早2年が過ぎました | 華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

今日は広島土砂災害から2年目を迎えました。

2年前のあの日、被災地となった地元に住む私も旧宅に住んでいた頃に土砂崩れに遭って自宅が半壊。

そして一夜明けた20日の昼頃に作業中に二次災害の土石流に足をすくわれて流されて負傷──1ヶ月半ほど入院し、退院してしばらく避難所生活をしたのちに半壊した自宅を応急的に修繕して半年ほど電気も水道も使えず、夏は灼熱、冬は極寒という厳しい環境で自宅に住み、災害から10ヶ月後の翌年6月に新居が完成するまで不自由な生活を強いられました。





この災害で78人(災害関連死3人、妊婦のお腹にいた胎児1人を含む)が亡くなられ、広島の土砂災害としては戦後最悪の犠牲者だそうで、私の地区では14人が犠牲になりました。

この14人は近所ということほとんどが顔見知りで、犠牲者の中には毎年有志を募って冬の寄付集め(クリスマス寄付)をしていた際にお米(時価にして約20万円相当)などの現物提供をしていただき、活動の中心的メンバーの一人だった知り合いの農家も就寝中に家ごと土砂に流されて生き埋めとなり、亡くなられました…。

我が家は半壊しながらも事前に土砂崩れの前兆を察知して家族は2階に避難して無事で、私も生来の悪運の強さにより怪我をしながらも何とか命拾いしましたが、 住んでいた場所の山との位置、土砂の流れや量の違いにより紙一重で生き死にの明暗が分かれてしまったことに対して運命というのはこれほどまでに残酷なものなのかと、何ともやり切れない気持ちです。

直ぐ隣の家は一家全滅でしたからね…。





今日は午前中に杖を突いて(←歩く練習は自主的に一応やってる)地元の集会所跡地(雑草が生い茂る荒涼とした更地)にて慰霊祭に赴きましたが、その途中の古い道沿いには(元は家屋が建っていた)更地となったままの荒れ果てた土地が延々と広がり、通る度に萎れた花束やお供えが目立ち、周囲には線香の臭いも漂い、この日は完全に鎮魂ムードでした。

未だに再建のメドも立たず、かといって再開発という機運も高まらず、打ち捨てられたように更地のままになっている地元のこの寂れた景色は“もの悲しい”なんていう生易しい言葉で安易に片付けられるものではありません。

広島に引っ越してからは語ることはなかったのですか、私は荒れた更地を見ると子供の頃に長崎でかつて経験した台風による災害で町が吹き飛ばされてメチャクチャにされ、瓦礫となった家屋、家の下敷きになったそこからはみ出した亡くなられた住民の足、洪水で流されて亡くなられた方の浮いた川、避難先の小学校の体育館の脇の校庭に筵(むしろ)を敷いて何体も安置された身元不明の犠牲者たちの苦悶の表情と泥臭さの混じった死臭というあの凄惨な光景が頭の中でふと蘇ってしまい、炎天下の中なのに鳥肌や寒気、身体の震えを覚えましたよ……。





広島市や地元の中国新聞の調査・統計によるとこの土砂災害で被災地の人口が976人減ったそうです。

県内外への転出や避難以外にも警戒区域の指定や砂防ダム建設のためにやむなく立ち退いた住民も含まれ、現在も立ち退きで地元を去る住民が後を絶ちません。

ただでさえジジババばかりの人口の少ない過疎地域だというのに土砂災害がそれに 追い打ちをかけるように人口流出は加速し、歯止めが掛からないこの状態では隣組や行事もままならなくなるのは必至で、地域コミュニティーの衰退は避けられません。





地元では一番若手だった私も今は身体が言うことを聞かない状態ということで、夏祭りの運営委員(現場指揮官の代理代行、力仕事)を外れたことも遠因となり、今年の夏祭りは中止になってしまいましたし、地域活動の担い手がますます少なくなった今、本当に地元はこれからどうなってしまうのか……。