今回の参詣は、もうじき1000回目を迎えるにあたって、自分にとって度々所縁のあった港区内で、公開せず残っていた5つの神社を巡ります。まずは高輪の高山稲荷神社へ。

ここは日本有数の巨大ターミナルである品川駅(高輪口)の目と鼻の先。第一京浜という大通りを渡ったところに石製鳥居が見えてきます。

 

 

 

 

当社は、500年以上前に創建された宇迦御魂神を祀る稲荷神社。

平均坪単価865万円の高輪の中でも、品川駅の目の前という超絶一等地に鎮座していて、どんなに古びれていようが後光が差しているように見えます。

 

 

 

 

狛犬

右が子抱きで阿形、左が鞠を抱え吽形。爪の形に違いがあり、もしかしたら雌雄の特徴もあったのかもしれませんが、確認できませんでした。

台座には「慶應元丑年 九月吉日 別當安養寺現住 法印智海澄眞代」といった文字が見えます。

西暦では1865年、天狗党の乱・池田屋事件・禁門の変などが起きた翌年に当たり、当年はリンカーンが暗殺され、不思議の国のアリスが出版された頃。他に「天下泰平 國家安全」「高輪中町 鳶頭寺澤庄五郎」と刻まれています。

 

 

 

 

手水舎

龍の吐水。

 

 

 

 

もう一つ置かれている手水鉢には、「施主深川遍渡舟仲間中 延享二乙丑正月吉日」とあります。舟の字が”守”とか”永”にも見えるのですが、深川周辺の渡し舟仲間内ということだと思います。

西暦では1745年、浄瑠璃の最盛期で「夏祭浪花鑑」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」といった現代にも残る名作が誕生した頃で、他にも華美禁制、朝鮮風衣装での辻踊り禁止などの風俗規制もあった時代。

 

 

 

 

品川高山稲荷神社の画像

今となってはわかりづらいですが、江戸時代までは台地の上に鎮座していたことから「高山」の号が付きました。また今の社殿は東向きですが、当時は北向きで、参道も北側の柘榴(ざくろ)坂から参道が伸びていました。

 

 

 

 

高輪高山稲荷神社の画像

御由緒

境内掲示より字体などそのまま記載

高山稲荷神社の由来

御祭神 宇迦御魂神(食物主宰産業神)

例祭日 九月十五日

高山稲荷神社は京都伏見稲荷大社の御分霊・正一位福聚稲荷大明神の御神霊を祭祀しております。往時の文献によれば今から凡そ五百年前当地域に神社の建立を御勧請し神社を建立したと記されております。当時高輪の地形は小高い丘陵で社殿は二百数十段の石段の山峰に位置し山上の神社故高山神社と称されたと伝えられております。現在の社殿前方品川駅一帯は見晴らすかぎり海辺がつゞき遠く房総方面より往き来する舟の目標となったものと記されております。(寛政年間の江戸名所絵図参照)

明治初期毛利公爵が当地に邸宅を構えるに及び同家より広大な敷地の寄進があり境内からの眺望は目を見張るものがあったと思はれ明治天皇が京都より江戸への遷都に際して当所で御休息・御野立をなされたと伝えられております。(毛利家所蔵文献参照)

大正十二年関東大震災後国道の拡張に伴い約十五米の境内を失い参道も(旧参道は現在地北側約三十二米先の石畳道路に面しており南方へと向かって石段を昇った)現在の方位に移りましたが歴史の流れと共に社殿の損傷も著しく昭和の初期諸先輩の努力により高山神社奉賛会を設立し氏子一同の熱心なご協力により昭和六年九月吉日社殿の御造営を落成し現在の荘厳な新社殿を仰ぎ見るに至った。当社は古来高輪南町・下高輪町(旧中町)の鎮守の神として氏子町民の信望を集め毎年九月十五日を期し賑やかに大祭の行事を執行致しております。

昭和六十三年に至り約六十年間風雪に耐えた神社大鳥居並社殿内外の大改修の必要にせまられ茲に奉賛会会員並氏子一同の絶大なる御協力・御奉納により改修の完成を見るに至った。

当神社は数百年来鎮守の神として氏子町民の守護神として信望を集め強いては全人類の平和と幸福を祈り国家の隆昌と子孫の繁栄に御加護下さる由緒ある神社です。

昭和六十三年九月吉日建之

高山稲荷神社奉賛会

 

 

 

 

港区の猫の画像

ネコにとっても居心地良いみたい。

 

 

 

 

 

