手作り用品売り出し特集 -54ページ目

ミシンの品揃えは、コットン・手芸店でも必要!!

=*北陸金沢へ*=

  

 糸魚川はちょうど日本海から長野白馬などへスキー列車の入口になっています。その他ヒスイや断層が

  

あるのも有名です。日本酒は甘口燗で、冬に鍋やチョッと脂っこいものに凄く合います。この辺の海岸線も

 

好きです。宮古に行く時の太平洋の海岸線ほど迫力はありませんが、日本海の海岸線も渋くて、森昌子の

  

歌を思い出しながら、スルメにカップ酒も好いですよ。糸魚川のショッピングセンターはその頃出来たばかり

 

で、私の担当店舗とすれば販売主任もいたし1番売れていたのではないでしょうか。

 

 糸魚川から富山を抜けて金沢へ入り、そのまま宇野気・津幡に昼頃はいります。主に宇野気が多かった

 

と思います。ここで大変お世話になった津幡・宇野気の専務にお供して金沢「香林坊・寺町」へ車で移動し

  

ます。2回に1度は、色々なところに連れて行っていただきました。一番の気に入りは、寺町から犀川を渡っ

  

たところに、ある魚屋さんの店中を通って奥にある炉端の飲み屋さんでした。なんか通の人がいく知る人ぞ

  

いくそのお店が当然ながら魚が叉上手いこと、九州天神で生魚に目覚めていたので、凄く嬉しかったです。

  

それから寺町に戻り、スナックやバー・クラブにお供いたします。専務さんはまだお若い(当時40代)ことも

  

あり、20代前後の女の子ばかりのお店がお気に入りで、私もその方が気が楽で1人でもいきました。飲み

  

屋さんでは、冬は日本酒燗・春秋は冷でそれ以外は焼酎の水割が多かったです。スナックやバー・クラブ

  

ではブランディー(ヘネシーVSOOP)の水割りを飲んでいました。私はカミユVSOPの方が辛口で好みです

  

があまり店に置いていなかったと思います。今はマーテルのコルドンブルーです。

  

 つくづく思いますが手芸材料の単価の低いものだけでは、なかなか単価が低いので売上げを上げるのが

  

大変で、ミシンのような必需品で単価の高い商品をあつかってあれば良かったのにと思います。  つづく

  

 ミシンB2 N778

最新コンピューターミシン「イノビスD-300」から丈夫なコンパクトミシン「ヌイキルN-778」まで豊富な品揃え

  

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寒いのに何故毛糸がうれないのか? 東北の銘酒「出羽桜」(フロスティーボトル限定品)!

=*東北など北国で毛糸が売れないわけ*=

  

 北国で寒い時に外出する時は、ダウンコートやカウンチセーターでないと通用しないと思います。それに

 

北国は風も結構強いので風を通さないものの方が暖かいのもあるし、いったん汽車の中や建物(家)の中

 

に入ってしまうと、これが叉異常なほど暖かいので意外と薄着にしないと暑いほどです。外に出る時はスッ

  

ゴイ厚着をして、内に居る時は薄着でよいので、若い人に人気の超極太の毛糸は売れないんです。自然と

  

は恐ろしいです。超極太毛糸でないと、並太・中細毛糸だとセーターを編むのに以上に時間がかかるんで、

 

超極太毛糸で編むのはマフラーや帽子になってしまうから毛糸の使用玉数が減るし、雪を考えると純毛毛

 

糸よりアクリル混紡(ハマナカ)の毛糸になってしまうんです。従って、この需要以外は特にミセスには並太

  

か中細しか売れないんです。モヘアの毛糸も体温により温度調整できるので人気あり、これは住んだ人で

  

ないと理解できないと思います。大型チェーン店の本部集中仕入れが以下に不合理かこれ一つ取っても分

  

かります。それと物をたくさん作ると合理化されると思いがちですが、メーカーリスクが増えますので逆に高

  

く(=コスト)なる場合も結構有ります。

 

 

=*山形天童「出羽桜」*=

  

 会津若松に住んでいた時も、特に冬などは日本酒も飲んでいましたから、銘柄は栄川・花春・末廣等、特

  

に末廣が多かったように思いますが、こだわりはありませんでした。だいぶ昔ですが3軒移っても1万かか

  

らなかったと思います。東北(会津や能代)でお酒を飲んでほんと素晴らしいところは、たまたま隣りあわせ

 

