ハルビン金代文化展 in新潟
今日は帰省の最終日。
今夜、急行きたぐにで京都まで戻ります。
最後、新潟市中央区へ出かけました。
燕市生まれの私にとっては、お出かけといえば新潟ときどき東京というのが定番でした。
新潟の百貨店や書店はなんでもそろう「夢の場所」でした。
奈良に進学して以来、新潟市へは足が遠のいており、久しぶりの訪問です(^∇^)
新潟訪問の目的は、新潟市歴史博物館みなとぴあで開催されている『ハルビン金代文化展』です。
新潟市と中国ハルビン市が友好都市提携30周年を迎えており、その記念の展覧会とのことです。
ハルビン
ハルビン市阿城区は、かつて中国の北部を支配した金王朝の都が置かれた地です。
女真族の族長で初代皇帝の完顔阿骨打が1115年に金を建国してから、4代皇帝の完顔亮(海陵王)が1153年に現在の北京に都を遷すまで、ここが金の政治・軍事・経済・文化の中心でした。
ハルビン市内の遺跡から発見された、こうした金代の歴史を伝える資料は、ハルビン市金上京歴史博物館に所蔵され一般に公開されています。
2009年に新潟市とハルビン市は友好都市提携30周年を迎えます。これを機に、ハルビン市金上京歴史博物館の所蔵品92点が初めて日本に渡り、新潟市歴史博物館限定で公開されます。
新潟市とハルビン市の交流から実現した本展覧会によって、これまで日本で紹介される機会が少なかった中国金王朝の歴史をひもときます。
写真撮影禁止だったので、写真がないのが残念ですが、リアルなお面やらグロテスクな木像など、日本の文化遺産とは一味違うものばかりでした('-^*)/
が、やはり中国は日本のあらゆる文化の源流なんですね。
「銅座龍」などの小道具は、日本のもの(法隆寺などに所蔵されているお面や小道具)と共通点があるようでした。
博物館の敷地内には、旧新潟税関庁舎、旧第四銀行住吉支店(移設)があり、文化的空間になってます。
【旧税関庁舎】
新潟は函館、横浜、神戸、長崎とともに開港五港に指定されたので、幕末には税関が置かれました。
【旧第四銀行住吉支店】
新潟初の銀行で、今では日本最古の銀行・第四銀行の住吉支店を博物館会館の際にこの場所に移設しました。
写真ではわかりづらいですが、柱の建築はイオニア式を採用しており、エキゾチックな建物です。
【博物館本館】
ここで、ハルビン展をやっていました。
参照:みなとぴあホームページ http://www.nchm.jp/index.html
ふるさと蒲原は面白い
このブログでは今まで、奈良や都祁などの優れた自然や文化を取り上げてきましたが、それぞれの地域にはそれぞれの歩みがあり、優劣をつけることはできません。
私が生まれた新潟県燕市を含む蒲原地方も、そこにしかない自然、文化を持っていて、いくら今、奈良が大好きだといっても、奈良よりこの地域が劣っていると思ったことはありません。
と、前置きした上で、昨日、蒲原地方の名所をいくつか訪ねたレポートをしたいと思います。
ここの開山が平城京遷都より1年早かったというのは驚きです(^∇^)
記念の秘仏公開が行われていました。公開は30年ぶりだそうです。
上杉謙信奉納の絵、上杉景勝や直江兼続の書状など、『天地人』ゆかりの人物関連史料もありました。
小さいころの遊び場だった国上寺が、長い歴史の上にあったお寺だということを再認識しました。
清貧の人として名高い歌人・良寛和尚が住んでいたところとして有名です。
国上寺から新潟市へ向かいます。
ここは新潟市南区。かつて月潟村だったところです。
新潟市と燕市を結ぶ新潟交通線という鉄道があったのですが、燕側から順次廃線となりました。
商店街があります。
しかし、川船がなくなり、鉄道が廃線になったあとは寂れてしまったそうです。
下の写真のとおり、月潟駅跡地に新潟交通線の車両が保存されています。
駅舎も保存されており、展示スペースとなってました。
この鉄道、新潟市内の区間は新潟県唯一の路面電車だったので、廃線が惜しまれます(>_<)
乗ったことがなかったので、一度は乗っておけばよかった・・・
何といっても、ここで有名なのは角兵衛獅子。
昔、この地域が貧しい農村だったころ、自分の食い扶持を稼げない子供は、角兵衛獅子に弟子に出され、芸をこなして諸国を行脚していたのでした。
戦後、児童虐待だとしてこの角兵衛獅子は廃止されました。
以来、貴重な文化として地元中学生に指導を行い、継承しています。
ちなみに、私の祖父も戦災孤児ですから、手をさしのべる人がいなかったら、場合によっては角兵衛獅子に出されていたことも考えられます。
美空ひばりが歌った『越後獅子の唄』は、角兵衛獅子になった孤児の悲しさを伝えています。
名曲の歌碑が建てられ新潟交通線の車両が残る線路には、コスモスが咲いていました。
最後は新潟市江南区の北方文化博物館へ。
江戸期の豪農・伊藤家の住宅を博物館として公開しています。
全国有数の農村地帯・蒲原地方の歴史を伝えます。
地元・蒲原を歩いて、改めて自分のふるさとを誇らしく感じました('-^*)/
9.19 魅惑の奥会津②桧枝岐村
旧伊南村からさらに山深く行くと、桧枝岐村に入ります。
村内に入ってすぐのところにあった食堂兼土産店で昼食を。
ラーメンと岩魚の塩焼きを食べたのですが、この塩焼きが美味しかった(´∀`)
これは、前から一度見たかったところ。
気候の厳しいこの村は、かつては餓死者も多く、生まれたばかりの子供を間引きすることも多かったそうです。
哀しい歴史を後世に伝え、亡くなった人を弔うための六地蔵です。
幼くして亡くなった子供はあの世で石積みをさせられますが、積むたびにそれを鬼が崩してしまいます。
それを助けるのが地蔵菩薩で、それに祈ることが幼くして亡くなった子供への供養になるそうです。
ここから歩いて、いろいろな文化財を見ることができます。
本当に、歴史の宝庫なんです、この村は。
奈良の正倉院と同じ建築様式とのことです。
建築年代は不詳だそうですが、それだけ古いということが想像され、こんな山奥の村に奈良の文化が伝わっていたとは驚きです。
ここからまたすぐのところに、橋場のバンバ
子供を水難から守り、縁結びの仏でもあるそうです。
賽銭箱に向かって右側にきれいなハサミ、左側に錆びたハサミが置いてあります・・・・・![]()
ここは縁結びと縁切りのご利益あり。
きれいなハサミを奉納すると切れ味がよいので縁が切れ、錆びたハサミは切れないので結ばれた縁が継続するという意味があるそうです。
こちらに奉納されているのは、錆びたハサミをぐるぐるに巻いて・・・
よほど、良縁が切れないことを望んでらっしゃるようで(;^_^A
こちらは桧枝岐の舞台。
大桃の舞台と同様、ここでも農民歌舞伎が行われていたそうです。
ちなみに、こちらは現在でも年3回開催されています。
村内にある天然温泉の共同浴場に入ってから帰りました。
遠かったけど、渋滞もなく、観光スポットも混雑しておらず、快適でしたよ。
本当は、尾瀬にも行きたかった・・・
ともあれ、何より
桧枝岐村は、歩いて回れて不思議がいっぱいの魅力的な村でした
さて・・・
帰り道、新潟県境の峠道で。
味よし、景色よし、温泉よしの、とても楽しいドライブでした。













