華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~ -25ページ目

華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

昨夜、警報が解除され、今日のお昼頃に帰宅しました。

世間様は三連休、敬老の日──クズノキワミオヤヂの引きこもり野郎のオイラには関係ないっちゃ関係ないですが、まぁ最悪な3日でしたよ…。





つか、今年は私のスズメな収入が途絶え、カープ優勝関連でゼニを使い果たしてしまいましたので、先週の母親の誕生日はおろか、今日の敬老の日は一切お祝い無し。

母親やじい様と同居し始めて以来、ささやかながらも誕生日や敬老の祝い(回らない寿司屋に行く)だけは欠かさなかった私ですが、今年は経済的にかなり切迫しているため、やむを得ず……。

基本、チャランポランなこんな私でも、2人には申し訳ないと思いつつ、今の私は身体も精神もボロボロで何もやる気が起きない、生きる目的や意味を見い出せず、ほとんど無気力状態ということで、何も出来ないのが現状。

それは“甘え”だ“弱さ”だと言われるかもしれませんが、現実問題、こんな不具な身体で頭も病んでいる(と正式に診断された)40も過ぎた独り身の不良中年童貞のオッサンにどうやって将来に、未来に希望を持てと言うのか…。

こんなクズノキワミオヤヂの生きる道の分かる賢者様や仙人様が居るなら私ゃ聞きたいですよ………。





まぁ、くだらないチラ裏です。

敬老の日もお勤めの全国の労働者の皆様、今日も本当にお疲れ様です。
万が一に備え、予約投稿。

今日(17日)の21時過ぎ、地元に大雨・洪水警報が発令。

土砂崩れの危険性が高まったことから災害対策本部の避難準備指示が出ましたので、豪雨降りしきる中、これから近所の年寄り2世帯3人を含め、2キロ先の小学校へひよこの車と役場の職員が手配してくれた車でそれぞれ分乗して家族で避難します。

この記事がブログに投稿される頃には小学校にはもう着いている頃でしょう。

2年前の8.20土砂災害の時の状況を思い出されますが、今回は何事もなければよいのですが…。
今更だけど5日前(11日)の話。

この日は久し振り(3週間振り?)に家から外に出て下界(市内)に繰り出しておりました(※家族総出です)。

もちろん、カープ優勝翌日の戦勝に沸く地元の祝賀ムード、街の活気をこの身体いっぱいに感じ、生気を吸収するため、そして生活防衛のため(←車いすの私は明らかにじい様や母親以上に戦力外の足手まといですが…苦笑)

ちなみに私は“元”カープファンなんですが、かつては熱狂的な“カプキチ”で、仕事をサボってまでカープ観戦、時にはホームゲーム以外の試合にもよく遠征に行ったもの。

25年前の優勝の時、まだハタチになるかならないかぐらいの社会人1、2年目の若造だった私は今は跡地となった広島市民球場で職場の先輩や社長たちとカープ優勝に狂喜乱舞し、市内の本通商店街に繰り出して酒屋などで振る舞われた美酒に酔いしれ、記憶がぶっ飛ぶまで相当わやくしゃして飲み明かしたこと、街はカープファンだけでなく広島市市民も地元球団の優勝は“地元の誇り”としてその勝利を称え、 誰とも知らない通行人、カープファンと熱い抱擁、おもむろに肩車や胴上げ、仕舞いにゃ服を脱いで全裸疾走(苦笑)する猛者も現れるなど、街全体が超絶お祭りムードで、とにかく人、人、人がごった返していたのは今でもよく覚えています。

あれから四半世紀──平成3年のカープ優勝以降のカープ低迷の苦しい時代が続き、
優勝を経験して当時を知るカープ選手やファン、市民も少なくなって優勝の記憶が薄れ、カープが昔優勝したこと、“カープのマジック点灯”の意味や言葉を全く知らない若い世代が増えたこともあり、古参のカープファンや当時の優勝で沸く街の様子を知る市民にとっては長年の悲願だったカープ優勝が叶って本当に良かった思いますし、元カープファンの私としても地元球団の活躍は嬉しいものです。





