「文化の日」

「文化の日」って、なんだ?初めて思った。

遅ればせながら、恥ずかしい歳ですが、「文化の日」を始めて辞書に見た。

「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とあった。辞書によって多少違うかも知れない。

「自由と平和を愛する」ということ。

蛇口をひねったらすぐでてくるような自由と平和のことではない。

軍政下や内乱の中でそれらは黄金にも等しい。

「文化」とは何だと思った。

辞書には、「その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)。また、それによって創(ツク)り出されたもの。〔ただし、生物的本能に基づくものは除外する〕とある。

自由と平和は造り出さなければ生まれない。しかも、それらを「愛する」とある。

血を流しても得ることであろう
ヴィヴァルディのモテトは ミサとミサの間に演奏された
中世の人々にとっては現代のロックのように感じ、この演奏のときだけ若者が溢れたのではなかろうか。
そう思うと楽しくなる。

小説家の宇野千代さんが書いていました。「わたしは、何かいやなこと、辛いことがあると、その中に自分から飛び込んで行って、それと一つになってしまうのです」。

そんなことどうやって出来るのだろうかと思います。宇野さんは言います。例えば、夫が「別れてくれ」と急に言い出したならばあなたはどうしますか。

夫にしても、妻から「離婚よ!離婚よ!」と言われたらてんやわんやです。当然の如く、妻を家事や子育てのために奴隷のように使ってきた夫にしてみれば理解不能になります。

宇野さんはそんな時、「ええ、いいわ」と応じて、先立って荷造りをして、別の女のもとに走って行けるようにして上げる。こうして苦しいことと一体になるというのです。

苦しみに襲われるのではなく、苦しみを我が物にしてしまうのです。すごい知恵と勇気でね。わたしもいつかそう言われることの覚悟をしましょう。


写真:富士通株式会社 サンプル


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すべての因習が悪いとは言えません。


しかし、因習的形式主義は目前の人に自動的服従を要求します。


社会関係において、教育において、それは悲劇的な力となって働きます。


因習的形式主義は新しい存在や新しい生命力と創造力とを破壊してしまいます。


若い生命を萎縮させ、愛に代わって法が縛りつけます。


形式が本来の意味を破壊します。


さらに悪いことは、因習的形式主義に対して情緒的・気分的に反発しようとするとき、それは爆発的、破局を招きます。


人はこの因習的形式主義に陥りやすく、誰かを縛ろうとする。安心が生まれる


その人に対応して、そのつど実存的に受け止め、導き、その人の能力を引き出していくことは難しい。



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会議をしているときは、もうこの会議しかないんだと思ってすること。


人様とお話ししているときは、次にある会議は傍らにおいて、


わたしにとって大したことなく、たとえ煩わしくとも、


そのことがその人にとって重要なことであり、心を込めてお目にかかること、


ところが、どれほど「忙しくついでに」、お会いしたことばかりであったろうか。


一人の面会を大事にすることは、次の会議への最善の準備になるのです。


冬は暖房をつければ暖かくなります。-20℃になるような日でも、


北海道
では部屋の中は温かい。本州に住んでみて思うことは、


北海道
人は寒さに弱いな、ということです。


しかし、人生の冬は暖房器具では暖められません。


人生にも寒くて、辛い冬の時期があります。


でも、冬の間は冬をしっかりと生きたらいいのです。必ず、春は来ます



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腰が痛い。ぎっくり腰の前兆です。


年に数回、歩けなくなる。初めては、23歳のときに大きなのをやりました。


それからは、年に度々です。


最近、何もしていないのに、ただ椅子に座っているだけで痛くなります。


原因はわかっています。体重です。バンドがきつくなりました。


誰かさんも、「12月までに痩せなければ」と「頼りない決断」をされていますが、


何故12月なのかは判りませんが、


わたしは決断しません。挫折するから



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『冬が来たら』 坂村真民作

冬がきたら


冬のことだけ思おう


冬を遠ざけようとしないで


むしろすすんで


冬のたましいにふれ


冬のいのちにふれよう



冬には沈黙があります 


自己試練のときでしょう


冬だけにある豊かさ 美しさがあります


冬こそは「魂の壺」、「宝の壺」です


北海道
の畑は半年 雪に閉ざされています


その間に土は休息し 熟成し 春には 黒ぐろとなります


本州の畑の土は 休息も熟成もありません 赤茶けた色です



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Paul Tillichは音楽の「心情の理性」について次のように述べている。

音楽は数学よりも合理性に欠けているのではない。

音楽における情緒的要素は、数学には閉ざされている実在の次元を開示する。

もちろん、音楽にも数学的性質が暗に含まれている。

しかし、これはそれらのものの本質ではない。

これがパスカルの、「理性の理解出来ない心情の理性」についての意味である。

ここで、「理性」は二重の意味において用いられている。「心情の理性」とは美的(美と愛)の構造である。

「それらを理解することの出来ない」理性とは技術的理性である。

「組織神学1(谷口美智雄訳)」(新きょう出版社)

技術的理性でもっては、音楽は理解不可能な領域で、「心情の理性」が必要なんだよな。

簡単に言えば、きっとある曲を聞いて感動することかな



写真:T.I



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励まし合いなさい」と言われるが、文字通り、互いに勇気付けなさい、元気付けなさいということであろう。


やはり、人間は一人では頑張れない。


友が互いに励ましあってこそ、どんな激流にも渡りきる瀬もある。


ところが、blogで励まされるどころか叱られる、ということが度々起きる。


叱責するのが得意な人もいる。それでは何のためのblogであるのか判らなくなる。



Blogは裁判所のように人を罰するところではない、祝福し、励ますところだ



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 「秋の日の ヴィオロンの ふし長き すすり泣き」   ベルレーヌの詩の一節ですが、


これ知ってますか。


第2次世界大戦で連合軍がフランスのノルマンディーに上陸するときに、


ラジオ放送に使われた「上陸するぞ」という意味で暗号として使われたこの詩がフランス中に流されたそうです。


これを合図に連合軍、そしてフランスのレジスタンスが動き出したのこと。


映画では、「史上最大の作戦」という題でした。原題は「もっとも長い日」です。


このとき、ヒトラーは「パリは燃えているか?」と叫んでいたそうです。