2019年11月22日(金)

 まずは以前このブログに《「韓国」という国の終焉の始まり?》というタイトルで採り上げたことのある(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12510322562.html)、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)が条件付きで延長された話題に一応触れておくことにしたい(あわせて両国間で輸出管理問題に関する対話が正常に継続する間、世界貿易機関(WTO)への提訴手続きも停止するそうである)。

 とは言え、私は最近ほとんど韓国メディアをチェックしていない上(今回の件に関しても正直どうでも良いと思っていた)、今さっき接したばかりのニュースなので詳しい内容も知らないのだが、おそらくアメリカの度重なる圧迫を受け、「条件付き」(どんな条件なのかも今のところ私は知らない)という一応の留保を示した上、やむなく延長せざるをえなかったのだろう、くらいのことしか分からない。

 

 しかしこの期限切れ直前での突然の延長(「わが政府はいつでも韓日軍事秘密情報保護協定の効力を終了させられる前提のもと、2019年8月23日の終了通報の効力を停止させることにし」たという、実に分かりづらい表現が韓国政府の発表内容だが)というニュースを聞いた瞬間、どこかで似たような光景を目にした既視感を覚えずにいられなかった。むろんそれは約4年前の2015年12月末に電撃発表された、かの「慰安婦合意」である。

 思えばこの「慰安婦合意」も、それまで互いに歩み寄りうるとは全く思えなかった日韓政府が、いきなり譲歩し合って合意に至ったもので、特にそこに「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」という文言が盛り込まれたとの報道に、韓国側がよくこれほど大きな譲歩をしたものだと当時の私は驚いたものである。それだけ両国政府に対するアメリカ政府の圧迫が強く激しいものだったのだろうとその時の私は思ったし、多くの人もそう考えたに違いない。

 しかし周知の通り、この合意は当時韓国の大統領だったパク・クネ(朴槿恵)氏が2017年3月に弾劾され失脚したこともあって、現(進歩)政権によってあっさり無効化されてしまい、今も日本政府は合意内容の履行を求めているものの、事実上もはや有名無実の形骸と化してしまった。

 

 では、今回のGSOMIAは今後どうなるのだろうか。

 先の慰安婦問題と決定的に異なるのは、これが日韓2国間だけでなく、北朝鮮や中国などに対する日米韓3国の防衛体制に関わる問題だということで、アメリカ政府が韓国に関係者を次々と送り込んで執拗に韓国(と日本)に圧迫を加え続けたのも、日韓GSOMIAの破棄が日韓2国間の外交関係のみならず、東アジア地域における米国の軍事的プレゼンスを低下させかねないことを嫌ったために違いない。

 日韓間の「過去の歴史問題」でしかない「慰安婦合意」とは異なり、米国が密接に絡んだGSOMIAは、事実上の延長を決めたことにより、「いつでも終了が可能だ」とする韓国政府の「前提」とは裏腹に、もはやその決定を簡単に覆すことが出来なくなってしまったと言っていいだろう。韓国政府の立場ではあくまで一時的な「終了の停止」という捉え方のようだが、延長が明らかになった直後に日本の防衛相がすかさず言及することで韓国政府を牽制したように、早晩「継続」的な運用へと「正常化」せざるをえなくなるかも知れない。

 

 一方で日本政府は、GSOMIAの延長を受けても、対韓国の輸出管理措置に変更はないと言明しており、上辺(うわべ)だけ見るならば韓国側が一方的に譲歩したという風に見えなくもない(むろん実際には日韓あるいは韓米が水面下で何らかの「取り引き」をしたのだろうが、今のところ詳細は一切明らかになっていない)。

 そうなると韓国政府は、2015年の「慰安婦合意」の後と同じく、国内的に難しい立場に立たされる可能性がある。ちょうど韓米間では、在韓米軍の駐留費大幅値上げをめぐって協議が難航しているところで、もし今回のGSOMIA延長と引き換えに韓国が米国から何らかの「具体的見返り」を約束されているようなことがあれば、そうした国内的批判を多少はかわすことが出来るかも知れない。

 また、先に韓国のムン・ジェイン(文在寅)大統領が北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)委員長に親書を送り、今月末に韓国・釜山で開かれる「韓・ASEAN特別首脳会議」に招待していた件で、昨日になって北朝鮮から出席を見合わせるという返答が届いたことが明らかにされた(このことも今回のGSOMIA延長に多少なりとも影響を与えただろうと私は推察している)。

 この招待の事実上の「拒否」にも見て取れるように、かねてより韓国政府が秋波を送り続けているにもかかわらず、北朝鮮が一貫して韓国に無礼とも言える冷たい対応を繰り返していることや、今回のGSOMIA延長が実質的に北朝鮮(+中国)に対する日米韓3国の防衛体制維持を意味することも、国内的な「言い訳」として利用することが出来るかも知れない。

 

 

 すっかり「あだしごと(他し事)」が長くなってしまったため、「本題」の方を短めにしようと思うが、冒頭に掲げたのは、最近ソウル市内でよく目にする電動キックボードの写真である。

