"Yesterday" | タコさんの庭

タコさんの庭

ビートルズの歌詞和訳に挑戦

"Yesterday"

Writers : credited Lennon-McCartney (by Paul McCartney ) 

Artist : The Beatles

Recorded : Tuesday1965/06/14, EMI Studios

Released : 

Friday1965/08/06(UK) 「Help!」B面 6曲目

singleA Monday1965/09/13(US) B-side "Act Naturally"

singleA Monday1965/11/15(JP) B-side "Act Naturally"

Manday1966/06/20(US, CA) 「Yesterday and Today」A面5曲目

1966/12/10(UK)1967/02/05(JP)「A Collection Of Beatles Oldies」(Compilation Album)                              1987年アルバムのCD発売に伴いビートルズのカタログから削除される 

1973/04/01 「The Beatles 1962-1966」

1996/03/18(UK) 1996/03/19(US) 「The Beatles Anthology 2」

                  (Take 1) 

                       (Live on Blackpool Night Out)

2000/11/13   「1」

2006/11/20 「Love」

2009/09/09 「Help!」[Remastered]

2023/11/10   「The Beatles: 1962-1966 (2023 Edition)」 

 

 裏 裏焼き

          1966年来日東京ヒルトンホテル(現キャピトル東急ホテル)での写真

 

 

    <歌詞和訳>"Yesterday" 邦題 "イエスタデイ"

           在りし日

[Verse 1]

Yesterday

All my troubles seemed so far away
Now it looks as though they're here to stay
Oh, I believe in yesterday

    在りし日

    僕のすべての苦悩は はるか遠くに離れているように思えた

    今それは ここにとどまっているかのようにみえる

    あぁ 僕は思う 在りし日を

 

[Verse 2]

Suddenly

I'm not half the man I used to be
There's a shadow hanging over me
Oh yesterday came suddenly

    突然に

    かつて僕であった人間の半分がなくなった

    僕を覆っている陰がある 

    あぁ 在りし日は行ってしまった 突然に   

 

[Bridge]

Why she had to go I don't know, she wouldn't say
I said something wrong, now I long for yesterday

    なぜ彼女が逝かなければならなかったのか僕は知らない 彼女は話そうとしなかった

    僕は少し悪いことを言った 今僕は在りし日を恋しく思う

 

[Verse 3]

Yesterday

Love was such an easy game to play
Now I need a place to hide away
Oh I believe in yesterday

    在りし日

    大好きなことは 簡単なゲームをするようなものだった

    今僕には 隠れる場所が必要だ

    あぁ 僕は思う 在りし日を

 

[Repeat Bridge]

Why she had to go I don't know, she wouldn't say
I said something wrong, now I long for yesterday

    なぜ彼女が逝かなければならなかったのか僕は知らない 彼女は話そうとしなかった

    僕は少し悪いことを言った 今僕は在りし日を恋しく思う

 

[Repeat Verse 3]

Yesterday

Love was such an easy game to play
Now I need a place to hide away
Oh I believe in yesterday

    在りし日

    大好きなことは 簡単なゲームをするようなものだった

    今僕には 隠れる場所が必要だ

    あぁ 僕は思う 在りし日を

 

 

情報提供元(著作権者)Weblio

参考辞書 英辞郎goo辞書

(引用できない英辞郎goo辞書を使って訳した場合は、その単語や慣用句を太字斜体にしてあります)

yester [連結形] 「きのうの,昨日の」「昨…,去る…」の意.

day 〔ある〕時期、時代◆通例、days

troubleEゲイト英和辞典 困難,苦悩,心配,苦しみ;苦労の種,悩みの種

seem 

so [強意的に] 《口語》 とても,非常に,大変. 

