(臨時営業)訃報23件+α (2022年12月)
2022年12月29日(木) これがおそらく今年最後の記事になると思うが、訃報をまとめて(敬称略)。 冬ということもあってとにかく件数が多く、個人的な感想は出来るだけ省略して、写真と代表的な業績を記すことで哀悼の意に変えたいと思う(と書いているうちに新たな訃報が次々と追加されるのだが、とりあえず年内は以下で打ち止めにする)。 まずは上に写真を掲げた映画監督の吉田喜重(よしだ・よししげ。8日死去、享年満89歳)。 自らはその名で括られるのを嫌っていたようだが(★)、大島渚や篠田正浩と共にいわゆる「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の代表的な監督とされる。女優の岡田茉莉子は夫人。 東大仏文を卒業して松竹撮影所に入社し、木下惠介らのもとで助監督を経験した後、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」(1959年)やクロード・シャブロルの「いとこ同志」、ジャン・リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」(1960年)などとほぼ同時期に本家「ヌーヴェル・ヴァーグ」にも決して引けをとらない(ただし彼らの作品や中平康の「狂った果実」(1956年)などから影響を受けている可能性はある)「ろくでなし」(1960年)で監督デビューを飾った。 その後の作品に、藤原審爾原作の「秋津温泉」(1962年)や石坂洋次郎原作の「水で書かれた物語」(1965年)、川端康成原作の「女のみづうみ」(1966年)や立原正秋原作の「情炎」(1967年)、大杉栄や伊藤野枝によるいわゆる「日蔭茶屋事件」に取材した「エロス+虐殺」(1969年)、二・二六事件で指導的役割を担ったとして死罪になった北一輝をモデルとする「戒厳令」(1973年)、佐江衆一の原作をもとに認知症問題を扱った「人間の約束」(1986年)、松田優作を主演に起用したエミリー・ブロンテ原作の「嵐が丘」(1988年)、広島で被爆し後遺症を抱える主人公を描いた遺作「鏡の女たち」(2002年)などがある。 晩年の2020年にはナチス副総統だったルドルフ・ヘスをモデルとする小説「贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争」を上梓して話題になった。《★これに関しては当ブログの大島渚追悼の記事の中で触れている→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502040524.html》 英紙ガーディアンの追悼記事はなさそうなので、以下のル・モンド(英語版)他の記事を。 https://www.lemonde.fr/en/obituaries/article/2022/12/12/yoshishige-yoshida-japanese-new-wave-filmmaker-dies-aged-89_6007494_15.html 英国映画協会(British Film Institute=BFI)の追悼記事 https://www.bfi.org.uk/news/yoshishige-yoshida-obituary-leading-light-japanese-new-wave 2人目も同じ映画監督の崔洋一(さい・よういち/チェ・ヤンイル。11月27日死去、享年満73歳。上の写真)。 在日朝鮮人と日本人のハーフで東京朝鮮中高級学校高級部を卒業後、映画業界に入って照明や小道具を担当し、大島渚の「愛のコリーダ」(1976年)や村川透の「最も危険な遊戯」(1978年)では助監督を務める。1983年に内田裕也主演の「十階のモスキート」で監督デビューを飾った。 角川作品などを何本か撮った後、梁石日(ヤン・ソギル)原作で在日コリアン経営のタクシー会社を舞台とする「月はどっちに出ている」(1993年)が高く評価され、その後も高村薫原作の「マークスの山」(1995年)や又吉栄喜原作の「豚の報い」(1999年)、花輪和一の漫画が原作の「刑務所の中」(2002年)、視覚障害者や盲導犬を題材にした「クイール」(2004年)、「月はどっちに出ている」と同じ梁石日原作の「血と骨」(2004年)などを監督した(当ブログでも私の一番のお気に入りである「刑務所の中」を採り上げたことがある→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502039692.html)。 主要海外メディアでの訃報は見つからなかったので、お隣韓国KBSの英文ニュースを(しかし見出しには名前も書いておらず、韓国系であることが強調されているのはいつもながらである)。