 この写真は「올룰로」(オルルルロ、olulo)という会社が運営する「킥고잉(KICKGOING、キッコイン)という共有サービスのもので、同社を立ち上げたチェ・ヨンウ代表は、現代モービスや現代自動車で研究員としてコネクテッド・カーやモビリティ・サービスなどに関わった後、中国の自転車シェアリング事業「モバイク」などを参考に、昨年から電動キックボードのシェアリング事業「キックゴーイング」を始めたそうである(同サービスのウェブサイト→https://kickgoing.io/。サービス紹介動画は→https://www.youtube.com/watch?v=wzJ0bfUdVhI)。写真は同ウェブサイトより拝借した。

 

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 このサービス自体の良し悪しは実際に利用したことがないので分からないし、この会社そのものに対して個別にどうこう言うつもりも全くないのだが、問題は最近道路を歩いていると、このキックボードに乗った人が突然急スピードで後ろからやって来て真横を通り過ぎ、驚かされることがしょっちゅうあることである。

 歩道を歩いていても安心できないのは、違法にもかかわらず自転車が歩道を走り回っている日本も似たようなものだが、韓国では自転車に加えて宅配のオートバイやスクーター、そしてこのキックボードも加わって、ますます危険な状況になりつつある。

 もちろん上記の会社などでは、利用に際して安全規則を定め、①ヘルメットの着用、②路上の車両に注意し歩行者の安全を守ること、③運転免許証(原付免許)の保持、④交通法規遵守、などに関する案内を上記ウェブサイトに掲載している。

 

 しかしそもそもこれらの違反にどこまで罰則が設けられているのか、罰則があったとしてもどれだけの人がそれを守っているのか(そして違反者のうちどれだけの人が処罰されているのか)、正直疑問でしかない。特にキックボードに乗る際にヘルメットを着用し、歩道ではなく車道を走っている人など皆無と言って良く、そもそも原付き免許が必要だと知って乗っている人すらどれだけいるのか分かったものではない(私もこのウェブサイトを見るまで知らなかった)。

 というのも、日々この国で生活している上で交通規則を守らない自動車やオードバイなどに接する機会が余りにも多いからである。歩行者が信号無視をしたり横断歩道のない場所を渡るのは(他者に直接危害を及ぼす訳ではないため)まだ何とか許せるとしても、こちらが青信号で横断歩道を渡っていても自動車やオートバイが信号無視して猛スピードで直進してくることも日常茶飯事である。

 

 例えば私は毎日のように近所の川べりや公園を散歩しているのだが、公園脇の大通りを渡って帰路につく際、赤信号であるにもかかわらず停止線を踏み越え、歩行者が歩き始めている横断歩道さえも横切って車道のギリギリ端っこ(つまり交差点で前を横に走る車道の自動車とぶつからないところ)まで行こうとする自動車(しかも大抵は複数)にほぼ毎日遭遇している(おそらく一番端の車線にいる自動車は「通行人が横断歩道を歩いていなければ」そのまま直進して右折することが出来るのだろうが、此処で述べているのは一番端の車線以外の自動車のことである←ちなみに韓国は自動車は日本と反対に右側通行で左ハンドルです)。

 最初のうちはすっかり頭に来て運転手に抗議するジェスチャーをしたりしていたのだが、毎日同じことを繰り返されているうちにそんな気力すら失せ(しかも最近では、下手をすればそんな姿を逆に動画に撮られてインターネットで公開されかねない)、ただ「●☓□△! ■○▲!」(何と言っているか此処に書くことはさすがに躊躇われる)と、(運転手にはまず聞こえないだろう声で)虚しく叫びたてるしかないのである。

 

 はっきり言って、この国における交通規則に対する意識の低さは、電動キックボードのシェアリング・サービス以前に、普通の自動車やオートバイ、自転車すら原則禁止すべきだと言いたくなるようなレヴェルである。企業がインフラを整えるのは勝手だが、まずは政府や自治体などがそれ以前に交通規則を守ること(さらにそれ以前にその必要性の認識)を一般市民の間に定着させるべきであり、その実現のために罰則(罰金や免停等)を厳格化するなり、違反者の取り締まりを強化するなりすべきである(そうでもしなければ、いつまで経っても状況はまず間違いなく改善しない)。
 もちろん交通規則を守らないのはこの国の人間だけではない。しかしこれまで何カ国かの国に暮らしたり旅行で過ごしたりして来た経験から、この国ほど交通秩序に対する意識が低い場所は見たことがないと断言していい(後日追記 この記事を書いた数日後も、近くの市民公園脇の1車線道路が渋滞していたのを我慢できずにか、1台の運送トラックが公園横の多少広めの歩道を使って公園横を横断し、ふたたび道路に戻っていくのを目撃した。自分のことしか考えないこうした自動車やオートバイなどの違法行為を目にするのはほとんど日常茶飯事だと言っていい。→下がその公園横の歩道の写真である。この狭い空間を、小型とは言え、トラックが疾走していった訳である)。

 

 

