(臨時営業)これはさすがに……またもマニアックな「ザ・ビートルズ商法」
2019年10月18日(金) ザ・ビートルズがグループとして正式に活動したのは1962年末に「Love Me Do」でデビューしてから1970年に解散するまでのわずか7年半ほどで、公式録音曲はカヴァー曲も含めて213曲しかなく(カヴァー曲の「Kansas City/Hey Hey Hey Hey」を2曲とみなして214曲とする見方もあるようで、最近ちょっと覗いてみたザ・ビートルズ研究家マーク・ルイソンの「ザ・ビートルズ史」(The Beatles-All These Years: Volume One: Tune In)英語版の冒頭には214曲と書いてあった)、デビュー前の演奏やオーディションの演奏、(公式・非公式あわせた)ライヴ演奏やデモ・テープ、別テイクなどを全てあわせても、その音源の数には自ずと限りがある。 しかし解散から50年近くの歳月を経ても彼らの音楽は未だに「ドル箱」であり、レコード会社は手を変え品を変えてはそれらの音源をいじくり回して「新商品」を案出し、市場に送り出してきた。そのことを私はさんざんこのブログで「ザ・ビートルズ商法」(★)と揶揄してきたのだが、実際のところ、当の私自身があっさりその商法に騙され、それなりの出費をしてきたというのが悲しい(嬉しい?)現実である。 つい先日「Abbey Road」50周年記念盤が発売されたばかりなのにもかかわらず、またもや新たな商品の発売が決まったようである。11月22日発売の「ザ・シングルス・コレクション」である(https://www.universal-music.co.jp/the-beatles/news/2019-10-16-release/ プロモーション動画→https://www.youtube.com/watch?v=sJdqIMym_3U。←日本における商品名が「シングル"ス"」と濁っていないのが特徴?であるが、なんだか響きがひどくやぼったい……)。 もっとも今回は、ザ・ビートルズ好きを自認しながらも、世にあまた存在する「真正マニア」たちに比べてしまえば単なる愛好家(アマチュア)の末席を汚しているに過ぎない私のような「似非マニア」からすれば、全く食指の動かないかなりマニアックな内容となっている。その意味では、約2年前に発売された「クリスマス・レコード・ボックス」という商品(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041889.html)に近い位置づけと言って良く、前回同様、媒体はいわゆるヴァイナル(ヴィニール=Vinyl)・レコード(のシングル盤)のみでの発売である(そうした商品の性質からか、「完全限定盤」とうたわれて生産枚数も限られている)。 商品内容としては、ザ・ビートルズが活動していた1962年から1970年までの間に英国で発売されたシングル盤22枚(これらをまとめて収録した「シングル・コレクション」というものが、かつてレコード及びCDで発売されていたことがある)に加え、1995年から2000年にかけてCDや書籍、ヴィデオが販売された「アンソロジー」プロジェクトによる約四半世紀ぶりの「新曲」2曲(「Free as a Bird」と「Real Love」)を加えた、計23枚のシングル・レコードである(詳細は以下の一覧参照。最後の括弧内の数字はオリジナルの発売年、国名は当該ジャケットの製作国)。Disc 1 : Love Me Do / P.S. I Love You (1962 アメリカ)Disc 2 : Please Please Me / Ask Me Why (1963 イタリア)Disc 3 : From Me To You / Thank You Girl (1963 ノルウェー)Disc 4 : She Loves You / I'll Get You (1963 ギリシャ)Disc 5 : I Want To Hold Your Hand / This Boy (1963 チリ)Disc 6 : Can't Buy Me Love / You Can't Do That (1964 オーストリア)Disc 7 : A Hard Day's Night / Things We Said Today (1964 オランダ)Disc 8 : I Feel Fine / She's A Woman (1964 スウェーデン)Disc 9 : Ticket To Ride / Yes It Is (1965 スペイン)Disc 10 : Help! / I'm Down (1965 ベルギー)Disc 11 : We Can Work It Out / Day Tripper (1965 フランス)Disc 12 : Paperback Writer / Rain (1966 トルコ)Disc 13 : Eleanor Rigby / Yellow Submarine (1966 アルゼンチン)Disc 14 : Strawberry Fields Forever / Penny Lane (1967 オーストラリア)Disc 15 : All You Need Is Love / Baby, You're A Rich Man (1967 西ドイツ)Disc 16 : Hello Goodbye / I Am The Walrus (1967 メキシコ)Disc 17 : Lady Madonna / The Inner Light (1968 日本)Disc 18 : Hey Jude / Revolution (1968 南アフリカ)Disc 19 : Get Back / Don't Let Me Down (1969 デンマーク)Disc 20 : The Ballad Of John And Yoko / Old Brown Shoe (1969 ポルトガル)Disc 21 : Something / Come Together (1969 イスラエル)Disc 22 : Let It Be / You Know My Name (1970 英国)Disc 23 : Free as a Bird / Real Love (1995/1996 全世界統一) 今回はこれらの曲について、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオに所属するショーン・マギーなる人が「オリジナルのモノラルおよびステレオのマスター・テープからマスタリング及びカッティング」した「最新リマスター音源を収録」しているそうである。