しかし、25年前の優勝と今年の優勝で違うのは、25年振りということであまりに長い年月が空いてしまったことから、優勝したという事実に対する実感がカープファン、広島市市民の間ではどこか乏しいというか、「こりゃ夢じゃないよのぅ?」という感じで、必死にカープを応援していたファンはまだ夢見心地な気分から、イマイチお祭り騒ぎとしては“大人しい”というか、淡々と事実を受け止めているように私は感じがします。

7度目のセ・リーグ制覇を成し遂げた緒方監督率いるカープナインですら、優勝が決まった直後のテレビ中継ではどこか戸惑いを隠せない表情で、どのようにリアクションをすればいいのか分からないといった風な感じで、とりあえずベンチからマウンドに走り寄る姿から、カープがどれだけ優勝から遠退いていたかを物語っていましたからね。





そしてもう一つ、お祭り騒ぎで大きく違ったのは商店街の酒屋や飲食店がカープ優勝時に恒例としてやっていた立派な樽酒による街頭での“振る舞い酒”です。

今でこそ道ばたで人(特にドライバー)に振る舞い酒なんてしようものなら飲酒運転の幇助に当たる可能性から間違いなく御法度ですが、昔は酒気帯び運転や飲酒運転に対する罰則が緩かったのもあり、あの頃は今よりも大らかでした。

今は罰則が厳しくなり、ドライバーに酒を出す、飲酒運転を止めずに同乗した人もしょっぴかれるご時世ということで、今年のカープ優勝では車を運転しない来店者のみに振る舞い酒をし、道ばたでの不特定多数への振る舞いは自粛する酒屋や飲食店が増えたとか。

そしてドライバーだけでなく、未成年者はもちろん、カープ優勝で完全にハイになっているファンに振る舞い酒をして何か問題を起こされても責任が負えない、何かあってからでは遅いということで、振る舞い酒の代替案としてお菓子(チョコレートやクッキー、アメ)や記念品などを渡すという試みが為されたようです。

これも時代の移り変わりとして仕方がないですね…。

まぁ、そういうところどころ変わってしまった風景もありますが、それでもカープ優勝で街の雰囲気は非常に明るくて気持ちのいいものでしたので、普段は外食嫌いの私もこの日ばかりは自ら進んで外食を提案しました。

なお、この日は未成年の入店OKな割烹屋に行き、カープ優勝を祝して豪勢な船盛りと押し寿司を食い、普段は健康上の理由で飲まない酒もこの日だけは特別に日本酒をコップ3杯ほど飲みました。





ちなみに私の従甥2人はカープファンですが、当然25年前のカープ優勝は知らない世代なので、彼らにとってはカープ初優勝。

そりゃあえっと喜んどりましたよ。

この優勝がキッカケで「球団の規模や資金力は小さくてもカープが本気になればどこの球団にも負けない闘志や粘り強さがある」ということを若いカープファンにもしっかり伝わったはずですから、これらのカープの躍進はきっと楽しみでしょうね。

次はぜひともCSへの進出、そして32年振りのカープ日本一を見せてほしいです。
カープが25年振りにセ・リーグ優勝じゃあぁぁぁぁーーー!!!!

うおおおおおーーー!!!!

カープようやったぁぁぁぁーーー!!!!

広島の誇りじゃあああああーーー!!!!

\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
久しぶりにブログ回りをしようと読者登録している馴染みのブロガーさんのブログタイトルを探していると、いつの間にか削除・退会されていました……。

顔も本名も知らぬネットの住人とはいえ、割と長いお付き合いだっただけにこういう感じでまた一人、また一人と顔馴染み(ネット馴染み?)が減っていくのは寂しいものです…。

ネットにしか“居場所”や“生の実感”を感じられないようなクズノキワミオヤヂな私にとってはリアルで人付き合いが途切れる以上に胸が痛みますので………。

また性懲りもなく、つまらない、どうでもいい、すべらない、個人的な話。

今日の午前中、下界のポリ署の交通課へ相談しに行ってきました。

クルマの運転免許の自主返納制度についてです。

実は今年が運転免許の書き換えの年なのですが、誕生日の前に郵送される免許更新の通知書が来る前に運転免許の自主返納を考えております。

今年の春にインフルエンザの合併症で髄膜炎にかかり、その時の後遺症で左半身に麻痺が残り、リハビリをしても元の身体に戻れる可能性は現時点では低く、クルマは運転出来ないと医者から告げられていたことから、今年の免許更新は完全に不可能と判断しました。





