父親から連絡があり、自宅においてあるサッカーフィギュアを処分してもよいかと聞かれた。

いったん保留にしました。

それらのフィギュアは僕が10以上前から集めており、現在は倒産した会社のフィギュアです。

病気で辛いとき、そのフィギュアを見て癒されたことがありました。

妻とも一回だけですが、一緒に買いに行ったこともあります。

そんな大事なフィギュアですが、いつかは処分しなければならないことはわかっています。

でも、もうちょっとだけ考えたい。
あっという間に3月になっていました。

僕も復帰して4年目。

休んでいる間も合わせると、5年目。

そろそろ異動があっても不思議ではありません。

課長は暗に、僕ではなく、同い年の女性職員を異動させたいと言ってくれてはいるのですが、こればっかりは分かりません。

今年は何日に内示があるのか、色んな意味で楽しみ?です。
今年もあと1日。

そしてあと3ヵ月後には人事異動の発表。

ある程度ココロの準備は出来ていますが、やっぱり不安です。

出来ればあと1年、今の部署でいたいというのが本音です。
今年の仕事もあと2週間。

4月から今まで本当にあっという間でした。

2012年の同じ時期と比べると雲泥の差。

仕事量で多少の不満はありますが、仕事をできるということは本当に有り難いことです。

そしてあと3ヶ月経つと人事異動の時期。

出来れば今の職場がいいのですが、ある程度こころの準備もできている感じです。

多少、不安になるときはありますが。
今日は頭が痛く、鼻水も止まらず結構な風邪気味。

本音は1日休みたかったのですが、結局休めず。

ですが、あの時、仕事ができずに家で蹲っていたときに比べれば、全然マシ。

仕事が普通にできる有り難さ。

感謝しなければいけません。
昨年度まで僕の上司だった人。

60歳になり再任用申請をせず、家でゆっくりするということで、42年の公務員生活を終え、無事退職されました。

気が小さく、どこか少し抜けていて苛つくときもありましたが、根は優しい田舎のおっちゃんという感じの人。

ある意味メンタルは強い人でした。

先日、ある人から元上司が鬱だと聞きました。

10年くらい前はよく

『こころの風邪』

と言われていたこの病気。

どんな人でも患ってしまう病気なんだと、改めて痛感させられました。
5月に退院する際、母がリンパ腫だと聞かされていました。

母は大丈夫と言っており、父や兄も同様。

そして僕自身もそれどころではなかったので楽観視していました。

退院後は本当に本当に少しずつ寛解に向かっており、本を買いに妻と娘の3人で近くの本屋さんにも行っていました。

そして9月。

母から夜中に電話がかかってきました。

『病院に連れて行ってほしい』

ちょうどその日、父は仕事の関係で仙台まで行っていたため、実家には母一人。

病院に行って待合室で待っていると、仙台から急遽父も帰ってきました。

ここらへんから少しずつ、心の準備が必要であると感じるようになりました。

母はその後も痛みに耐え、最期まで我慢し続けました。

12月、母は亡くなりました。

58歳でした。

母の最期の願いである

『娘に会いたい』

という願いは敢えて叶えようとしませんでした。

『妻や娘に、今の苦しそうな母を見せたくない』

自分勝手だったかもしれません。

でも後悔はしていません。

娘の記憶のなかに薄っすらと少しでも、母の記憶が残っていると信じているから。

母が亡くなる前の日、何故かは分かりませんが明日に向けて最後の覚悟を決めようと思っていました。

今でもなぜだか分かりません。

だからその日は涙が出ませんでした。

そして次の日、一人部屋のなかで泣きました。

葬儀は色んな感情が入り乱れました。

感謝、憎しみ、苛立ち、悲しみ、無力さ。

葬儀が終わると不謹慎ですが、心が落ち着きました。

母に対する感謝の気持ちと復帰するという決意。

そして自殺なんて馬鹿なことをしないという決意。

まだ続きそうなので、また後日。

僕の性格は、10が一番気が短くて1が気が長いとすると、7〜8くらいのランクの気の短さだと思います。

 

結婚し、娘が産まれて多少気は長くなったとは思いますが、それでもまだまだ気が短いほうです。

 

またコミュ力については結構ある方だと思っています。

 

相当嫌いな人以外であれば、初対面の人とでも半日くらいであれば喋っていれます。

 

パッと見は明るく社交的に見えるよう心がけ、相手からもそう見えていると思います。

 

以前サッカーを一緒にしていた人に言われたことがあります。

 

『○○君は大きい悩みとか無さそうやなぁ』

 

本当はそう取り繕っているだけ。

 

アウトドアなんか大嫌いで、一人部屋で趣味なことをしているのが大好き。

 

2、3日は家から出なくても平気な性格。

 

でも、周りにはそう思われたくない。

 

社交的で活発な人間。

 

そう思われたい。

 

これがこの病気の原因の大部分を占めていると思います。

 

最近はやっとこれらを受け入れ?本当のネクラな自分を職場の人にも伝えることが、少しずつですができるようになってきています。

 

でも、この性格を完璧に把握し曝け出せるかと言われるとまず無理です。

 

やっぱり捨てられないクソみたいなプライド。

 

このクソみたいなプライドとうまく付き合っていけるかが、普通の幸せを継続させるかのポイント。

 

生きていくって難しいです。

 

 

約1ヶ月で退院し、妻と娘の3人での生活に戻りました。

僕の甘い考えでは、もっと自由に、もっと楽になるだろうと考えていました。

ですが、どこからともなく湧き上がってくる罪悪感と不安感。

特に罪悪感というものを、これほどまでに感じたことは今までありませんでした。

 

何をやっても

 

『申し訳ない』

 

という感情が湧き上がってきます。

 

妻からは、

 

『何も気にしないでゆっくりすればいい』

 

と言ってもらっても、それを言わせている自分にまた罪悪感。

 

ですが、その言葉がなければ今こうして生きていなかったということも確信しています。

 

そんな中、一番癒される時間は、妻と娘との3人での朝の散歩でした。

 

娘をベビーカーに乗せ、近くの神社や畑の横の畦道をゆっくりゆっくり散歩。

 

あまりこの時期の記憶は不確かなモノが多いのですが、この記憶だけは天候やどんな服装をしていたかなど鮮明に残っています。

 

まだまだ続きそうなので、また後日。

ここ2.3ヶ月、我が家では毎週金曜日の夕食はくら寿司に行くのが定番となっています。

次の日は休みなので、多少寝るのが遅くなっても問題無いので、本当にちょっとした贅沢です。

こんなちょっとした幸せが死ぬまで続けばいいのに・・・

いつかまた苦しいときがくると思うと少し憂鬱です。