さらに(「シングル・コレクション」として過去に発売された時もそうだった気がするが)これら23枚のシングル・レコードは、世界中の国々で発売された際のオリジナル・ジャケットにもとづいた「ピクチャー・スリーヴ」に収められるとのことである(写真が小さくてよく見えないが、上の2枚目の写真を参照)。 前回の「クリスマス・レコード・ボックス」の時もそうだったが、そもそもヴァイナル・レコードを聴けるプレイヤーを持っていない私には、この商品を聴く物理的環境がないことが最大の障碍であり、さらにわずか23枚のシングル・レコードに大枚26,950円(英国では194.99ポンド=約27,000円)也をはたく気も(正直なところ)サラサラない。 その上、この「シングル・コレクション」に収録されている音源が貴重だったのは、公式アルバムに収録されているものとは異なる音源(例えばアルバム・ヴァージョンとは全く別物の「Help!」のモノラル音源など)が、このコレクションでしか手軽に聴くことが出来なかったからで、2009年の「リマスター盤」(「MONO BOX(The Beatles in Mono)」を含む)の発売やYoutubeなどの普及で、それらの別音源が簡単に聴けるようになった今では、その存在価値は著しく低下してしまったと言うしかない。 しかし「似非」マニアでしかない半可通の私が何をほざいてみたところで、世の「真正マニア」たちが健在である限り(もっともそれもせいぜいあと30年が限界だろうが)、「ザ・ビートルズ商法」はますます安泰のようである。★過去の関連記事「THE U.S.BOX」(3枚目)と「ミート・ザ・ビートルズ<JAPAN BOX>」https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041066.html「ザ・ビートルズ1」の最新エディションhttps://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041476.html「ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル」https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041697.html「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」50周年記念盤https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041814.html「ホワイト・アルバム」50周年記念盤https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502042143.html「Abbey Road」50周年記念盤https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502870833.html「クリスマス・レコード・ボックス」https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041889.html============================================================================ この間に読んだ本は、・岡崎京子「チワワちゃん」(Kindle版角川書店) 安価(単行本が1,078円するところKindle版はたった273円)で売られていたので読んでみたが、正直いずれの短編も可もなく不可もない出来である。岡崎京子作品としてはやはり「ヘルタースケルター」や「pink」、「リバーズ・エッジ」などが優れており、今作はむしろこれらの作品の習作的な位置づけにあると言っていいかも知れない。表題作の「チワワちゃん」は今年映画化されたらしいのだが、さほど長くないこの作品を1編の映画にするにあたってどのように膨らませたのか多少気になるところではある。 映画は、引き続きイングマール・ベルイマン作品を鑑賞。・「恥(1968年)」(イングマール・ベルイマン監督) 3.5点(IMDb 8.1) 日本版DVDで視聴 ベルイマンの監督作にしては極めて異色と言える「戦争映画」である。 これまでの作品が数人の登場人物のみによる対話を中心としていたのに対して、今作では戦闘機や戦車がちいさな街(島)を行き交ってあちこちで爆弾が破裂し、マックス・フォン・シドー演ずる主人公が親しかった人間を冷酷に殺害する場面などもあり、それまでのスタティックで個人的(閉鎖的?)な世界から抜け出て、より広い現実世界に向かって「新境地」を開拓しようとした作品だと言っていいだろう(前回見たホラー映画の「狼の時刻」(1966年)も、今作とは違って意味で新しい作品世界を構築しようとした一例だと言える)。 