しゃもじ シャグジ 石神の画像

おしゃもじさま

境内社としてあるこの小祠は、もとは柘榴坂上、現在のグランドプリンスホテル新高輪の南東側に鎮座していました。関東に多くみられる、古代のシャグジ信仰からなるもので、遮軍神(しゃぐじん)や石神(しゃくじん)と称され、江戸時代までは石剣が祀られていました。おそらく廃仏毀釈の頃、狛犬の銘にもあった安泰寺が廃止になり、高山稲荷まで移されたと思われます。

 

 

 

 

御由緒

港区の掲示より

港区の文化財高山稲荷神社 石燈籠(おしゃもじさま)

「おしゃもじさま」は、縁結びの神として祀られているが、その名の由来はわかっていない。高輪の台地上にあった「石神社(別名「釈神社」)」が、高山稲荷神社に合祀されたもので、「江戸名所図会」によれば、石神社のあった所は石神横丁(しゃくじんよこちょう)といわれていた。これを誤って里俗で「おしゃもじ横丁」といったとされ、この名からつけられた名である可能性もある。

このおしゃもじさまは、もとは切支丹燈籠で、一説には高輪海岸で処刑された外国人宣教師を供養するために建てられたといわれ、また海中より出土したともいわれる。切支丹の隠れ信仰があったことを物語る資料である。

平成六年三月二十二日 東京都港区文化財総合目録登録

 

 

 

 

江戸名所図会 巻之一天枢之部

高輪南町、鹿児島久留米両侯の間の小路を入りて、西の方二丁ばかりにあり。祭神詳らかならず。同所天台宗安泰寺の持ちなり。昔は、遮軍神に作るとなり。寄願ある者、成就の後は、必ず何によらず樹木を携へ来り、社地に栽ゑて、賽(かえりもうし)すといふ。この地を石神横丁と字すのは、この社あるゆゑなり。土人誤りて、おしゃもじ横丁と唱ふ。

縁遠き婦人、当社に詣で良縁を祈れば、必ず験ありといふ。報賽には社地に何に限らず樹木を栽ゆるを習俗とせり。相伝ふ、石剣を祭るといふ。

 

 

 

 

港区の説明によれば、現在おしゃもじさまとして安置されているのは切支丹燈籠です。“かつては石剣だった”という説明が抜けているので、案内を読んだだけでは高輪は隠れ切支丹の巣窟だったように思えてしまいます(この辺で実際に隠れ切支丹が居たのは2km北にある札ノ辻周辺)

シャグジについては西台天祖神社のおしわぶき様板橋轡神社大蔵の石神に詳しく書きました。あと縁結びに必ずご利益があるとなっていますが、道祖神との習合もあって疫病退散、咳止め、健脚などもあります。

 

 

 

写真は2016.6.18(高山稲荷神社)、2018.5.27(品川駅高輪口)、2018.11.25(アクアパーク) 撮影

 

備考

社号 高山稲荷神社

創建 500年以上前

祭神 宇迦御魂神

祭日 9月15日

末社 

社務所 郵送による御朱印対応あり

所在地 東京都港区高輪4-10-23

その他 丸山神社・車町稲荷神社と同様、高輪神社の兼務

 

 

周辺散歩

品川駅全景の画像

品川駅

高山稲荷神社の目の前にある品川駅。駅ビルの見た感じは上野駅なんかよりも小さく、とても日本有数のターミナル駅とは思えませんが、ひとたび構内に入ると新幹線や京急も含め19線も乗り入れる広大さです。さらに今後は南北線も繋がって品川駅で初めて地下鉄が通ります。

 

 

 

 

旧薩摩藩邸西洋館

品川駅の目の前にある「品川プリンスホテルメインタワー」の39階から北側を見た景色で、見えている建物は清泉女子大学のキャンパス。元々は仙台藩邸でしたが、明治に島津藩邸になりその頃ジョサイアコンドルによって設計された西洋館で、大正天皇の行幸啓もあった歴史的建造物です。たぶん見学はできませんが、大学のホームページでバーチャルツアーをやっています。

 

 

 

 

おぼろげですが南側は川崎まで見渡せます。

 

 

 

 

アクアパーク品川

品川プリンスホテルの敷地内にある巨大な水族館。何といってもイルカショーが都心で見られるのはここしかありません。平日の仕事終わりにも行ける距離とあって人気が高いです。大森にある「しながわ水族館」とは別物なので注意が必要。

 

 

ちなみに「品川プリンスホテル」「グランドプリンスホテル高輪」「グランドプリンスホテル新高輪」「ザ・プリンスさくらタワー東京」とややこしいネーミングのホテルが駅前に集合している上にすべて入口が異なる別の施設。

おまけに品川駅の住所は高輪で、歴史があり古くから宿場町として大いに栄えてきた品川宿は北品川で、品川駅の南側にありました。新宿駅の複雑さぐらいわけわかんないです。