「物質と精神」は「意識(影響力というエネルギー)の表現違いである」というのは、前の記事で書いたけど
じゃあ、
物質的な行為もすべて精神世界に置き換えられるってコトなのよね~♪
(≡^∇^≡)精神に置き換えた時に・・・
一番身近かつ謎が多いのは「食べる」コト!一方的に相手を自分の肉体の糧にしてしまう・・・
毎日してるコトだけど凄いことよね(;・∀・)

肉体の糧は、
「食べ物に含まれる周波数(波動)」が自分の肉体に与える
「振動」精神の糧は、
様々な出来事が自分の精神に与える
「感情の動き」だと思います。
喜怒哀楽、どれでも良いんだけど
とにかく
「感情の動き(ブレ幅・ストローク)がある」ことがエネルギーを生む。
だから、感情が全く動かない工場の
ライン作業とか
ラクなはずなのに人気ないでしょ?
アレは
「退屈こそ精神にとって一番の害悪」だって、無意識化で知ってるから。
( ̄ー ̄;そう考えると、肉体も精神も・・・
どちらも
「自分の周波数が動く(波動の振動)」こそがエネルギーなんですね~♪
(^ω^ ≡ ^ω^)おっおっおっ【精神の食事をするには?】「精神の糧」は感情さえ動けば生まれるので
「感情を動かす環境づくり」が
「精神の食事」といえますな。
単的には
映画を見たり、ゲームをするのもそう
ハラハラドキドキワクワク!
興奮することで感情が動くから♪
でも、
楽しいこと・嬉しいことばかりが感情の動きではありません
当然、
怒り・悲しみなども大きな感情の動き。

例えば、自分から
要らない苦労を背負ったり・・・わざわざ
嫌いな人を探しては、批判して憤慨したりするそんな
ケンカ好き・苦労好きさんって居ませんか?
(Twitterなどでよく見かけます)あれは
闘争意識(競争)によってアドレナリンが出て興奮したり
被害者意識をもつことで
「他者の否定(怒り)、自分の境遇への憐憫(悲しみ)等を感じることが出来る」からなんですよ
。(´д`lll) つまり、見た目では怒っていても・・・嘆いていても・・・
本音では
「美味しい美味しい」って思ってるワケなんです(笑)
※もちろん本人は無自覚であるそういう人は、自分の感情を動かす為の
「厄介ごと」を無自覚に作り出したり波乱のある要因を引寄せたり、引寄せられていきます。
身近な人からすれば、まさに
トラブルメーカー(疫病神)
ヽ(;´ω`)ノ
本人に
「なんで自分から面倒ごと背負い込むの?」なんて聞いてもムダ
「私はいつも一生懸命キチンと生きています!おかしいのは周りです!」って返してきます。
それは
「世間的・一般的な評価基準に沿った自分」という
「鎧(ハリボテ)」を被っているから。
ヽ(`Д´)ノ Σ(・ω・;|||本来、その鎧のせいで
「素の自分」が出せなくなって、精神が
退屈を感じてるのが原因なんだけど・・・
周りの目(親・教師・友達・世間)が
怖くて鎧が脱げないから
鎧を脱ぐことを諦めて、
かわりの「刺激」が必須になってしまったの。

エネルギーバンパイア・エナジーバンパイア
精神の吸血鬼と呼ばれる者の正体もコレなんです。
自らの感情・感性を封殺(否定)することで、
心が動かなくなってしまった状態。
自己愛を無くし、合いを無くし・・・
自然のエネルギーが生むことが出来なくなってしまった。
だから怒りや悲しみを呼び起こす
「トラブル」を常に求め
即席のエネルギーを無理矢理作ろうとする。
でも、それは結局
自己否定の延長でしかなくて・・・
結局は余計に自分の首をしめることになるんだ。
(だからもっとトンデモナイ刺激を欲して身を滅ぼす)まいのこは、こういった
「負の感情しか食べられない人」は
「負のループに陥ってる人」と思って距離を置くようにしています。
ε=ε=ε=(┌ ^ω^)┘
本人の問題(課題)だから、コチラが勝手に手を差し伸べるのは相手の学びの邪魔になる。
どん底まで落ちるのも一手だからね。
【何故、怒りや悲しみではダメなのか?】感情が動けば何でもエネルギーなんでしょ? と思われるでしょうが・・・
「楽しい・嬉しい」と「怒り・悲しみ」では
「エネルギーの質が違う」んです
m9( ゚Д゚) ドーン!