☆Renowned Japanese Director of Korean Descent Dies https://world.kbs.co.kr/service/news_view.htm?lang=e&Seq_Code=174098 続いてフランスの(やはり)映画監督のジャン・マリー・ストローブ(Jean-Marie Straub。11月20日死去、享年満89歳。上の写真右)。 妻のダニエル・ユイレ(Danièle Huillet、2006年に70歳で死去。上の写真左)と共同監督した作品で知られ、当初ロベール・ブレッソンに脚本を捧げたものの自分たちで監督するよう提案され、アルジェリア戦争を機にフランスを離れた後に西ドイツで撮リ上げた「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」(1968年)の他、ハインリヒ・ベル原作の作品などを何本か監督してドイツを後にした。 その後イタリアに移住し、ピエール・コルネイユやベルトルト・ブレヒトの戯曲やフランツ・カフカの小説「アメリカ」、アルノルト・シェーンベルクのオペラなどをもとにした長短編作品を撮り続け、その他にも「早すぎる、遅すぎる」(1982年)や「エンペドクレスの死」(1987年)、「今日から明日へ」(1997年)や「シチリア!」(1999年)、「労働者たち、農民たち」(2002年)、「ルーヴル美術館訪問」(2004年)、「彼らとのあの出会い」(2006年)などの作品がある。 英紙ガーディアンの追悼関連記事は以下の通り。☆Jean-Marie Straub obituary https://www.theguardian.com/film/2022/nov/21/jean-marie-straub-obituary☆Radical French director Jean-Marie Straub dies aged 89 https://www.theguardian.com/film/2022/nov/21/radical-french-director-jean-marie-straub-dies-aged-89 そしてこれまた(英国の)映画監督で脚本家のマイク・ホッジス(Mike Hodges。17日死去、享年満90歳。上の写真)。 正直私はよく知っている監督とは言い難いのだが、マイケル・ケイン主演の監督デビュー作「狙撃者」(Get Carter、1971年)がおそらく代表作で、その後アメリカで「オーメン2 ダミアン」(1980年)の脚本を手掛けたり、漫画が原作でクイーンによる音楽が話題になった「フラッシュ・ゴードン」(1980年)やジャック・ヒギンズ原作の「死にゆく者への祈り」(A Prayer for the Dying、1987年)などを撮り上げた。 英紙ガーディアンの追悼関連記事は以下の通り。☆Mike Hodges obituary https://www.theguardian.com/film/2022/dec/22/mike-hodges-obituary☆Mike Hodges, Get Carter and Flash Gordon director, dies aged 90 https://www.theguardian.com/film/2022/dec/21/mike-hodges-get-carter-and-flash-gordon-director-dies-aged-90☆Mike Hodges: a masterpiece creator as comfortable with gritty crime as with zany sci-fi https://www.theguardian.com/film/2022/dec/21/mike-hodges-sci-fi-get-carter-flash-gordon 次は建築家の磯崎新(いそざき・あらた。28日死去、享年満91歳。上の写真)。 この人のことも名前以外よく知っているとは言えないのだが(本来なら設計した建築物の写真をアップするところだろうが、詳しくないため割愛)、各種報道等の情報を簡単にまとめると、東大工学部建築学科を出た後で丹下健三に師事、磯崎新アトリエを設立して大分県立大分図書館や群馬県立近代美術館、つくばセンタービルなど日本各地の建築物を設計、1986年には英国王立建築家協会からRIBAゴールドメダルを授与され、日本館コミッショナーを務めた1996年のベネチア・ビエンナーレ国際建築展でも最高賞の金獅子賞を受けた。2019年にはプリツカー賞を受賞し、日本のポストモダン建築の旗手として活躍した、とでもなろうか。 亡くなったばかりのせいか、主要海外メディアの訃報は有料のニューヨーク・タイムズのものしか見つからなかったので、いずれ追加予定。 