でも、それ以上に私が免許の更新をあきらめた理由──本当は治らないのに「リハビリすれば良くなる」と、医者やリハビリの職員が吐いた“口先ばかりの安易な慰め”、“無自覚な偽善”を感じ取ってしまった私はそういった無神経な周囲の人間に嫌気が差し、リハビリを完全に放棄してしまったことも一因です。

もうね、どうでもよくなっちゃったんですよ、目の前のこと、明日のこと、今後のこととか…。





どっちみち、リハビリをしようがすまいが、今からリハビリを再開しても免許更新まで時間的な余裕はないし、百歩譲って仮に間に合ったとしても免許更新時の“適性検査”で引っかかって更新出来なければ泣いても喚いてもクルマはもう運転出来ない。

このままズルズルと免許更新に行けず・出来ず【失効】という不名誉な烙印を捺されるくらいなら、体面だけは保てる【自主返納】という形で“あえて免許を手放す”のが自分の名誉や自尊心を保つせめてもの方法だと考え、今週中に自主返納の手続きを行います。

18で免許を取り、30年近くドライバーをやってきましたが、まさかこの歳で、こんな形で免許を自主返納することになるとは…。





まぁでも…スピード違反やシートベルト未着用などで切符を切られ、何度も免停食らったり、物損事故なんかは結構やっちゃったけど、幸いにも他人様に怪我をさせたこともなく、私自身も今日までどうにか無事に運転はして来れたので、自分が怪我したり、死ぬならまだしも、人身事故だけは起こさなくて本当に良かったです。





もっとも…この自主返納でまた一つ、社会人としての“信頼”や“尊厳”は失うことには変わりはないのだけれど………。
目が冴えて眠れないので起きている。

最近は病院から処方された薬の副作用なのか虚脱感や倦怠感が酷く、昼に寝てばかりで夜は眠れないという昼夜逆転の状態です。

………まぁ、これといってオチも何もない、それだけの話。

何の変わり映えもしない日々単調な引きこもり・無気力状態、クズノキワミオヤヂな生活なので特に書くことがないので…。





追伸…

今はコメを頂いても返事をお返しする気分ではないため、コメは承認のみで返事はお返し出来ていません(※気が向いたら返事はお返しします)。

コメを下さった方には大変申し訳ありません。

誠に勝手ながら何卒ご理解のほどを…。
予約投稿。

……まぁ、話は唐突だけれど、何と言いますか、私もこのアメブロを始めてかれこれ7年近くが過ぎましたが、その間にリアルのことでもいろいろ、ブログ内でもいろいろなことがありました。

でも、大概は嫌なこと、腹立たしいこと、居たたまれないことばかりで、悲壮、空虚、孤独、葛藤──そういったあまり良くない感情の方が多かったような気がしますが、それでも趣味の話、他愛もない日常のボヤキを悠々自適に綴ってまいりました。

ツラも本名も伏せられ、灰色なリアルの日常よりは何万倍もマシで居心地が良いネットの中こそ私の居場所(※)でした。

※“ネットが居場所”とかとんだけ寂しいオッサンなんじゃと思われるでしょうが、私は至って“真面目”に述べております。

しかし、近年は主な趣味だったトイガンやミリタリーに対する考え方や認識が年齢を重ねるうちに変質し、ある種の“嫌悪感”に近いようなものを感じるようになり、これらからはほとんど遠退いてしまい、最近は健康上の問題でカメラや時計もパッタリと熱が冷めてしまったこと、今は何もやる気が起きず、ネットもほとんど覗かなくなり、日長自宅に引きこもり気味で寝て過ごすことがほとんどになってしまいました。

身体は自由が利かなん、まともに働けない、唯一生きがいだった趣味の大半は出来なくなった、ネットでの居場所も無くなった上、仕舞いにゃ突然の“心の病”を告知されてトドメ。