で飲んでいただけなのに、それから叉飲みに行くとその店の大将や女将さんが名前も知らない隣りあわせ

  

で飲んでいた人を頼んでいないのに呼んでくれて、叉その人も来てくれてそれから2軒ぐらい飲みに行くと

  

いうようなことが有りました。それから九州博多天神界隈でも屋台などではたいてい日本酒を飲んでいまし

 

たが、まったく銘柄は気になりませんでした。今でもそうですがビールは、炭酸?発砲?が駄目であまり飲

  

みません。シャンパンはそんなにグイグイと飲むものではないので、クリュッグビンテージ・モエエシャンドン

  

(ドンペリ・ピンドン)・ロデレール・サロン「S 」等は発砲酒でも好きです。日本酒でも自然発砲のものは意外

  

とすっきりしてよい。*当店の筋となりの居酒屋「さらむむ」さんが雑誌「あまから手帖」に掲載されている。

 

横道にそれてごめん!                                  つづく

 

  

=*ご注意*=

 

 白髪の気になる人にお勧めしていたヘアクリームは、人により合わない場合がございますので詳しくは、

  

実際使っている私の友達までお問い合わせください!・・・→ E-mail nakatani@oins.jp

  

  

北国なのにあまり毛糸が売れない!

=*九州のような温暖の地で毛糸がよく売れたのになぜ?*=

  

 九州;天神店では、手編み毛糸が凄いほど売れていたのに北国の方が人口や店の規模は小さいけれど

  

もう少しは売れてもいいんじゃないかなあと思うほど売れないんです。     

  

*手編み毛糸はNEW布恋人で買ってください!無料手編み教室開催中!「愛・編む・ニット」

 

 けいと

  

=*東北・北陸フランチャイズ店舗を周る*=

    

 東北のフランチャイズ(商品供給・売場指導)の主な店舗は、福島「須賀川」・岩手「宮古」・秋田「鷹巣」・山

  

形「米沢」「寒河江」「村山」が複数店に行った町(駅)で、甲信越は新潟「豊栄」「糸魚川」北陸は石川「津幡」  

  

「宇野気」・福井「丸岡」も結構行った店の町です。特に2ヶ月に1回は、臨店していたのが「須賀川」・「村山」

  

・「糸魚川」・「宇野気」・「丸岡」で次に3ヶ月に1度「米沢」・「寒河江」(後半はよく行く)・「豊栄」・「津幡」で、催

  

事主体が「宮古」・「鷹巣」(能代でも催事1回する)で行くと3泊ぐらいしました。宮古・鷹巣は、知り合いもなく

  

夜食事するところもなく鷹巣はあきらめもつきますが宮古は海の近くで、たいていバスで入りましたが汽車

  

でも両方凄く海が迫力あり景色は最高に好きでした。(能代は顔見知りが居り昔話で盛り上がりました。)

 

須賀川は次の臨店準備で、郡山・仙台か山形・村山に泊まり、村山では結構地元の美味しいところや美味

  

しいお酒「出羽桜」を教えてもらい、郡山・仙台・山形のワシントンホテルでは、ステーキの食べ放題でワイン

  

を飲むのが最高に気持ちよかった。特に郡山では生演奏があり、ブランディー「クルボアジェVSOP」を飲み

  

ながら昔学生時代には「クルボアジェ;スリースター」がたまにしか飲めなかったことを思い出し、その時は

  

質より量だったなーと、ジャズ演奏の懐かしく思い出していました。           つづく

日本の若手リーダーに願う

=*家庭科の教材で生地が売れた時代*=

 

 その当時は、女子家庭科・男子技術と性別で科目が分かれていましたが、家庭科・技術・美術の男女平

  

等に選択科目としてせめて週1回は小学校高学年から中学までは実施して欲しいですしすべきです。個人

  

の才能は、何に向いているか分からないものがあります。今の教育は、将来の役立ちのためではなく受験

  

に合格するべくふるい落としに欠けられないための勉強になっています。競争はもちろん必要でありましょう

  

し、現実の社会においても競争し切磋琢磨し進歩するものなのです。

  

=*教育制度の見直しと社会の組織改革*=

 

 一律教育がいけないといっているのです。小学校時代だけでは個人の才能・得て不得手に対して将来に

  

適したほうこうせいを決定できないのは分かります。個人個人の適正は学年ごとに判断できないことがある

  