far away (距離が)遠くの、遠方の、(時間が)遠い、遠くから聞こえてくる、ぽかんとした、夢見るような、うっとりした

far away 
as though とでも言うよう、ちょうど、其れこそ、かのように、丸で、言わんばかり

stay (場所に)居残る、とどまる(場所に)とどまる、ゆっくりして(…に)付き合う、滞在する、客となる、(…に)滞在する、宿泊する、家に泊まる、(…の)ままでいる

believe 信じる、言うことを信じる、(…を)正しいと思う、思う、確か思う

suddenly 突然に、不意に

half 半分、2 分の 1、(大ざっぱに分けた)約半分、半時間、30分、半パイント、(子供の)半額切符、50 セント、半ペニー、半学年

man 可算名詞 (男女を問わず一般に)人,人間

used to 

be (…で)ある、です、ある、いる、(…に)なる、(時間が)かかる、(…が)ある、存在する、起こる、(時間が)かかる(だろう)

shadow 不可算名詞 日光の当たっていない所,.

hang over 

come 来る、(話し手のほうへ)やってくる、(相手のほうへ)行く、やってくる、(ある場所に)到着する、届く、達する、巡って来る、到来する、現われる

have to ねばならない;ねばなりません

have to 

would …であろう、…しよう、(どうしても)…しようとした、常習的に…する、いつも…する、…したものだった、よく…した、…だったろう、…する能力があった、…することができた

say (…と)言う、言う、話す、述べる、言われている、(…と)書いてある、出ている、示す、さす、表わしている
something 何か、あるもの、ある事、(…の)いくらか、少し、いくぶん、ちょっとした…、かなりの…、相当の…、何か食べ物

wrong (道徳的に)悪くて、不正で、よくなくて、悪くて、正しくない、誤った、間違った、(…に)間違っていて、不適当な、不適切な
long for なつかしむ;待ち焦れる
long for 

love 大好きなもの、愛着があるもの

such このような、こんな、そんな、あんな、…のような、あれほどの、あんなに、このように、非常に、とても

 

????

目覚めると素敵なメロディがポールの頭に残っていました。いつもならすぐに仕上がるのに"Yesterday" は歌詞が出来るまで2週間かかったそうです。

 

[Verse 1]

Yesterday

All my troubles seemed so far away
Now it looks as though they're here to stay
Oh, I believe in yesterday

    在りし日

    僕のすべての苦悩は はるか遠くに離れているように思えた

    今それは ここにとどまっているかのようにみえる

    あぁ 僕は思う 在りし日を

 

「あの時は、苦悩なんてものは、はるか遠くにあると思っていた。今その苦悩はずっとここにどどまっているように感じる。僕は過去に思いを馳せる。」??

 

troubles」は、のちにポールが作る "Lt It Be" と同じ訳にしました。 

"Let It Be" [Verse 1]

When I find myself in times of trouble

Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be

And in my hour of darkness
She is standing right in front of me
Speaking words of wisdom
Let it be

    苦悩が続く中 自分自身をみつめている時

    母メアリーが僕の所に来て

    名言を伝えている

    なるがままに

    自分の決断にはっきりしない時も

    彼女は僕の真正面に立っていて

    名言を伝えている

    なるがままに

 

 

[Verse 2]

Suddenly

I'm not half the man I used to be
There's a shadow hanging over me
Oh yesterday came suddenly

    突然に

    かつて僕であった人間の半分がなくなった

    僕を覆っている陰がある 

    あぁ 在りし日は行ってしまった 突然に

 

I'm not half the man I used to be」(かつて僕であった人間の半分がなくなった) は、

ジョンが "Help!" で表現した[Verse 2]のようです。

「My independence seems to vanish in the haze」

(僕の主体性は 薄霧の中で見えなくなったみたいだ) 

二人とも詩人ですねラブラブキラキラ

 

 

[Bridge]

Why she had to go I don't know, she wouldn't say
I said something wrong, now I long for yesterday

    なぜ彼女が逝かなければならなかったのか僕は知らない 彼女は話そうとしなかった

    僕は少し悪いことを言った 今僕は在りし日を恋しく思う

 

「なぜ母さんは急に死ななければいけなかったのか僕は知らなかった。母さんは病気のことを僕に話そうとはしなかった。僕は母さんが亡くなった時に悪いことを言った。今僕は母さんが生きていた過去を恋しく思う」??