もう生きとっても希望が見い出せません。

こういう書いても仕方がない愚痴、そんな暗い話ばかりでこれを読まれて他の読者様方を暗い気分にさせてしまうくらいなら、もういっそブログなんて辞めちまった方が良いのでは、とも考えるようになり、何度目かのブログの閉鎖・退会を検討しております。

もはやここには私の居場所はないし、ここに居座り続ける存在意義も理由も失っていますし、正直生きていることに疲れました。

ホンマに死にたい、消えたい。

でも、そんな根性もなければ、そもそもこんな身体では独りで首を吊ることも飛び降りることもまともに出来ません。

ただただクソッタレとしか言いようがないです……。

オイラが望んだものからことごとくかけ離れていく人生──こんなハズじゃなかった…。
予約投稿。

とりあえず生きております。





もう1週間以上前(18日)の話ですが、“あっち系の内科”へ診断結果を聞きに行った件。

問診票の記入や聴き取り、その他ちょっとした簡易検査(テスト的な何か?)を受けた今月の11日から1週間ほど待たされましたが、ようやく診断結果が出ました。





しかし、ここで一つ問題が…。

あっち系の内科を受診、そして診断結果との内容が内容なだけに、果たしてここで書いていいものなのかどうか…。

もし書いてしまったら、私の人としての信用や尊厳(←いずれもこれらはオイラには有って無いようなものだけど…)を間違いなく落とす・失うことになるため、正直ここで告白していいものなのかどうか、診断から今日まで一週間以上悩みました。

んで、あれこれ考えた結果、具体的な病名は避けつつ、個人情報の特定につながらない範囲内で少しだけ書くことに決めました。





私が内科で診断を下されたのはいわゆる従来は子供が多く診断されたものの近年は成人にも多く診断されるようになった【発達・学習障害】に加え、遺伝による先天的・生まれ育った環境的な要因などで周囲の平均的な文化と比較して価値観や行動様式、人との関わり方(対人関係)から偏った特徴的な性格・人格により、社会に上手く適応出来ず、日常生活に著しく苦痛や支障を来す【人格障害】の疑いがある──だそうです………。

医者の話によればこの手の病気は本人も無自覚な場合が多く、成人の場合は親元を離れて就職・一人暮らしをする年齢ということもあり、監督・注意する親や先生といった人がいなくなるため、周囲からも病気には気付かず、実際は社会生活や対人関係で困難や苦痛を潜在的に感じていても自身がそういっか病気を抱えているとは思わないのため、自ら受診されることも少ないために診断が難しい・発見が遅れてしまい、最近はこの手の病気への認知が広まったことから、私のように30~40代を過ぎてこれらの病気を診断されるケースが増え、決して珍しくはないのだとか…。

ただ、それでもこの診断結果、突然の告知は俄かには信じられない(信じたくない)自分がいるのもまた事実。

まさか自分がそんなものを今日まで知らず知らずに抱えて生きてきて、それをこの歳になって告知されるとは夢にも思いませんよね、普通……。





ここ最近、インフルエンザの後遺症て半身に麻痺が残って身体が不自由になったり、原因がよく分からない体調不良と被爆2世に及ぼす遺伝的な影響による健康不安があったりと色々なことがありすぎて自分の中でまだ何も整理が付いていない&いっぱいいっぱいな状態のオイラ。

最初の受診の最初の診断が出たばかりの今、自分はこの診断結果の“事実”をどう受け止めていけばいいのか、じっくりと、しかしながら早めの決断は下さなければなりません。

育ち盛りの中高生の息子2人を女手一つで育てつつ仕事を休職(※介護休暇扱い)し、私の面倒をずっと看てくれている身内のひよこ(従姉)のことを考えると、ますます私1人だけの問題でもなくなってしまいましたので。

告知に立ち会っていたひよこを除き、告知から一週間以上が過ぎた現在もじい様や母親、従甥たちにはこの結果(そもそも病院を受診したこと自体)をまだ一切話していませんが、とりあえず今後のことについては今も彼女と2人で話し合いは続けております。