続いて歴史家・評論家の渡辺京二(25日死去、享年満92歳。上の写真1枚目=左の右。左に写っているのは作家の石牟礼道子)。 これまた著書をひとつも読んだことがなく(「逝きし世の面影」だけは一応持ってはいるものの積ん読のままである)、事実上名前しか知らないのだが、かの石牟礼道子の出世作・代表作である「苦海浄土」は当初渡辺の編集する雑誌「熊本風土記」に連載されて世の注目を浴び、その後も渡辺と石牟礼が公私にわたって支え合い続けたことはよく知られている(Wikipediaや文春オンラインの記事=https://bunshun.jp/articles/-/10767にはいずれも既婚者だったこのふたりの関係が具体的にどんなものであったかの詳しい記述はなく、詳細は米本浩二という人の「魂の邂逅―石牟礼道子と渡辺京二―」という著書に詳しいようである←ただしこの本には斎藤美奈子による以下のようなフェミニスト的視点?からの批判もあるようである→https://www.webchikuma.jp/articles/-/2301)。 フランスのジャーナリスト・作家のドミニク・ラピエール(Dominique Lapierre。4日死去、享年満91歳。上の写真)。 ナチス占領下におけるパリ解放の模様をヴィヴィッドに描いた米国人ジャーナリストのラリー・コリンズ(2006年に75歳で死去)との共著「パリは燃えているか」で知られ、同作は1966年に米仏の人気俳優を揃えた豪華キャストでルネ・クレマンによって映画化された(脚本はゴア・ヴィダルとフランシス・フォード・コッポラ。ただし映画の出来は可もなく不可もなし)。 その後1985年に発表したインドのスラム街を舞台とする小説(単著)「シティ・オブ・ジョイ」(小説の邦題は「歓喜の街カルカッタ」)も評判になり、1992年にはロラン・ジョフェによって映画化された。 英紙ガーディアンには追悼記事がなさそうなので、ル・モンド(英語版)とフランス24の記事を。☆https://www.lemonde.fr/en/obituaries/article/2022/12/07/dominique-lapierre-adventurer-and-author-of-successful-historical-novels-dies-at-91_6006823_15.html☆https://www.france24.com/en/live-news/20221205-french-author-dominique-lapierre-dies-at-91 続いてノンフィクション作家のドウス昌代(11月18日死去、享年満84歳。上の写真)。 第2次世界大戦中に連合国向けのプロパガンダ放送を担った女性たちを追った「東京ローズ」(上の書影)で作家デビュー(訃報に接した後でKindle版を購入してみたため、近いうちに読んでみたいと思っている)。 その後も日系人部隊の第442連隊戦闘団を扱った「ブリエアの解放者たち」や、1920年にハワイの砂糖きび畑で起きた日本人移民のストライキと会社側の通訳宅爆破事件を扱った「日本の陰謀」、米国出身の日系人彫刻家・アーティストであるイサム・ノグチの生涯を追った「イサム・ノグチ 宿命の越境者」等、敵国同士として戦った日米の間で苦渋をなめた人々に取材した著書を幾つも著した。 続いて数多くの映画やドラマの音楽を世に送り出した米国の作曲家アンジェロ・バダラメンティ(Angelo Badalamenti。11日死去、享年満85歳。上の写真右)。 シャーリー・バッシーやニーナ・シモンに曲を提供するなどした後、デイヴィッド・リンチの「ブルーベルベット」(1986年)にイザベラ・ロッセリーニの歌唱コーチとして参加したのを機に同作のサウンドトラックを担当するようになり(以下の★参照)、その後も同監督のドラマ「ツイン・ピークス」(1986年)をはじめ、「ワイルド・アット・ハート」(1990年)、「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」(1992年)、「ロスト・ハイウェイ」(1997年)、「ストレイト・ストーリー」(1999年)、「マルホランド・ドライブ」(2001年)と、ほとんどの作品で音楽を担当した。 編曲家としてもポール・マッカートニーやペット・ショップ・ボーイズ、デイヴィッド・ボウイなどと仕事を共にし、デイヴィッド・リンチ作品以外にもジャン・ピエール・ジュネとマルク・キャロの「ロスト・チルドレン」(La Cité des Enfants Perdus、1995年)やジェーン・カンピオンの「ホーリー・スモーク」(1999年)、ダニー・ボイルの「ザ・ビーチ」(2000年)、ジャン・ピエール・ジュネの「ロング・エンゲージメント」(Un long dimanche de fiançailles、2004年)、クリストファー・ウォーケンやフィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナーなどが競演した「25年目の弦楽四重奏」(A Late Quartet、2012年)などで映画音楽を担当した。