 こんなことを書くと差別だのヘイトだのと言われそうだが、しかし公共意識なるものは人間が持って生まれた生得的なものではなく、教育や広報(周知徹底)、そして最後手段ではあるが、罰則を課すことなどによっていくらでも改善できる後天的なものであり、私は人種や民族などの生得的条件を問題にしている訳では全くない(反対に、公共秩序の低さに関して国民性や習慣などというものは何の言い訳にもならないし、むしろそうした言い訳をしようとする人間は進んで自らを貶めているだけでしかない)。

 そして自動車のみならず、オートバイや自転車、今回採り上げたキックボードなどの乗り物は、歩行者、とりわけ子供や老人にとっては完全なる凶器であり、現代社会において「凶器」を取り扱うには、基本的な法規制はむろん、利用者自身が細心の注意を払い、秩序や規則を守る意識が絶対必須である。極言するなら、それが出来ないような人間には端から利用自体を許可すべきではないと言ってもいい。



 さらにこのキックボード特有の問題として、返却場所が指定されているレンタカーや自転車シェアリングサービスなどとは違い、利用後に好き勝手な場所に乗り捨てられることが挙げられる。上は道路の片隅に停車されているため問題ない例だが、一般住宅の前や駐車場の前などにわざわざ(?)乗り捨てていく人も結構いるようで、私の周囲にも(利用者が毎日通勤に使っているためか)毎日のように家の前にキックボードを乗り捨てられて困っていると訴えたいた人がいる。

 このサービスを提供する企業には是非とも、単におざなりな安全やマナー遵守を呼びかけるだけでなく、システム上でも返却場所に一定の制限をかける(特定の場所でしか返却手続きが出来ない)などの対策を講じて欲しいものである。

 

 「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」という標語ではないが、「規則を守れないなら乗るんじゃねえ!」と声を大にして言いたい。「●☓□△! ■○▲!」

 

(後日追記)


 

 その後、我が家の近所に上のような垂れ幕がかかっているのに気づいた。

 《電動キックボードは厳然たる「車」です。運転免許必須 安全帽着用 飲酒運転禁止》と記されており、電動キックボードによる事故や問題が発生していることを物語っているだろう。さもありなん、である。

 


 またまたついでで申し訳ないが、最後に訃報をひとつ。

 アメリカのドラマ「奥さまは魔女」のナレーションや「チャーリーズ・エンジェル」のチャーリー役などで知られる声優の中村正氏が、11日に死去したそうである(享年満89歳)。

 

 

 「奥さまの名前はサマンサ、そして、旦那さまの名前はダーリン・・・・・・」という中村氏のナレーションで始まる「奥さまは魔女」のオープニングは以下で視聴可。

 https://www.dailymotion.com/video/xajbcd

 「奥さまは魔女」は私が幼い頃から見ていたドラマで(生まれて最初に接したアメリカのドラマかも知れない)、前々回の「ヰタ・セクスアリス」ではないが、魔女サマンサを演じたエリザベス・モンゴメリーは私の「初恋の人」だったと言っても決して過言ではない(その後、彼女が私生活において決して幸福ではなかったことを知り、胸を痛めたものである)。

 そして中村氏の声で始まる日本語吹き替え版に長らく接してきた私は、初めてオリジナルの英語版を見た際、(以下にアドレスを紹介した第1話を除き)オープニングにナレーションがないことにまず違和感を覚え、続いて北浜晴子氏のやさしくどこか色っぽい声で慣れていたサマンサが、ひどく低く少しも色っぽくない声で話し始めた時にはショックを受けた程だった。

 アメリカや英国ではこのドラマの完全版DVDを安価で入手できるが(英国アマゾンでは36枚入りのDVDボックスが日本までの送料込みで32.74ポンド=約4,600円。米国アマゾンでは22枚入りで29.07ドル=3,157円。ちなみに日本語吹き替え版はDVD54枚入りで日本のアマゾンで27,980円。各国でDVDの枚数がどうしてこうも異なるのかも気になるところである)、私がそれら英語版に全く興味を持てないのは、私にとって日本語吹き替え版は言わば「育ての親」のようなもので(一方の英語版は後になって突然姿をあらわした見慣れぬ「実の親」のようなものでしかなく)、私にとってはあくまで「育ての親」こそが「真の親」なのである。

 

 

 一方の「チャーリーズ・エンジェル」は「ヰタ・セクスアリス」には「奥さまは魔女」以上に適しているはずなのだが、内容的に余り興味を持てなかったせいか真面目に見た記憶がないのだが、中村氏によるチャーリーの声は今でも記憶に残っているし、他にも映画やテレビで中村氏の声に接した機会は枚挙に遑がないと言っていい。

 年齢的には大往生と言っていいかも知れないが、中村氏の逝去を悼み、冥福を心から祈りたい。

 

 以下は「奥さまは魔女」の第1話。

 「育ての親」=日本語吹き替え版(中村正&北浜晴子)

 http://shinchan.biz/player.html?video_id=sm13664809

 「実の親」=英語版

 https://www.youtube.com/watch?v=oB_vXlgcCpw