結論が出れば家族全員にちゃんと話すつもりではいますが、この記事を載せている日付からもお分かりのように、こういう時に限ってグダグダになる私の性格もあり、ななかなか結論は出ず……。

時間だけが無情に過ぎ去って行く8月も終わりに近付く今日この頃です………。
今日は広島土砂災害から2年目を迎えました。

2年前のあの日、被災地となった地元に住む私も旧宅に住んでいた頃に土砂崩れに遭って自宅が半壊。

そして一夜明けた20日の昼頃に作業中に二次災害の土石流に足をすくわれて流されて負傷──1ヶ月半ほど入院し、退院してしばらく避難所生活をしたのちに半壊した自宅を応急的に修繕して半年ほど電気も水道も使えず、夏は灼熱、冬は極寒という厳しい環境で自宅に住み、災害から10ヶ月後の翌年6月に新居が完成するまで不自由な生活を強いられました。





この災害で78人(災害関連死3人、妊婦のお腹にいた胎児1人を含む)が亡くなられ、広島の土砂災害としては戦後最悪の犠牲者だそうで、私の地区では14人が犠牲になりました。

この14人は近所ということほとんどが顔見知りで、犠牲者の中には毎年有志を募って冬の寄付集め(クリスマス寄付)をしていた際にお米(時価にして約20万円相当)などの現物提供をしていただき、活動の中心的メンバーの一人だった知り合いの農家も就寝中に家ごと土砂に流されて生き埋めとなり、亡くなられました…。

我が家は半壊しながらも事前に土砂崩れの前兆を察知して家族は2階に避難して無事で、私も生来の悪運の強さにより怪我をしながらも何とか命拾いしましたが、 住んでいた場所の山との位置、土砂の流れや量の違いにより紙一重で生き死にの明暗が分かれてしまったことに対して運命というのはこれほどまでに残酷なものなのかと、何ともやり切れない気持ちです。

直ぐ隣の家は一家全滅でしたからね…。





今日は午前中に杖を突いて(←歩く練習は自主的に一応やってる)地元の集会所跡地(雑草が生い茂る荒涼とした更地)にて慰霊祭に赴きましたが、その途中の古い道沿いには(元は家屋が建っていた)更地となったままの荒れ果てた土地が延々と広がり、通る度に萎れた花束やお供えが目立ち、周囲には線香の臭いも漂い、この日は完全に鎮魂ムードでした。

未だに再建のメドも立たず、かといって再開発という機運も高まらず、打ち捨てられたように更地のままになっている地元のこの寂れた景色は“もの悲しい”なんていう生易しい言葉で安易に片付けられるものではありません。

広島に引っ越してからは語ることはなかったのですか、私は荒れた更地を見ると子供の頃に長崎でかつて経験した台風による災害で町が吹き飛ばされてメチャクチャにされ、瓦礫となった家屋、家の下敷きになったそこからはみ出した亡くなられた住民の足、洪水で流されて亡くなられた方の浮いた川、避難先の小学校の体育館の脇の校庭に筵(むしろ)を敷いて何体も安置された身元不明の犠牲者たちの苦悶の表情と泥臭さの混じった死臭というあの凄惨な光景が頭の中でふと蘇ってしまい、炎天下の中なのに鳥肌や寒気、身体の震えを覚えましたよ……。





広島市や地元の中国新聞の調査・統計によるとこの土砂災害で被災地の人口が976人減ったそうです。

県内外への転出や避難以外にも警戒区域の指定や砂防ダム建設のためにやむなく立ち退いた住民も含まれ、現在も立ち退きで地元を去る住民が後を絶ちません。

ただでさえジジババばかりの人口の少ない過疎地域だというのに土砂災害がそれに 追い打ちをかけるように人口流出は加速し、歯止めが掛からないこの状態では隣組や行事もままならなくなるのは必至で、地域コミュニティーの衰退は避けられません。





地元では一番若手だった私も今は身体が言うことを聞かない状態ということで、夏祭りの運営委員(現場指揮官の代理代行、力仕事)を外れたことも遠因となり、今年の夏祭りは中止になってしまいましたし、地域活動の担い手がますます少なくなった今、本当に地元はこれからどうなってしまうのか……。