のなら、それは先生方の怠慢と親のエゴです。優秀な生徒は何をさせても上手でしょうが、気が入っている

  

かいないかは先生や親・保護者なら判断が出来るはずです。それに本人の希望(好きこそ物の上手なれ)

  

を十分に聞き話し合ったらよいと思います。好きなことや得意なことが職業になったら、その仕事が楽しいで

  

しょうし頑張れ極められる。嫌いなこと苦手なことを職業にするなら、その仕事は苦痛でしかありません。

 

 現実は仕事を苦痛と思っている若者たちが増えてきているのです。親が生活の面倒を見てくれるのでこず

  

かい稼ぎ分だけ働いて、結局好きなことをするために稼ぎ分を使うのです。ある意味小学校の先生の能力

  

が日本の将来を担っているといっても過言ではありません。大学教授・助教授と待遇が違うのではないかと

  

思います。知識もさることながら人格は教授や助教授やり上でなければなりません。中学校に通い出せば

  

そこでまた第三者的に適正を判断しなおして、方向性を定めたら善い。*小中学校は人格形成育成に重点

  

をおけばよい。

  

  

=*社会もある程度適性を持ち好きな仕事をする若者が増える*=

  

 二十歳前後で、社会に出ても嫌な仕事を無理やりするわけではないので、無理をするくらいガンガン動き・

  

働いてもらったらよいのです。健康な人は10代~20代は仕事を理屈でなく身体で覚えるためガンガン働く

  

その成果・能力によって30代は身体で覚えた仕事の力を十二分に発揮するのです。技術職・芸術職以外

  

では、単純に一番仕事が出来るのは30台です。40代はそれより管理能力を優先させるべきで自分の意思

  

キャリア感だけでは動いては行かないバランス感覚が必要です。この能力のない人は30代のグローバル

  

な仕事の邪魔にならないような専門職的仕事配置が必要です。50台は半分趣味的域で精度の高い仕事

  

をセレクトされた一部役員はすべきです。他の人は後方支援に回るべきでしょう。

  

*10~20代は仕事を身体で覚える→30代は主力で総合の仕事を発展させる→40代セレクトされた管理

  

職は30代主力社員の業務支援と評価、他者は後方支援業務30代主力の邪魔をしない→50代は総合管

  

理で将来の方向性のまとめ的役員業務、他者は専門的な知識と能力で後方支援→リタイヤ

  

*今、心配なのはIT業界の40代若手リ-ダ-が30台主力部下に仕事をさせていないのではないかと思え

  

るほど、表に出すぎていること。リーダーの人間的魅力は感じるが彼らがしてきた30代の仕事はもう終わっ

  

ているのにように感じ、今の現場の仕事は30代に任せ、その後方支援やボランティアの方向性が出てきて

  

欲しい。せっかく地位を築いたのに、いつまでも自己主張の強い自己利益のために自分で動いているように

  

見えるのは、私だけではあろうはずもない。後輩の適性のある社員に任せることこそ、本来の彼らの仕事で

  

あり、老獪な身近で信用している先達の口車に操られているのではないか?彼らほど実績のある先見性に

  

富んだ存在は、社会から実績・業績を認められて引退・隠居している自分が尊敬する人のアドバイス以外

  

聞く必要はないと思う。また全然別の公共事業か政治・趣味・ボランティアに有り余る才能を活かすべきで、

  

ごり押し・ダラダラ仕事の姿を見せるべきでない。成功者は徹底的にカッコ好くあれ!!

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服地・コットン・手芸 昔話!

=*教材*=

  

 このときはまだまだ教材需要が、シーズンにもよるが結構ありました。小つきの柄では東京塚本、大柄で

  

は田村駒のコットンブロードプリントが、680円/m・580円/mで4m~5mパジャマ、2mでブラウス・スカート

   

でよく売れていた。ちょうど、チェッカーズ・尾崎豊の絶頂期ではなかったでしょうか!

