Bpoint 人生のポイントを外さないためのブログ -4ページ目

Webページの簡単な作り方。

基本に立ち返った、古の方法で、今ではもっと効率的で良い方法があるとは思いますが...
Bpointです。

ちなみにBpointって一般名称として広く使われているのですね。
なんか良い名前無いでしょうか。
改名したいと思います。

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Webページとは と言うと非常に難解で、また人によって解釈が分かれると思う。
だから、まずはWebで文章を0から書くときにどうするか、これを扱う。
これが、Webページの現在の一翼であるとともに、過去の始まり物語に属すると思うからだ。

Webページを形成する言語は、少なくともブラウザを使う以上、HTMLとなる。
まぁ最近はXMLで表現する方法もある、というよりもXMLを解するブラウザが増えているらしいが
まだまだ普及率は低い。

さてHTMLとは何か
名前からいって...いや、そんなものはwikipediaでもみてもらえば良いので、省く。
そう、マークアップ言語だ。
文章を「整形するための言語」なのである。

そう、HTMLでいきなり表現するのが間違っているのである。


ポイント1: まず文章でしっかり書く。

文章を書くことが大事だ。
伝えたい物、伝えたい事
メニューに最終的になるにせよ、何にせよ。外角よりもコンテンツなのだ。
それが掲示板であれば、まぁ皮が先に出来ていないとどうしようもない面もあるのだが...
ともかく企業の広告なぞは、ちゃんと文章から作っていただきたい。



文章の作り方は、今更書くまでも...というより、形式ばらずに自由に表現すべきだ。

これは読書感想文を書くのが苦手な子供に、私が塾講師時代教えたことなのだが

***

子供:「先生、僕読書感想文とか苦手なんです。いつも先生が短すぎるって言うんです。」

確かにみると、”○○に行って楽しかった” ”××が美味しかった” などの短文で形成されている。

そこをこの子の学校の先生はこう指導して、直そうとしていた。

学校の先生:「ダメでしょ、そういう風にいきなり書くんじゃなくて、”何々何々をしてどうこうしたから楽しかった” って書かなきゃ。書き直してきなさい!!」

この教え方は、ステレオタイプには正しい。

勿論僕はこの教え方には大反対だ。

例えば ”○○に行って楽しかった” という文章ならば、その文章はその子が感じた最も心に残るイメージだ。そう、彼は紛うこと無く「楽しかった」のである。

その発露を言葉で固めて分かりにくくすることは意味が無いだけでなく害悪だ。

僕ならこう教える。

Bpoint先生:「よし。楽しかったのは解った。じゃあどうして何で楽しかったのか、それを先生に教えてくれ。そしてこの”楽しかった”の後ろにどんどん書いていくんだ」

こうして ”○○に行って楽しかった” は ”○○に行って楽しかった。ぼくは○○というところはテレビでしか見たことが無かったし、△みたいな所だと思っていたけれど、行ってみたら□だった。本当によかった”

などと書き直された。

勿論、文章として出す場合には、そのケースバイケースで整形しなければならない。

だが、それはちゃんと文章が、書き手の伝えたい内容を持った後だ。

***

とまぁ、最初の文章は大事。

多少散文的でも良いので、まずはがっつり書く。半分以上削るくらいの気持ちで書くことが至上である。


続きはまた次回

(なおこの作り方は、現代のウェブページには合わない可能性があります。blogやTwitterなどの新しいサービスも同様に、あの推敲されていない文章が、これらのサービスの魅力の一つなのですから。)