 

ポールが14才の時に、母メアリーは癌でなくなりました。初めて痛みを訴えてから1ヶ月も経っていなかったそうです。

 1956年10月31日に母親が亡くなり、ポールの幸福な生活は無残にも粉々にされた。痛みに苦しんだ。医者や看護婦にありがちな不養生で、彼女は毎日顔を合わせる医者や看護婦仲間には胸のしこりや痛みについて話さなかった。それが分かったときには、手後れだった。「息子たちが大きくなったところを見たかった」と彼女は最後に話したという。乳房を切除したときには、 癌が転移しており、医者も手の施しようがなかったのだ。

 ポール「弟と一緒に病院に行ったあの悲しい日を思い出すよ。もう駄目だと分かっていたらしくて、結局、その日が僕らが病院に行った最後の日になった。シーツに血の跡がついててね、お袋を見てるうちに、何てことだと思ったよ。もちろん、お袋はしっかりしてたし、僕らの前で泣くことはしなかったけど、その日だけは泣いたと思う。でも僕らは事情がよく分かってなくてね。 伯母ちゃんやおやじは僕らには隠してたんだよ

 

ポールは母の死を聞かされた時に、ある言葉を言ってしまいました。

I said something wrong」(僕は少し悪いことを言った) は、そのことではないかと思いました。

ハンター・ディヴィス著「増補完全版 ビートルズ 上」 小笠原豊樹・中田耕治訳 159ページ

 ある日、マイケル(ポールの弟です)が家へ帰って来ると、母親が泣いていた。自分とポールが何かいけないことをしたからだとマイケルは思った。「ほくらはいたずらばかりしていたからね」だがマイケルは母親にわけを訊かなかった。母親もなんにも言わなかった。 しかし実のところ、母親は専門医に診てもらったのである。医者は癌だと診断を下した。 そして手術の結果、母親は死んだ。 初めて痛みを訴え始めたときから、まだ1ヵ月も経っていなかった。
「私は文字通り打ちのめされたようになった」と、ジム(ポールの父親です)は言う。「さっぱりわけが分らなかった。子供たちにとっても、これは恐ろしいことだった。特にマイケルはまだ12で、母親と仲が良かったからね。子供たちは急にがっかりしたりはしなかった。影響はゆっくりと現れたようだ」

「その知らせを聞いた日の細かいことまでは覚えていない」と、マイケルは言う。「覚えているのは、ぼくら兄弟のどちらかが、どっちだったかは忘れたが、馬鹿げた冗談を言ったことだ。そのあと何ヵ月も、ぼくらはそのことを悔んだのだった
 ポールはその一件を記憶している。「それはぼくなんだ。ぼくは知らせを聞いた途端に言った。『母さんの収入がなくなったら、うちはどうするの』」
 だがその夜、二人の子供はそれぞれのベッドで泣いた。そのあと数日間、ポールは母親が戻って来るようにお祈りをした。「馬鹿げたお祈りさ、ほら、よくあるだろう、もし母を返してくれれば、ぼくはいつもいい子でいます、というやつだ。あげくに、これで宗教というのがいかに馬鹿げているか、よく分った、とぼくは思った。だって一番必要なときに、お祈りが役に立たなかったんだから」

 

もうひとつ、ポールが母メアリーに言ってしまったことで後悔していることがあります。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 36ページ

ポール「ずっと後悔してることがあって、今でも嫌な気持ちになる。お袋が"アスク" って単語を気取って発音したのをからかったんだ。それでお袋を傷つけたみたいで。何年経っても、あれは自分でも許せない。 ひどかったな。あの頃に戻って、『冗談だったんだよ、ママ』って言いたいよ。お袋も分かってたはずだけど。本気で受け止めてないと思うけど」。