  

=*九州地区BMDからフランチャイズへ*=

  

 九州地区BMDでし残したことは、生成りハウス=生成りの生地・キルトとスピンドル・ボンネルテープ・Dカ

  

ン・ナスカン・皮付属などのシリーズで服地から小物資材(クッション・バッグ・カバーリング・カーテンなど)

  

への転換期に本社商品部より、先んじて展開しようとしていたのが天神店だけになって、後にそれに真似て

  

全国展開し長い間基幹商品群となる。フック式のノーション販売什器に転換し単品管理と陳列商品のビジュ

   

アル化を図ろうとするも、ボリューム感欠けると反対されるが3年後に全店フック式に替えて成果成功する。

  

(当時、清原がクロバーより先にこのフック式パック販売を実施バーコードも付く) 家庭用ミシンの仕入販

  

売のシステム構築し関連販売と商品回転率の効率アップを目指すも、これなどはメーカーまで繋いだのに

  

実現せず、10数年後にほぼ全国展開し2~3年で手作り寡占化の中でも成果が出てくる。このまだ服地の

  

品揃えも着分中心ながら十分出来ており荒利の稼ぎ頭であった時期に、ミシンの導入が出来ていれば売

  

上げ・利益とも十分独立上場できていたであろうし、パンドラ(ジャスコ)・十字屋・藤久(東海手芸)・ユザワ

  

ヤ・大塚屋等に後々逆転されることもなかった。このし残しに未練を残しながら、商品本部より先んじたのと  

  

服地から資材生地(=現在のコットン手芸ショップ)への切り替え在庫増と、ショップ売場スペース削減(婦

  

人アパレル導入)による売上げダウンで、フランチャイズ担当に左遷される。これが布恋人(NEW黒田屋)

  

衰退と大げさに言うとコットン手芸関連企業の衰退の序章であった。*この時期あたりだったと思うが、ABC

  

クラフトの買収依頼があったが、布恋人が株で損失し親会社のマイカル(旧ニチイ)に反対され不成立。→

 

これが実現しておれば、大型店舗運営のノウハウを取得でき本体がつぶれようが、布恋人はコットン手芸

  

ではダントツの日本一の上場会社になっていて、日本の手作り文化にも大貢献していただろう。 無念!

    

《補足》


*ジーンズファッションはこちら・・・→http://www.stylish-w.net/article_4_3.html

  

*流行色はこちら・・・→http://www.jafca.org/

フジテレビ朝番組「小倉さん司会」で...! ←流行色とジーンズ特集

=*流行色とジーンズ特集*=

 

 以前、このコーナーでふれました流行色の話を今朝TVでやっていました。今年の流行色は黒だそうです。

  

もちろんJAFCAで発表された流行色が本当に消費者が支持するかどうかは分かりませんがJAFCAに加盟

  

している企業はメインカラー黒ですでに1年前から物作りをしており、市場には黒色が出回り目に付きます。

    

ただ、TVドラマ等の衣装さんなんかもこれを参考にしてくるでしょうから、女子TVアナウンサーの衣装には

  

色も・デザインもチェックして於いてください。ただ色は何か強烈に印象の残る映画等によって変わる可能性

   

はあります。

  

 ジーンズが岡山の児島で生産されているという話で、子供の頃学生服を製造販売していた親戚のところに

  

泊り掛けで行ったことを思い出し、中学の時に来ていた学制服もそこので非常に懐かしく感じました。昔から

  

(江戸時代)綿の真田紐などで有名、60年代~国内大手老舗の「ビッグジョン」「ボブソン」が国産ジーンズ

  

の黎明期を築いた。国内ジーンズ生産の約8割を倉敷市児島地区で占めている。ストーンウォッシュなどの


特殊後加工でも、全世界からオーダーがはいる。中高年にブームの高級ジーンズ(2万~)は、この地から

  

生まれている。 * ジーンズ界の巨匠「平田俊清」氏は有名 つづく    以下、前のお話より

  

  

=*流行とは初め賢者が嘲笑し、やがてその虜になる*=

  

 映画はファッションの原点です。 作られた年代の生活(=衣装・音楽・食品・家・芸術・スポーツなど)が

  

分かり、その共通メディアから共通する嗜好が生まれ流行を作り出します。

  

 映画の無い戦後は、「りんごの歌」「異国の丘」に励まされ涙した。何も無かった当時のファッションです。

  

 テレビが普及(皇太子と美智子様のご成婚から)し、急激にテレビの需要が伸びそれと共に映画が斜陽に

  

なっていくのです。

  

 「太陽の季節」石原慎太郎により慎太郎カットが、「愛情物語」キム・ノバックの赤いトレンチ・コートが、一

  

世を風靡した。(三陽商会がトレンチコートで大当たりする)  この頃より、色も重要なファッションになる。

  

50年代ファッション=シネマファッション・ロカビリーファッション→復活人気 *華やかから特定

  