★ドラマ「ツイン・ピークス」のサウンド・トラック(YouTube公式より) https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kjzgzCowTlBA3NHORpTITf4WKHzKhm3bc また公式YouTubeは以下のアドレス。 https://www.youtube.com/channel/UC7ygKpFFov9EnbZQq3SqRCA/playlists 英紙ガーディアンの追悼関連記事は以下の通り。☆Angelo Badalamenti, David Lynch’s composer on Twin Peaks, Blue Velvet and more, dies aged 85 https://www.theguardian.com/music/2022/dec/13/angelo-badalamenti-david-lynchs-composer-on-twin-peaks-blue-velvet-and-more-dies-aged-85☆Angelo Badalamenti was a master composer who created theme music history with Twin Peaks https://www.theguardian.com/music/2022/dec/13/angelo-badalementi-twin-peaks-theme-tv-david-lynch 次いでフランスの女優ミレーヌ・ドモンジョ(Mylène Demongeot、1日死去、享年満87歳)。 ジャン・ポール・サルトルがアーサー・ミラーの戯曲「るつぼ」を脚色した映画「サレム(セイラム)の魔女」(Les Sorcières de Salem、1957年。オットー・プレミンジャー監督)で注目を浴び、ジーン・セバーグ主演の「悲しみよこんにちは」(フランソワーズ・サガン原作)で、デイヴィッド・ニーヴン演ずるレーモン(セバーグ演ずるセシルの父親)の若き愛人役を演じて人気を博した。 その後アラン・ドロン主演の「お嬢さん、お手やわらかに!」(Faibles Femmes、1959年)や「アイドルを探せ」(1964年。いずれも監督はミシェル・ボワロン)などに出演した後、ジャン・マレーやルイ・ド・フュネスと共演したコメディ映画「ファントマ」3部作(1964-67年。上の写真2枚目=右はこの3人を写したもの)も話題になった。 親しみやすく可愛らしい容貌から1950-60年代には日本でも人気があり、そのためか武田鉄矢主演の「ヨーロッパ特急」(1984年)や「東京タワー」(2005年)などの日本映画にも出演した。 日本のアニメ「ヤッターマン」に登場する「ドロンジョ」(の名前?)はこの人がモデルだそうである。 英紙ガーディアンには追悼記事がなさそうだったので、以下のフランス24の記事を。 https://www.france24.com/en/live-news/20221201-france-s-mylene-demongeot-dies-after-70-years-of-screen-stardom* ここまで書くのに、調べ物だけでゆうに数時間(10数時間?)かかってしまったので、以下は駆け足で。 ブラジルのサッカー選手ペレ(Pelé、本名はEdson Arantes do Nascimento。29日死去、享年満82歳。上は夫人と写った写真)。 前にも書いた通り昔からサッカーに全く興味のない私はその名前以外よく知らない人なのだが、3度のワールドカップ制覇を遂げた元ブラジル代表として、サッカー史上最高の選手とされている(らしい)。 英紙ガーディアンの追悼関連記事は以下の通り。☆Pelé obituary https://www.theguardian.com/football/2022/dec/29/pele-obituary☆Pelé, Brazil World Cup winner and football legend, dies aged 82 https://www.theguardian.com/football/2022/dec/29/pele-brazil-dies-football-legend☆Pelé: a life in pictureshttps://www.theguardian.com/football/gallery/2022/dec/29/pele-a-life-in-pictures 米国の俳優ヘンリー・シルヴァ(Henry Silva。