 

 

[Verse 3]

Yesterday

Love was such an easy game to play
Now I need a place to hide away
Oh I believe in yesterday

    在りし日

    大好きなことは 簡単なゲームをするようなものだった

    今僕には 隠れる場所が必要だ

    Oh 僕は思う 在りし日を

 

「以前は、ギターを弾きながら曲を作るという大好きなことは、簡単なゲームをするようなものだった。でも今の僕には、隠れる場所が僕に必要だ」と言っていると思いました。

 

an easy game」(簡単なゲーム)は、「難しいことを考えなくてもワクワクして楽しかったこと」をイメージしました。ポールにとって「Love」は音楽を奏でることかなと思いました。

 

 

"Yesterday" の歌詞が出来上がるまで2週間かかった

"Yesterday" のメロディーが生まれた時期を1964年後半かもしれないと書いてある本もありますが、

「完全版 ビートルズ全曲歌詞集」 スティーヴ・ターナー著 藤本国彦 日本語版監修 富原まさ江訳  "Yesterday" の欄 

 ポールがメロディを思いついたのは1964年後半と思われる。当時ヤードバーズのメンバーだったエリック・クラプトンの証言によれば、ビートルズのクリスマス・ライヴの会場のひとつ、ハマースミス・オデオンの楽屋で、ポールがこの曲を弾いていたというのだ。

 

1965年5月と書いてある本もあります。

「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」バリー・マイルズ著 竹林雅子翻訳 278ページ

『ヘルプ!』の撮影中だった1965年5月のある日、ウィンポール・ストリートの屋根裏部屋に寝ていたポールは、"光輝く、すがすがしい夢の中" で、美しいメロディが聞こえて目が覚めた。
 ポール「目覚めると素敵なメロディが頭に残っていた。『すごい、これは何だ?』。ベッドから起きた僕は、窓際のアップライトピアノに向かって、G、Fシャープ、そしてマイナー・セヴンを奏でた。そこからB、Eマイナー、そしてまたG。ロジカルにコードが進む。素敵なメロディだったけど、夢で聴いたものだから、自分で書いたものだとは信じがたかった。 「いや、僕はこんな曲書いてない」と思ってね。でも実際、曲はここにある。 魔法のような出来事だ。 『こ れは一体どこから出て来たんだ?』と自問した。でも、曲が消えてしまうと困るから、それ以上は深く考えなかったよ」。
 ポールはこの曲が既に存在するものか調べようとした。夢の中で聞こえた曲が、実は遠い昔に何気なく耳にしたものだったという可能性もあるからだ。
ポール「だから、このメロディをチェックしたけど、みんな『素敵な曲だ、これは君の作品だよ』と言ってくれた。これが自分の作品だと言えるまでには時間がかかったけど、ついにこれは僕の作品だと主張することに決めた。印をつけ『よし、これは僕のだよ』とね。歌詞はなかったから、"スクランブルエッグ" と呼んでたんだ。"スクランブル エッグ、オー、マイ・ベイビー、君の足に恋焦がれ"――ここまで歌うと爆笑で、それ以上の歌詞は必要なかった。

 

1965年のビートルズは、

2月15日~20日の間にレコーディングした9曲を携えて、

映画「Help!」の撮影(2/22~3/9)のため2月22日バハマに向かいました。

「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」バリー・マイルズ著 竹林雅子翻訳 267ページ

 映画『ヘルプ!』のタイトル曲以外のサウンドトラック収録曲は、映画撮影の前に録音されていた。ブライアン・エプスタインが渡した九曲入りのデモ・テープから、映画に使えそうな曲を六曲、ディック・レスターが選び出した。