 日本流行色協会がコンビナート・キャンペーンでシャーベット・トーンを異業種によるキャンペーンの始り。

  

 《流行色の選定は2年前からインターカラー選定色と加盟各国の提案色+色彩動向調査+暮らしのトレ

  

  ンド、1年前はJAFCA専門識者による色選定会議を経てJAFCA会員企業に情報発信し消費者へ...》

  

《例》  シャーベット・トーンのキャンペーン参加企業:東洋レーヨン中心に資生堂(口紅)・東芝(家電)・西武

  

百貨店(ファッションカラー)・東京帽子(ハット)・不二家(ガム)・香山ユリ(歌でレコード)=知名度96.87%

  

 当然、布生地でもシャーベット・トーンのプリント生地は飛ぶように売れ大成功しました!

  

*人間の本能は、求める→満足する→飽きる の繰り返しです。

 

 異業種企業間の連携によるネットワークキャンペーンが成功し、次にネットワークビジネスが台頭してくる

  

のです。 *メーカー → 口コミ&メディア → 消費者 (中間マージンを削減し価格・品質に反映)

《余談》


白髪頭や抜け毛で悩んでいる貴方は、頭質から改善していくヘアークリームを使ってみてください。詳しくは

   

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服地屋さんからコットン・手芸ショッップへ、異業種も加えて!

=*ヤングマインド*=

   

 肝心のコットン生地も、コットン無地(シーチング・ブロード・帆布など)を中心にギンガムチェック・インテリ

   

アコットンプリント(タぺ柄・総柄=カバーリング・クッションなどに)・生成り細布・キャラクタープリント(ステ

   

ーショナリー柄・ナショナルブランド柄など)・生成りシリーズ生地&キルトなど反物切売りや4.0mカット着

  

分が良く売れました。クッション類も他の店とは比べようもないほど売れました。こんな素晴らしい店舗が、

    

私が転勤して2年で場所換えされ、赤字店舗になりその後閉店となる。*年間:1千5百万黒から2千万赤へ

  

 順風に乗りこれからの品揃えを、コットン資材向け(服地タイプは着分展開に切り替え)の売場に品揃えを

  

変更しながら、(コットンショップが流行りだす前のこと)服地処分で売上げを稼ぎながら、またソープ手芸

   

(ラックスの石鹸をサテンリボンとシルクピンで巻いて置物にするのが流行った。)等の流行りものを取り入

  

れながら、何とか九州地区全体で赤から黒に転換使用としていた矢先に、異業種婦人アパレルの導入が

  

九州地区より、売場内改装に入っていった。坪効率やキャッシュフローの改善と将来性という名の元に...。

  

 これは失敗になる。各地区(7地区)にモデル店を作り、ショップコンセプトを確立して、婦人服販売員を育

  

て地区バイヤーを育ててからの改装・資本投資にしなければならなかった。ミセス物はなかなか難しいのに

 

ティーン&ヤングの「エルメ」方式で組織作りをしたのが間違いであった。バイヤーは何を何処で仕入れて

   

よいか分からない。売る方は商品ディスプレイや販売演出やコーディネイトが分からない。アパレルの数値

  

管理も出来ない。資本を投下して売場が小奇麗にコンパクトになってけれど、予想は的中で効率を善くする

  

ための異業種アパレルが本体のコットン・手芸グループの坪効率を上げただけで、全体では信じられない

  

アパレルの売場在庫(売上げ比)と格下げで荒利を下げ、キャッシュフローも当然出来ずアパレルの支払

  

い条件が30日に対し、コットン・手芸グループは115日であった。ただ販売員が優秀な店舗も後に出て来

  

て、利益を出す店舗も出てくるがトータルでは倒産する最後まで利益が出ずに、有形無形でコットン・手芸

  

グループの足を引っ張り続けた。                                  つづく

  


《余談》


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している。友達のメールへ ・・・→ E-mail nakatani@oins.jp

  

  

服地屋さんからコットン・手芸ショップへ!

