敏達天皇 訳語田幸玉宮(他田宮・磐余訳語田宮) | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
普段は奈良を中心に周りで起こった他愛のない出来事を綴っていきます。
ペナントレース中は甲子園球場に出没しています!
奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成30年5月11日(金)】

 

【百済大井宮】(敏達天皇4年~)  所在地:奈良県桜井市戒重557 春日神社

第30代敏達天皇 在位:敏達天皇4年(AD572)~敏達天皇14年(AD585

敏達天皇4年(575年?)、卜占の結果に従い、訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや)、現在の奈良県桜井市戒重。他田宮へ遷ったとされる。

 

訳語田幸玉宮の所在地については従来、桜井市太田とする説と桜井市戒重とする二説あった。しかし戒重村はかつて他田庄と呼ばれ、また、戒重村の小字「和佐田」(わさだ)は明治以前「他田」(おさだ)であった。そしてこの春日神社は古くは他田宮(長田宮)と称したことなどからこの地域が考えられる。

拝殿

 

本殿

 

 

 

一方、桜井市太田とする説はJR「巻向」駅近く、纏向遺跡の西側に鎮座する他田坐天照御魂神社が伝承地と云われていますが、宮跡を示す石碑、説明板等はありませんでした。(所在地:奈良県桜井市太田205)

式内大社なのにかつての繁栄は見られない…。

 

敏達天皇 河内磯長中尾陵