バハマの次はオーストラリアのオーベルタウエルンでの撮影(3/13~3/20)です。

オーストリアのあとは、イギリスロンドン郊外のトゥイッケナム・スタジオ(旧称トゥイッケナム・フィルム・スタジオ)での撮影になりました。

その撮影の合間を縫って 4月13日 にジョンが作った "Help!" がレコーディングされました。

("Yesterday" の歌詞はジョンが作った "Help!" に影響されている気がします)

 

5月10日には、アメリカのアルバムのために、"Dizzy Miss Lizzy" "Bad Boy" をレコーディング。この頃に、"Yesterday"は生まれたのでしょうか。

「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」の本では、"Yesterday" のメロディーが生まれたのは5月とあります。

 

余談ですが、1965年になるとイギリスより先にアメリカで発売された曲があります。

"Dizzy Miss Lizzy" "Bad Boy" と、映画「Help!」で使われなかった曲 "You Like Me Too Much" "Tell Me What You See" です。4曲とも1965年6月14日にアメリカで発売されたアルバム「Beatles VI」に収録されました。

イギリスでは、"Dizzy Miss Lizzy" "You Like Me Too Much" "Tell Me What You See" の3曲は1965年8月6日に発売されたアルバム「Help!」に収録されました。

"Bad Boy" が収録されたのは、なんと翌年の1966年12月10日に発売されたコンピレーションアルバム「A Collection Of Beatles Oldies」でした。

ウキペディア 「A Collection Of Beatles Oldies」より

ビートルズは年間2枚のアルバムを制作する契約だったが、1966年のビートルズは『リボルバー』完成後、ジョン・レノンは映画『ジョン・レノンの 僕の戦争』の撮影、ポール・マッカートニーはジョージ・マーティンと映画『The Family Way』の音楽制作や映画関連のイベントへの出席、ジョージ・ハリスンはラヴィ・シャンカルのもとでシタールの修行、リンゴ・スターは家族と過ごしていため、アルバムのセッションが行なわれていなかった。これにより、ニューアルバムの代わりとしてEMIとパーロフォン側で企画したアルバムが本作である。ビートルズの広報を担当していたトニー・バーロウによると、本作のリリースについてメンバーは反対していたという。

 

ポールは撮影中も曲作りができるように、ピアノをそばに置いてもらい、"Yesterday" の曲作りを続けたそうです。 

「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」バリー・マイルズ著 竹林雅子翻訳 280ページ 

 ポールはこのメロディに取り憑かれ、『ヘルプ!』の撮影中も側のピアノを爪弾き、ミドル・エイトを加えて曲を少しずつ膨らませていった。ついにディック・レスター(映画監督です)は、『もう一度この曲を弾いたら、今度こそピアノを取り払うぞ。一体何て題名の歌なんだ?』と言い渡した。ポールの答えたタイトルは "スクランブル・エッグ" だった。『ヘルプ!』の サウンドトラックがリリースされると、ポールはスペインでロケ中のディック・レスターに、このアルバムにメモをつけて送った。「"スクランブル・エッグ" がお気に召すと良いのですが」。

 

ポールが撮影の合間に歌っていた仮タイトル"Scrambled Eggs" の歌詞は以下だったそうです。

スクラン・ブルエッグ

ミュエンスタ・チーズをかけたオムレツもどうぞ 

食べたは洗面器にどうぞ 

皿についたスクランブルエッグはあとで洗うよ

一緒に食べよう

卵は十分にある 

ハムチーズ、ベーコンも

だからふたり分用意して一緒に食べようよ

片面焼きも両面焼きもぴんとこない
混ぜ合わせるボウルが必要だ 

さあ、早くフライパンを持ってきて 

一緒に卵をかき回そう、卵、卵、卵を

スクラン・ブルエッグ

朝ご飯にもディナーにもブランチにもぴったり
卵は6個や12個じゃ足りない、うんと買おう
ランチにもスクランブル・エッグを食べるんだ

 