=*九州時代*=

 

 福岡天神店はビブレの1階裏出口にあり、天神コアの裏側になって繋がっていた。フレンド全店中で最高

  

の場所に店があった。以前にも少しふれましたが、チャコールグレーの超極太毛糸をワゴン台1台で2時間

  

20万と他の色超極太毛糸もワゴン1台で10万、その他系と関連で10万と計40万PM5:00~7:00の間に、

  

売ってしまう若いお客様15~25代前後中心のお店だったんです。着任当初から、美人が多いと思ってい

  

ましたが、若者達であふれかえっていました。ライブバンドの演奏会場もあり、そうちょうど原宿ラフォーレに

  

20代前後の若者をミックスしたような感じの中にあるような店でした。自分でもこの時が一番仕事が出来た

 

充実の2年だったと思います。東京には仕入れに月2回ほど行っていたんではないでしょうか?必ず、恥ず

  

かしながら原宿には行くようにしていましたし、六本木(夜)・吉祥寺・自由が丘(後に松田聖子店出す)にも、

  

品揃え演出に活かすべくブラブラするようにして若者の傾向を感じていました。若い子達の好みがその上の

   

年代にも大きく影響を与えていたと思います。我がコットンッショップもエルメを見習い、品揃えを天神以外

  

の地方店舗でも品揃え年代をオーダー機能も服地も残しながら、思い切ってぐっと下げました。服地やオ

  

ーダーの需要が極端に落ちてきていた時でしたから、この売り上げ減を若い子達が喜ぶコットン中心の

  

品揃えに替えていったのです。しかしながら、独断で走ったために在庫が増えたのを理由に商品部から

  

色々と嫌がらせをされました。                                      つづく



《余談》

 

 白髪が改善されるそのヘアクリームも色々種類が亜流であるみたいなので実際に使っている友達に聞い

  

てくださいネ。 ・・・→ E-mail nakatani@oins.jp

  

  

余談

=*白髪体質を体質から改善*=

 

 白髪は単に自然なメラニン色素の不足です。このヘアクリームはそのメラニンを生成している毛根の毛母

  

細胞に直接働きかけるのですって、だから自分本来の髪の毛色に段々と戻っていくらしいんです。

  

 また、頭皮を清潔に保ち、フケを止め、枝毛・切れ毛・抜け毛・に対しても効果があったってその友達は喜

  

んでいました。 詳しくは私の友達にメールしてみてください!・・・→ E-mail nakatani@oins.jp

 今から50年ほど前に、温泉を使っていたその国の原住民に白髪の人がいないのに気づいたことから始ま

  

るそうです。

時代遅れの生地・手芸に拘るわけは・・・?   

会津若松をホームに東北地区巡回へ、九州転勤!

=*地区マーチャンバイザー*=

 

 東北地区は会津若松・原ノ町・盛岡・能代・長岡・大田原と6店舗ありました。月1回ペースで地区長と互いに店周りして、私は主に売場の演出・品揃えをしていました。数値管理が取りざたされ出した時代で、地区の会議には勉強会をして和やかに、トータルで頑張ろうと活きあがり、営業成績も全国レベルになりかけて地区長とベスト3を狙いに行こうと話し合っていた矢先に、人事異動で九州へ転勤になり同じ立場でしたが昇格をこの間2回していました。(異例の早さだったと思います。)九州着任で一番感じたことは、大都会だなあ~ということでした。福岡天神の九州No1の繁華街で、天神地下街も出来かけていたのではなかったかと思います。気候も温暖で、玄界灘を抱えて新鮮で魚の種類も多く生魚(刺身)嫌いの私が大好きになるくらいに美味しかったです。(会津若松で魚の種類がないのに驚いていたのもある。酒は美味く楽しかった。)遊ぶところも中洲が控えていて、海外(欧米)にも2回行き、30歳前後の私が最高に楽しかった時代です。仕事も順調で福岡・大野城・曽根・中津・大分・八代の店巡回も楽しく業績も上がってきていましたが、将来の方向性を考えた会社の方針で(この時には経営者が変わっていたNKF)、婦人服(40~50代感性)のインショップ化し、(大抵の店舗は40~50坪あり)坪効率を上げるために展開していくこととなる。これはこれで間違いではなかったが、時期と準備に余裕がなさ過ぎて結果的に失敗することになる。坪効率を上げるのともう1つ商品回転率を上げてキャシュフローを良くするということだった?         つづく

 

 

余談


それは、ある国の温泉を主成分にした「髪の毛の色素を自然に取り戻すクリーム」にあったんです。一般の毛染めクリームではありません、白髪が徐々に自然に黒くなっていくんですって、しかも髪の毛本来の働きを改善するので髪の毛が伸びるに従って根元部分が白くなることもないんです。当然このクリームは、そればかりでなく・・・


                  つづく