9月14日に死去していたことが公表された。享年満95歳。上の写真)。 1952年にエリア・カザンの「革命児サパタ」で映画出演を果たし、名門アクターズ・スタジオに入って演技を学び直しながら、数々の西部劇やオードリー・ヘプバーン主演の「緑の館」(1959年)などで悪役や敵役を演じた。 1960年には「オーシャンと十一人の仲間」(Ocean's Eleven)でフランク・シナトラの知己を得、その後も「影なき狙撃者」(The Manchurian Candidate、1962年)などでシナトラと共演した。 マカロニ・ウェスタンを始め海外作品への出演も多く、「復活の日」(1980年、深作欣二監督)や「漂流教室」(1987年、大林宣彦監督)などの日本映画にも出演した(私にとっても前者における超タカ派の軍人役の印象が最も強烈である)。 英紙ガーディアンの追悼関連記事は以下の通り。☆Henry Silva obituary(既に亡くなっている同紙の追悼記事専門記者Ronald Berganが準備していた記事をアップデートして完成させたもの) https://www.theguardian.com/film/2022/nov/27/henry-silva-obituary 俳優の佐藤蛾次郎(9日死去、享年満78歳。上の写真)。 代表作は「男はつらいよ」シリーズにおける柴又帝釈天の寺男「源公」役。 次も俳優の志垣太郎(3月5日に死去していたことが発表された。享年満70歳。上の写真)。 代表作はドラマ「あかんたれ」(1976年-78年)や大河ドラマの「新・平家物語」、「花神」などか(いずれも私は未見)。 続いて米国の女優カースティ・アレイ(Kirstie Alley。5日死去、享年満78歳)。 上の写真は映画デビュー作の「スタートレックII カーンの逆襲」(1982年)で、私はこの作品と、ウディ・アレン監督の「地球は女で回ってる」(Deconstructing Harry、1997年)しか出演作を知らない(しかも最近たまたま前者を鑑賞したから記事にしようと思っただけで、そうでなかったら採り上げようとも思わなかったに違いない)。代表作はエミー賞やゴールデングローブ賞を受賞したテレビ・ドラマ・シリーズの「チアーズ」か。 英紙ガーディアンには結構詳細な追悼記事が載っていて、私が思っていた以上に有名な女優さんらしいことが分かった。☆Kirstie Alley obituary https://www.theguardian.com/tv-and-radio/2022/dec/06/kirstie-alley-obituary☆Kirstie Alley, Cheers and Look Who’s Talking actor, dies aged 71 https://www.theguardian.com/film/2022/dec/06/kirstie-alley-dies-aged-71-cheers-look-whos-talking-actor☆Kirstie Alley – a life in pictures https://www.theguardian.com/tv-and-radio/gallery/2022/dec/06/kirstie-alley-a-life-in-pictures☆Kirstie Alley was celebrated not because she was flawless – but because her flaws were so visible https://www.theguardian.com/tv-and-radio/2022/dec/07/kirstie-alley-was-celebrated-not-because-she-was-flawless-but-because-her-flaws-were-so-visible 続いて俳優の江原真二郎(9月27日に死去していたことが公表された。享年満78歳。上の写真左上。一緒に写っているのは女優で夫人の中原ひとみと子供たち=いずれも元俳優の故・土家歩と土家里織)。 テレビや映画で余りに頻繁に目にして来たため、どの作品が代表作なのか決めようがないのだが、映画では「米」(1957年)や「純愛物語」(1957年)、「あれが港の灯だ」(1958年)、「婉という女」(1971年)などの今井正監督作や、山本薩夫監督の「戦争と人間」3部作あたりだろうか(1970-1973年)。 個人的にはテレビドラマの横溝正史シリーズ「悪魔が来りて笛を吹く」(1977年)や森村誠一シリーズ「腐蝕の構造」(1977年)などでの演技が印象深い。 続いて女優・タレントのあき竹城(15日死去、享年満75歳。上の写真)。 この人もまた余りに頻繁に目にしていたのでかえって印象が希釈化されてしまい、どれが代表作なのやら見当もつかない。