お金で集めるスペシャリストの話

こっちに属したいと一時期考えていました。
Bpointです。

人生の負け組勝ち組と言う言葉がある。
あるからには、誰かが勝ち、誰かが負けるのだろうが、普通の人は
「勝ちも負けもしない人生」を望む。

だから、現実の会社には 能力にそぐわなくても、金を出したい人間に金をだす社会が
形成される。

しかし、それだけでは会社は回らない。

全体の一割程度で良いのでプロフェッショナルを雇わなければ会社という団体は
その専門性を失い、故に廃れる。

いや、何も技術職に限定して話をしているのではない
要は働きアリにも、道楽者が居なければならないということ。

で、そういうのは一人二人は勝手に手に入るものだが

「優秀な道楽者」を得ようと思うとお金がかかる。

世間ではヘッドハントとかなんとか呼ばれているが
要は、「評価しているよ」と通知しているだけの話だ。


お金そのものに意味があるのなら、それでも良いかもしれないが
僕の私見として、拝金主義的に過ぎる人間はプロフェッショナルとしての能力が欠けている場合が多い



例えば私が会社を起こして
そこで必要な人材と言ったら、営業だ。
それも、単なる営業ではなくて、「難題」を持ち込む営業だ。


そうでなければ自社の能力も知ってもらえないし
仕事自体がダレる。


難題を持ち込むある種の「困った」営業が
実は自社の業績に深く係わっているという可能性を重くみる。


まぁ上の例は あくまで例えばの話だ。


まぁかように、特殊な能力を持った人間にはお金がかかるし
それは他の社員の不公平感も募らせることになる。


だからこそ、前述の「気の合った社員達」というのが前提として必要なのではないだろうか。



前回を含めここ二回は、少し突飛で常識的でない経営理念(予定)だが
給料とは何かというところにまで踏み込める話題だと思う。





前回と今回の話をまとめるとこうなる。


仲間には納得の行く金を払って、仲間を維持すること。
有能な者は、高額を払って、しかし適切な割合で雇う。


では。
育てる部分はどうしたら良いのか。


このへんが次の話題だろうか。

人材

会社は人材を集める。
いや、形の上だけでも、人財としておこうか。
Bpointです。

人が居なければ仕事は行われず、社長だけの会社もない(勿論社長が従業員を兼ねるケースはある)。
それなのに、財だ材だ言っても、物扱いを受ける。

給料を貰っていると言っても、それは労働の対価だ。
決してお情けで貰っている分けではない。

いや、中にはお情けな人間もいるだろうが、それは法律的に保護されていると言うだけの話で
それで一般化して
「労働者はサボろうとしている」
などとまったく間違った方向に思惑が行きがちだ。

違う、 人は誰しもその個人に合ったペースが最大の効率を発揮する。
その最大効率が基準に満たないならそこで解雇するなり、戒告するなりすればいい。
結果を見ずして、過程だけで判断する気持ちも解らないではないが...
それでは大魚を逃しかねない のだ。

//-- ここからは人に嫌われるかもしれないが

しかし日本で人を雇うのは困難である。
どんなアホ相手にも最低賃金は与えなければならないし、
解雇するにも妥当で、適当な時期で無いと出来ない。

結局苛めて、自主退社させるわけだが
これも北風と太陽の問題が付きまとう。


半面

社員が会社に望むのは、少なくとも自分を例に出せば
そんなナァナァでお恵みを貰う関係ではない。

むしろ、会社に対して、契約社員にしてほしいと公言したい程だ。

そして、実力さえあれば、すべての人間は、お金に限らず自分の仕事を高く評価して欲しいと
思っているのではないだろうか。

そして、そう思っていない人間を雇い入れる事は
損失であり害悪だ。

害悪はやはり排除される。


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そもそも日本には排除される恐怖が余りに軽視されており
また、軽視しても困らない社会を形勢している。


通常の労働人口をカバー出来るのでは無いかと疑える程の
アルバイト求人。

社会保障は行き過ぎなほどに拡充され、 いや、正確に言えば老人相手にのみ
拡充され、子供相手は選挙の道具にしかなっていないわけだが。

ともかく、拡充された社会保障はその老人の子や孫を働かなくても食える身分にした。


忘れてはならないのは、彼らの地位が向上したのではなく
彼らが厚かましくなった分、相対的に労働者の地位が低下したのだ。


齷齪働くより、税金を貰う乞食となるほうが
文化的な生活を送れるようになったということだ。



話がそれた



とまぁ斯様な状況であるからマトモならざる人材を得る事は
最早天災なみに一般的でそして被害の大きい話なのである。


ここは起業ブログであるから
人材の集め方を一つ提唱しておこう。


いや、この言い方には齟齬がある。


人材を、材料を集めるのはやめるのだ。


仲間を集める。そして働く。

これしかないのである。



企業人が、納得して払える相手に給料を払い
給料の為でなく働ける仲間を得ること。


これが基本なのだ。



もちろん。資本主義であり、経済原理から問えば
こんなものはお遊戯だと笑われるだろう。


僕も笑う


しかし、しかし、人の確保に。仲間の確保に迷う人々よ
相手にはこう問うのだ。


「あなたは、我々の仲間になるのです。その覚悟を持って、決めて下さい」


とね。










ただ、現実として有能な人材をお金で雇いたい場合もある。
これはまた後日話すけれど
こう言う人の為に、契約とか派遣ていう社員形態があるんだと思うよ。


ではでは。