから見れば部下にも優しい人のように見えました。

でも実際は違ったようです。

部下が休日出勤した際も残業代を減らすため、有無を言わさず代休を取らせていました。

そうすることで、これまで残業の多かった部署の残業を削減したと評価されていました。

実際は有休も殆ど消化できず、無理矢理代休を取らされ更に残業が増えていたようです。

その課長はこのままいけば、かなり出世していたと思います。

部下を自分の出世のため(だけとは言えませんが)に使い、ここまで来ても癌になれば、前例から考えると、ある程度のポジションは与えられるけれど、思っていたような出世はまず無理です。

僕はその課長が癌になったから気の毒とか、可愛すだなんてことは思えません。

寧ろ、我ながら最悪ですが嬉しく思ったりします。

そして病気というものが、あらゆるモノを奪っていくことを久しぶりに痛感じました。

一度病気になり休職してしまうと、以前と同じ場所に戻ることは不可能です。

当然、僕もです。

その脱線し残された選択肢のなかで、どう生きていくのか。

幸いなことに僕にはこれを考える時間とココロの余裕があります。

4月にどうなっているのか、人事の上のほうの人はもう知っているんだと思うと、少し羨ましく思います。
今の職場は実質4年目。

ある程度要領も分かってきて、段取りもよくなってきていると思っています。

なので、今年度中に処理しなければいけない仕事は、ほぼ完了。

いい意味で自由な時間が増え、色んな仕事を考えることができます。

そして万が一?の異動に備え、引き継ぎ書類を作成中。

この書類が無駄になればいいのですが……

といっても、いつまでも同じ部署には居れない訳ですし。

人権課とかなら異動したいかな???と都合のよいことばかり考えてしまいます。

母が亡くなり、少しは吹っ切れるかなぁと淡い期待を持っていたのですが、そんなに甘くはありませんでした。

職場の人に見つからないようにする生活は変わりませんでした。

ですが少し変わってきたのが、1歳になった娘の服を買うようになったということ。

当然1歳の娘がどんな服を着たいかなんて言いません。

だから僕好みのアメカジっぽい服を、通院の際に買っていました。

 

これが少し回復の兆しだったのかもしれません。

 

それまでは娘は可愛い存在でしたが、正直一緒にいて辛いときも結構ありました。

 

その辛い時間も少なくなってきて、本当に可愛いと思えるようになってきました。

 

というより、その時の娘の記憶がはっきりとありません。

 

現実逃避していたからだと思います。

 

この時はたぶん2013年の1月頃。

 

今から約4年前。

 

早いのか遅いのか。