「完全版 ビートルズ全曲歌詞集」 スティーヴ・ターナー著 藤本国彦 日本語版監修 富原まさ江訳  "Yesterday" のページより

 

映画「Help!」の撮影が終わっても、"Yesterday" の歌詞はまだ出来上がりませんでした。

5月27日ビートルズはそれぞれ休暇旅行に行き、ポールとジェーンはポーランドに出かけました。

「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」バリー・マイルズ著 竹林雅子翻訳 280・281ページ 

 1965年5月27日、ポールはポルトガルのアルガルヴェ地方で休暇を過ごすために、ロンドンからリスボンに飛び立った。トーク・オブ・ザ・タウンで開かれたクリフ・リチャードのコンサートの楽屋でポールは古い友人、ザ・シャドウズのリズム・ギタリスト、ブルース・ウェルチに出くわした。短い休暇を取りたがっていたポールにブ ルースがファロに近いポルトガルのアルブフェイラの別荘を貸してくれることになり、数日後に二人は日程を決めた。ポールとジェーンは別荘の勝手が分かるように、ブルース夫妻が休暇を終えて帰る日に到着することにした。
 リスボンに着くと、ポールとジェーンは車で180マイル先を目指した。 アゥカセール・ド・サゥ、グランドラの山道を越え、E1を走ってミラ川を渡り、サン・マルコス・デ・セラ・アルブフェイラからカディス湾に向かう長い道のりだった。
ポール 「暑くて、埃っぽくて、長いドライヴだった。ジェーンは寝ていたけど、僕は眠れなかった。 車の中で長いこと座ったまま、眠れないからずっと考え事をしてしまってね。あのとき、曲のことを思いめぐらしていたら、突然 "イエ スタデイ"というヴァースの始まりの言葉が出て来た。"スクランブル・エッグ、ダダダ" のアイデアからスタートして、こんな具合にね。音節がメロディとマッチしないといけないから、"da-da-da, yes-ter-day, sud-den-ly, fun-il-ly, mer-il-ly"と並べてみた。"Yes-ter-day"、これはいい。これで問題はすべて消え去ったようだ。"エイ" の韻を踏むのは簡単だよ。"say, nay, today, away, play, stay" なんて、簡単にはまる言葉がたくさんある。そうやって旅行中に少しずつ言葉を組み立てていったんだ。"Sud-den-ly" は "イー" の音で終わるから、これも "me, tree, flea, we" と韻を踏むのは簡単。こんな感じで作っていったんだよ」。
 小さな村だったアルブフェイラには、ホテルやユーロ・ディスコが建ち並んでいたが、崖に面した旧市街には石畳と漆喰塗りのコテージが残り、ムーア人時代の香りを漂わせていた。ここはイギリスのポップ・スターに人気のリゾート地で、クリフ・リチャードやフランク・アイフィールドも別荘を持っていた。ブルース・ウェルチもルシャドウズの稼ぎで、四つも寝室のある大きな別荘を買っていた。ポールがギターを持たないで出かけるのは珍しいことだったが 、別荘に到着するなり彼はブルースにギターを貸してもらえないかと尋ねた。別荘にあったマーティン0018の1959年モデルを、左利きのポールは上下逆さまで弾くことになったが、それでも十分間に合った。 

 ポールはくつろいで、ゆっくりと歌詞を書き上げた。「歌詞が出来るまで2週間ほどかかったと思う。僕にしてはかなり長い時間だ。普通はジョンと二人で3時間ほどで1曲を仕上げていたけど、この曲はもっとじっくり発展させた。言葉を2週間ほど熟成させてね」。テレビ番組「ファイヴ・オクロック・クラブ」の司会者、マリエル・ヤングもアルブフェイラに別荘を持っていた。ポールは彼女と彼女の夫と共に、乗馬に出かけた。その日の夕食後に、ポールがほぼ完成した "イエスタデイ" を披露してくれたことをマリエルは記憶している。 

 "イエスタデイ" は母親を亡くしたことを歌った曲だと言われている。確かにそう解釈出来る部分もあるが、そうだとしてもそれは無意識の表れだろう。

 

昔は 簡単なゲームをするようなものだった曲作り。それが "Yesterday" が出来上がるまでは時間がかかったことが、歌詞になっている気がしました。

 

母メアリーを懐かしく想う[Bridge]と、

映画の撮影やテレビの出演のために、本来の音楽活動が思いのままにならなくて苦悩している[Verse]があると思いました??