1977年の「トラック野郎・度胸一番星」や今村昌平の「楢山節考」(1983年)、「男はつらいよ」シリーズなどにも出ているそうなのだが、残念ながらほとんど記憶に残っていない。 ざっくばらんで親しみやすい山形弁での語りを披露していた「秘密のケンミンSHOW」が一番記憶に残っている、など書くと、女優としてのこの人に申し訳ない気もするのだが・・・・・・(と書いている途中で、伊丹十三監督の「スーパーの女」(1996年)と「マルタイの女」(1997年)での強烈な印象が甦ってきた)。 次は歌手でロック・バンド「フリートウッド・マック」のメンバーだったクリスティン・マクヴィー(Christine McVie。11月30日死去、享年満79歳。上の写真)。 一時的な休止期間をはさんで1967年の結成から現在まで50年以上活動を続けている「フリートウッド・マック」は、音楽性の変化やメンバーの入れ替えも結構あることから、どの時代に親しんだかによってイメージが大きく異なるグループと言えるだろう。 私にとっては全盛期の「ファンタスティック・マック」(原題:Fleetwood Mac、1975年)や「噂」(原題:Rumours、1977年)、「牙」(原題:Tusk)などの「名盤」より、このクリスティン・マクヴィーがリード・ヴォーカルを取っている以下の2曲(★)を含む1987年発表の「タンゴ・イン・ザ・ナイト」が最もよく記憶に残っており、「フリートウッド・マック」=クリスティン・マクヴィーの歌声だと言っても過言ではなく、彼女の死は(あくまで私にとってだが)このグループの終焉を意味すると言って良い出来事である。★Little Lies https://www.youtube.com/watch?v=uCGD9dT12C0★Everywhere https://www.youtube.com/watch?v=MmyDosjjP5U 英紙ガーディアンの追悼関連記事は以下の通り。☆Fleetwood Mac’s Christine McVie dies at age 79 https://www.theguardian.com/music/2022/nov/30/fleetwood-macs-christine-mcvie-dies-at-age-79☆Christine McVie: a look back at the Fleetwood Mac star’s greatest hits – video obituary https://www.theguardian.com/music/video/2022/nov/30/christine-mcvie-a-look-back-at-the-fleetwood-mac-stars-greatest-hits-video-obituary☆Christine McVie: her 10 greatest recordings with Fleetwood Mac and solo https://www.theguardian.com/music/2022/dec/01/christine-mcvie-her-10-greatest-recordings-with-fleetwood-mac-and-solo☆Fleetwood Mac’s Christine McVie – a life in pictures https://www.theguardian.com/music/gallery/2022/nov/30/christine-mcvie-life-in-pictures☆‘See you on the other side’: musicians pay tribute to Fleetwood Mac’s Christine McVie https://www.theguardian.com/music/2022/dec/01/musicians-pay-tribute-to-christine-mcvie-fleetwood-mac 次いで米国の歌手・女優のアイリーン・キャラ(Irene Cara。11月25日死去、享年満68歳。上の写真)。 おそらく大方の人と同じく私も1980年の「フェーム」と1983年の「フラッシュダンス」しか知らないのだが、しかもいずれも映画自体は見たことがなく、米国アカデミー賞やグラミー賞を受賞したというこれら2作の主題歌(★)を、当時テレビやラジオで繰り返し聴かされただけでしかない。 ★「What a Feeling」(「Flashdance」1983) https://www.youtube.com/watch?v=miax0Jpe5mA★「Fame」1980 https://www.youtube.com/watch?v=dF4P4Gcwcps 英紙ガーディアンの追悼関連記事は以下の通り。