【平成30年5月14日(月)】
【磐余池辺雙槻宮】(敏達天皇14年~) 所在地:橿原市東池尻町221(東池尻・池之内遺跡)
第31代用明天皇 在位:敏達天皇14年(AD585)~用明天皇14年(AD587)
都は磐余池辺雙槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)。『日本書紀』によると磐余池辺雙槻宮は5世紀前半に履中天皇が造った磐余池のほとりに建設されたとされている。
現在の奈良県桜井市阿部あるいは同市池之内などの説があったが、2011年に天香久山から北東に数百メートルの位置にある発掘現場(橿原市東池尻町221)で古代の堤跡とその堤上の大型建物跡が発見された。周囲の地形は弧状になっており、人工的に造られた堤跡とみられる。池は平安時代頃まで存在したが、その後埋め立てられ耕作地として利用されている。堤跡上には東西4メートル、南北17.5メートル以上の大型建築物とその他の建物6つ、塀跡が見つかっており、磐余池辺雙槻宮である可能性が高いと報道されている。(ウィキ抜粋)
「磐余」の付く宮としては「磐余若桜宮」、「磐余稚桜宮」、「磐余甕栗宮」、「磐余玉穂宮」、そして「磐余池辺雙槻宮」の5宮ですが、この「磐余池辺雙槻宮」だけが、“磐余池辺”と付くことからも宮が磐余池の畔にあったことが伺えることから、以前、磐余玉穂宮の時にも訪れた東池尻・池之内遺跡が、磐余池辺雙槻宮の可能性が高いのではないかと思います。