私生活でも監督のベルイマンと幸福な日々を送っていたせいか、本作におけるリヴ・ウルマンはいつになく美しく肉感的ですらある(冒頭でいきなり上半身のヌードが披露されている)。・「仮面ペルソナ(1966年)」(イングマール・ベルイマン監督) 3.5点(IMDb 8.1) 日本版DVDで再見 つい1年ほど前に見たばかりなのだが、一連のベルイマン作品の中に置いて改めて見直してみると、「神の沈黙」といった些か観念的な世界観や信仰の問題から多少距離を置き、より具体的に個々の人間存在の内面へと視線を転じることで、従来の作品よりもより広く普遍性のある作品世界を創出しえているように思える。 さすがに立て続けにベルイマン作品を見てくると、出演俳優がほとんど同じメンバーで食傷気味になってくるのだが、今作におけるビビ・アンデショーンの饒舌で表情豊かな「ひとり芝居」には間然するところがなく、終始押し黙っているリヴ・ウルマンとほぼ2人だけ(しかもほとんど室内で)の、ともすれば退屈極まりないものになりがちな設定であるにもかかわらず、ベルイマンの淡々としながらも峻厳で隙きのない演出やスヴェン・ニクヴィストの完璧で美しい映像は最後の瞬間までその緊張感が少しも弛緩することがなく、息苦しいまでの完成度を保っている。・「叫びとささやき(1972年)」(イングマール・ベルイマン監督) 3.5点(IMDb 8.1) TV録画したものを視聴 個人的なことになるが、ハリエット・アンデルソン演ずる2女アグネスが苦痛に満ちみちた死の床についている場面を見ながら、6月に死んだ愛犬の最期を重ね合わさずにはいられず、終始胸を締め付けられるようで仕方なかった。 今作は既に他家に嫁いでいる長女カーリンと3女マリアが、死に瀕したこのアグネスの最期を看取りに実家に戻って来て過ごす数日間の出来事を描いているのだが、苦しみの果てに死んだアグネスが、夢なのか現実なのか分からない状況で不意に生き返ってこの2人を呼ぶ場面がある。しかし彼女たちは既に体が腐敗し始めているらしいアグネスの「復活」を前にして、ただただ恐怖や嫌悪に襲われてパニック状態に陥るだけで、長らく彼女に仕えてきた召使(女)のアンナだけがその復活を従容と受け容れ、幼いわが子(アンナは過去に幼い娘を亡くしている)に乳を含ませて安心させるように、胸をあらわにしてアグネスの体をしっかりと抱きしめるのである。 母マリアと子イエスの「ピエタ像」にも似たその構図は今作で2度登場するのだが、その「復活」の場面からも明らかなように、このアグネスという人物は容易にイエス・キリストのことを連想させる。しかし結局のところ彼女はただカーリンとマリア、その夫たち、そして召使いアンナを一箇所に集める「狂言回し」に過ぎず、仮に彼女がイエス・キリストを象徴しているとしても、それが正確に意味するところを正直私は今も全く理解できていない。 そして長女カーリンと3女マリア、この2人とその夫たち、あるいは幼時のアグネスと母親との間には、いずれも一筋縄では行かない複雑な葛藤やよそよそしさが存在しており、突発的な和解や離反を繰り返しながら、最後まで完全な理解や和合に到達することはない(むしろ互いの距離はますます広がっていくだけのようにしか見えない)。 特に長女カーリン(イングリッド・チューリン)は、他者との接触(特に人に触られること)を極度に嫌い、妹のマリアが和解を求めて抱擁しようとするのを断固として撥ね付け、その性癖のためか夫と同衾することを避けようと、割れたグラスの破片を自らの性器に突き刺した上、血を顔に塗りたくって夫をあざ笑ってみせまでするのである。露悪的なまでに歪んだ長女カーリンのこうした造型は自ずと作品全体に暗い翳を落とし、それに影響されてか(あるいはこれまた元々そういう性格なのか)3女のマリアも、映画の最後では自分から姉に和解を申し出たことなどすっかり忘れ、アグネスの葬儀が済んでしまうと、さっさと自分たちの家へと戻って行こうとするのである。 そして最期まで長年アグネスに仕え、その死を誰よりも純粋に悲しんでいる召使いのアンナは、雀の涙ほどの謝礼を与えられるだけであっさりと解雇されてしまう。まるで厄介者のように露骨に彼女を排除しようとする姉妹やその夫たちの冷淡な態度を前に、アンナは主人アグネスの形見からなにか選べと言われても、毅然として拒否する。そうして最後の最後まで一片の和解も、救済も、慰安も描かれることなく、幕が閉じられる。 長女カーリンが自分の性器を傷つけたり、「ピエタ」像に似た構図が登場する場面を目にして、私は即座に韓国のキム・ギドク監督の「魚と寝る女」や「嘆きのピエタ」のことを思い浮かべたのだが(そして同時に先日見た「狼の時刻」同様、かの「エクソシスト」のことも)、何よりもその露悪的なまでに残酷で陰惨な内容において、キム・ギドク作品に今作の影響があるように思えてならなかった。 ただし今作で最も印象的な赤を基調にした鮮烈な色遣いが、キム・ギドク作品に何らかの影響を与えているかについては、いずれ作品を見直して確認してみたいと思っているところである。記憶が曖昧で全く当てにならないのだが、キム・ギドク作品を見てその色遣いに強烈な印象を受けた経験は余りなかったように思うのだが……。 さらにどうでも良いことだが、まだ40代半ばでしかないイングリッド・チューリンが(その役柄や髪型のせいもあるに違いないが)驚くほど年老いていて、彼女だということに暫く気付かなかったものである。若々しい姿が見られた「野いちご」(1957年)から15年も経っているのは確かだが、顔の皮膚も不自然に引きつり、もはや老女と言ってもおかしくない程の変わりようなのである。 意地が悪いとは思いつつも、彼女が今作の前後に出演しているヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」(1969年)やサスペンス映画「カサンドラ・クロス」などを見てみて、「老け具合」を比較してみようと思っているところである。