☆Irene Cara obituary https://www.theguardian.com/film/2022/nov/27/irene-cara-obituary☆Fame and Flashdance singer and actor Irene Cara dies aged 63 https://www.theguardian.com/film/2022/nov/26/fame-and-flashdance-singer-and-actor-irene-cara-dies-aged-63 俳優で歌手・タレントの渡辺徹(11月28日死去、享年満61歳。上の写真)。 テレビ・ドラマ「太陽にほえろ!」のラガー刑事役で人気を博し、1982年発表の「約束」も大ヒット(https://www.youtube.com/watch?v=Fyzmc-r6sCs)、その後は俳優や歌手のみならず、(大食・過食のせいで)すっかり立派になった体格や明るく親しみやすい性格からバラエティー番組の司会者やナレーターなど「マルチタレント」として活躍した。歌手・女優(こちらも渡辺に劣らぬマルチタレントだが)の榊原郁恵は夫人。 歌手・タレントの水木一郎(6日死去、享年満74歳。上の写真)。 これまたよく知っている人とは言えないものの、子供の頃に見た「マジンガーZ」(1972-74年)や「バビル2世」(1973年)、「侍ジャイアンツ」(1973-74年)、「がんばれ!! ロボコン」(1974-77年)などでその歌唱に親しんでいたことは間違いない(もっとも「マジンガーZ」などは今聴き直してみても全く記憶が喚起されず、一番よく覚えているのは「バビル2世」の主題歌である→https://www.youtube.com/watch?v=fsRGoxS-nSk)。 歌手や女優、タレントの高見知佳(21日死去、享年満60歳。上の写真)。 やはり名前と顔には昔から親しんでいたものの、実際にどんな歌を歌い、活動をしていたのかほとんど記憶にないのだが、今年の参院選では地元・愛媛県から出馬して落選し、その後も政治活動を続けていた中での突然とも言える死だったらしい。 深作欣二監督の映画「蒲田行進曲」(1982年)にも出演しているそうなので(ただし記憶は全くない)、近いうちに見直してみたいと思っている。 最後に中国の元国家主席である江沢民(11月30日死去、享年満96歳。上の写真)。 1989年の天安門事件で失脚した趙紫陽に代わり共産党総書記に就任した後、軍事委員会主席と国家主席にも就いたことで中国の3大権力を掌握するに至った。 経済政策では改革開放路線を継承して今日に至る中国経済の基礎固めを行ったが、対日関係では厳しい姿勢で反日教育を進め、1998年の訪日の際も過去の歴史問題に対する謝罪を強く求め、天皇との晩餐会でも日本の軍国主義を批判するなどして、両国間の関係は悪化した(そうである)。 英紙ガーディアンの追悼関連記事は以下の通り。☆Jiang Zemin obituary https://www.theguardian.com/world/2022/nov/30/jiang-zemin-obituary☆Former Chinese president Jiang Zemin dies at 96 https://www.theguardian.com/world/2022/nov/30/jiang-zemin-former-chinese-president-dies-at-96☆Jiang Zemin: a look back at the former Chinese president's rule – video obituary https://www.theguardian.com/world/video/2022/nov/30/jiang-zemin-a-look-back-at-the-former-chinese-presidents-rule-video-obituary 「追悼」するには相応しくないだろうということで最後に付記するに留めるが(写真もあえて載せない)、「パリ人肉事件」で知られる佐川一政(11月24日死去、享年満73歳)。 1981年に留学先のパリでオランダ人女子留学生を殺害し、その肉を食べたということで一大スキャンダルを巻き起こしたが、「心神喪失状態」にあったとして不起訴となり、やがて日本に送還されて「無罪放免」となってからは、作家や評論家などとして活動していた。 私も事件当時に衝撃を受け、1983年に出版された佐川自身による小説「霧の中」(上の書影)を買って読んだりもしたものである(同時期に芥川賞を受賞した唐十郎の「佐川君からの手紙」も話題になったものの、これは未だに読んでいない)。 最後の人物は別として、上記の人々の死を悼み、心から冥福を祈りたい。