周波数・波動・振動というのは、いわゆる
「波」ですね
波というのは、
大きな波がくれば その後同じだけ下がるのが法則。
(振り子の原理も同じ)
怒り・悲しみというのは、どちらも
「大きな波(密度の粗い波)」です!
怒りは、グワァァァっと一気に昂り、悲しみはグワァァンと一気に落ちる。
先に上にいくか下にいくかの違いだけですね。
「大きな波」というのは
一時的に大きなエネルギーを生むのですが
長続きしないのが特徴なんです(すぐ戻ってしまう)
※これは物質世界でもあてはまるコトで、エネルギー自体の性質ですね
そして・・・「大きな波」ばかり求めると、上り下がりが激しすぎて
やがて
感覚が麻痺していってしまうんですよ。
Σ\( ̄ー ̄;)どれだけ強い刺激でも、続けば慣れてしまいますからね。
すると余計に大きな波を頻繁に求めるようになり
「大きな波の中毒症状」に発展します。物質的には
「舌バカ」「パチンコ中毒」「アルコール中毒」等と似た状態です。
こうなると、チョットやソットでは一切「振動」を感じられなくなるので
極端に大きな波を渇望するようになり、
常軌を逸した行動をするようになってしまいます。
これが
DQNといわれる人達です。
(θωθ)/~
反対に
「小さな波(密度の細かい波)」というのは
今あるものに感謝したり、当たり前の日々、「今」を心地良く思い楽しむコト。
動くのは環境ではなく、自分の見方というワケですね。
(*^ー^)ノ

すると
刺激のある要素を求めなくても
牛さんの反芻みたいに
「今の小さな幸せ」をズ~~っとモグモグ噛み締められるのでお得です(笑)
小さなことの積み重ねだからこそ、「小さな波」のブレ幅はいつも非常にゆるやか
ゆるやか(穏やか)である、というコトが
エネルギーの質に大きく関わっています。
この図だと、小さな波は
階段状の波形の方。
曲線の大きな波の波形は、ドビューンと上がってバビューンと下がってますが
階段の方は、
「1段1段の段差」はさほど違いがありませんよね?
全体を観れば同じような波形を作っていても
片方は極端、片方は緩やかな上下の仕方なの。
「極端なもの」というのはパッと目をひきますが
「すぐ飽きる」脆さをもっています。
「いつでもあるもの」というのは、注目度はないけど
「飽きにくい」粘り強さがあります。
大きな波:大量の「派手だけどすぐ飽きてしまうモチャ=合っていないもの」
小さな波:少しの「地味だけどずっと楽しめるオモチャ=合うもの」
大きな波:大量の「見栄えはいいけど味もそれなりな料理」
小さな波:少しの「地味だけどいつ食べても美味しい料理」人は
「合うものが少し」あれば
特別刺激的なことがなくても、沢山の物・出来事に囲まれなくても
継続する喜びを感じ続けることが出来るもの。
でも、その為には
「自分の感性から生まれる感情の動き」を
素直に出せることが重要なの!
先ほどの苦労好き・闘争好きさんのように
「鎧(自分の本音を隠すもの)」を着てしまうと
小さな波を生むことが出来ません(><;)
自分の気持ちにピントが合ってること
自分に合ってること
自己合い(自己愛)があることそれこそが、
良質な精神のエネルギーを生む基本なのです
(^ε^)♪(≧▽≦)(*^o^*)とはいえ・・・
ジャンクフード(大きな波)を食べるのも
和定食(小さな波)を食べるのも
それぞれが、
今の自分に合っていると思って選んだメニューです。
ジャンクフードの与えてくれる振動は荒く長続きしない故、
非効率的です。
ハタから見てるとヤキモキしますが、それはそれでいいの。
通過する道の途中というだけで、やがて皆自己愛を取り戻すと共に
「極端なモノ」には惹かれなくなっていきます。
すべて必要な経験で、途中経過をすっ飛ばしたら意味ないからね。
飽きるまで味わいきるのが一番の早道。見守るのも・離れるのも合いです。
(*^ー^)ノ~☆