どちらも昔は良かったという郷愁を感じました。

郷愁
① 異郷にいて、故郷を懐かしく思う気持。懐郷の想い。ノスタルジア。
② 昔のことを懐かしく思ったり、ひかれたりする気持。

 

 

 

 

『ブラックプール・ナイト・アウト』の "Yesterday" 1965年7月31日

The Beatles made just one television appearance in Britain to promote the Help! album; other shows had to run pre-recorded clips instead.

Blackpool Night Out was made by ABC TV, and was filmed at the ABC Theatre in Blackpool. It was shown by all but one of the ITV companies across the UK, in a live broadcast between 9.10pm and 10.05pm.

The Beatles performed ‘I Feel Fine’, ‘I’m Down’, ‘Act Naturally’, and ‘Ticket To Ride’, before Paul McCartney sang ‘Yesterday’ on his own. It was the first time the song had been performed on British television.

The group closed with ‘Help!’, following John Lennon’s tongue-in-cheek announcement to McCartney: “Thank you Ringo, that was wonderful”.

The full show is believed to be lost, but the audio survives.

↓翻訳ツールDeepLを利用しました。

ビートルズはアルバム『ヘルプ!』のプロモーションのため、英国でたった1度だけテレビ出演した。
『ブラックプール・ナイト・アウト』はABCテレビが制作し、ブラックプールのABCシアターで撮影された。この番組は、午後9時10分から10時5分までのライブ放送で、英国内のITVの1社を除くすべての会社で放映されました。
ビートルズは "I Feel Fine"、"I'm Down"、"Act Naturally"、"Ticket To Ride" を披露し、その後ポール・マッカートニーが "Yesterday"を独唱した。この曲がイギリスのテレビで披露されたのは初めてだった。
ジョン・レノンがマッカートニーに「ありがとう、リンゴ、素晴らしかったよ」と皮肉交じりに告げ、一行は "Help!"で締めくくった。
番組本編は失われたと考えられているが、音声は残っている。(映像も残っていました。)

 

その動画をYou Tubeで見ることができます。「The Beatles Anthology 2」でも聴けます。

ジョージが"Yesterday"の曲紹介をしています。

 

そのジョージの曲紹介についてユーモアがあることを、ビートルズ大学の宮永学長から教えてもらいました。

「『オポチュニティ ノックス』というタレント発掘番組がイギリスにあったんですよ。その司会者が呼び込みの時に必ず言う言葉をジョージは真似をしているんです。ジョージ『次は今まで僕らが試みたことのないこと(弦楽四重奏のバックトラックを流してアコギ1本でボールだけがイエスタデイを歌うこと)をやってみます。最新アルバムの収録曲です。リバープルからきたボールマッカートニーです。オポチュニティ ノックス』」

 

その番組の動画をみつけました。最初の2秒なのですが『オポチュニティ ノックス』と司会者が言っています。

それを知っていると、得した気分になります。ジョージの曲紹介で会場が笑っている意味もわかりました。

 

↓1965年7月31日 ABCテレビ『ブラックプール・ナイト・アウト』の "Yesterday"

(↓見えなくなっていたらyesterday blackpool で検索してくださいね)

 

 

 

↓「オポチュニティ ノックス」

 

↓1965年7月31日 ABCテレビ『ブラックプール・ナイト・アウト』全編