5月に退院する際、母がリンパ腫だと聞かされていました。

母は大丈夫と言っており、父や兄も同様。

そして僕自身もそれどころではなかったので楽観視していました。

退院後は本当に本当に少しずつ寛解に向かっており、本を買いに妻と娘の3人で近くの本屋さんにも行っていました。

そして9月。

母から夜中に電話がかかってきました。

『病院に連れて行ってほしい』

ちょうどその日、父は仕事の関係で仙台まで行っていたため、実家には母一人。

病院に行って待合室で待っていると、仙台から急遽父も帰ってきました。

ここらへんから少しずつ、心の準備が必要であると感じるようになりました。

母はその後も痛みに耐え、最期まで我慢し続けました。

12月、母は亡くなりました。

58歳でした。

母の最期の願いである

『娘に会いたい』

という願いは敢えて叶えようとしませんでした。

『妻や娘に、今の苦しそうな母を見せたくない』

自分勝手だったかもしれません。

でも後悔はしていません。

娘の記憶のなかに薄っすらと少しでも、母の記憶が残っていると信じているから。

母が亡くなる前の日、何故かは分かりませんが明日に向けて最後の覚悟を決めようと思っていました。

今でもなぜだか分かりません。

だからその日は涙が出ませんでした。

そして次の日、一人部屋のなかで泣きました。

葬儀は色んな感情が入り乱れました。

感謝、憎しみ、苛立ち、悲しみ、無力さ。

葬儀が終わると不謹慎ですが、心が落ち着きました。

母に対する感謝の気持ちと復帰するという決意。

そして自殺なんて馬鹿なことをしないという決意。

まだ続きそうなので、また後日。