最近はずっとスコッチステッキ(:絵とか文章とかで構成される、合同作成の冊子)に載せる小説的な文章を書いていました。
想定よりも長くなってしまいましたが、これはこれで。
多分、冊子は10月中には完成するので、ほしい方がいたら差し上げます。



お盆休みには、葉山の海に行きました。
フィッシュ&チップスとカスタードパイがおいしかったです。

横須賀から葉山までは、車で15分も走れば着きます。
こんなにも近くにあったのに、一度も行ったことがありませんでした。
しかし思い出深い土地でした。

向こう側に江の島と、さらに遥か遠くには富士山を抱いたままでゆっくりと暮れていく海を見ながら、
夢は過ぎたら記憶になるのか、ということを考えていました。

終わった夢は記憶になる。
でも、葉山という土地を一日かけて歩いての結論は、
pass-byした夢はいずれまた見えるところに戻ってくるということ。

季節が一周して戻ってくるみたいに?
いや、というよりもパスをした七並べ。
その場をやり過ごしただけ。


人が時間を過ごすというのはつまり、
エネルギーを低下させていく代わりにエントロピーも下げていくということ。
そこらじゅうに無数に転がっていた可能性の塵を集めて、ひとつの大きな塊(現実あるいは力)に再構成していくという営為。
力を得るっていうことはつまり、選択肢をどんどん減らしていくっていうことと同義なのね。

甘い夢を見るのは好きです。
やりたいことが一つと、
やろうと思えばできることがひとつあります。

けれども、同時に思うのは、もうそろそろ時間も残り少ないということ。


夢はどこまで見ていて良いのか?
ということを、最近はよく考えています。



Eurythmics - Sweet Dreams
http://www.youtube.com/watch?v=rJE_Sc1Wags

そういえば。
短篇を書いていました。
完全に季節外れの内容でしたが、どうしても今出すべきものだったのです。

そして、もうひとつ短篇を書いています。
昔、サークルで早稲田祭用の冊子に書いたもの。これを今、最初から書きなおそうとしています。
ちゃんとした文章を書けるように、練習しないといけません。


夏が近づいています。
昔は「いちばん好きな季節は?」と聞かれたら、夏と、ちょっと迷ってから答えたと思います。
今ではよく分かりません。

ずっと室内で仕事をしているということも含め、最近は、季節がやわらかく塗りつぶされています。
夏だからといって、ものすごく暑かったりだとか、エネルギーが高かったりだとか、そういったこともほとんどありません。

夏というのは体育で走り回って汗をかききった後にファンタを飲む季節なのであって、
体育がなければ夏は存在しえないのです。



「僕の好きな人がよく眠れますように」という本を読みました。
本の内容自体は凡庸なものだったのですが、その中でも、
「恋ってのは、寸止めがいちばん美しいんだよ」
という言葉に、おぉ、と思いました。
あまりにも凡庸すぎるが故に、気にとめることすら忘れていた事実です。

つまり、
y = 1/xという双曲線は、xをどんどんどんどん大きくしていけば、yは限りなく0に近づいていく。
でも、xがこの世界じゅう、どんなに大きな数字であったとしても、yは0になることは絶対にできない。

このときにyが0を強力に希求する願いが、私が文章を書く意味でありモチベーションなのです。

やわらかく塗りつぶされた季節の中では、文章の創作なんてできるわけがないのです。


それでも世界はゆっくりと変化していきます。
今年はその速度が少しだけ上がっているようにも見えます。

今書かなければ、多分、もう一生書くことはないです。



海の良さは、空と違って触れようと思えば触れられるところです。
そのためには明確な意思を持って砂浜を渡り、岸壁を乗り越えて進まなければいけませんが、それでも、とにかく近づけば触れることはできるのです。


5/26のラルクのライブに行きました。国立競技場での野外ライブです。
特にラルクのファンというわけではありません。
けれど、4人が4人とも、とても楽しそうだったのが印象的でした。

この楽しそうな姿には2通りの受け取り方があるな、と思いました。
本当に100%楽しんでライブをやってる、という見方。
100%楽しいわけではないけれど、楽しんでるように頑張って見せてる、という見方。



これを見て反射的に思ったのは、
「すべてを見渡せ!アクエリオン!」という、座右の銘を聞かれたときに使う言葉です。
これはつまり、
空ばっかり見ていたら足元をすくわれるし、
地面ばっかり見ていたら空から打ち抜かれる。
(だからどちらかだけに視線を偏らせてはダメだぞアクエリオン!)
というなんの捻りもない言葉で、
どちらかというと、それ単体でというよりもアンチテーゼとして有用なので好んで使っていました。

しかしどうなんだろう。
最近は明らかに自分でバランスを見失っている気がする。

足元に生えていた荊が気付かない間に育って、膝くらいまで伸びてきている。

もちろん、空は見ようと思えば見られるのです。まだ。



自分の中で、ラルクの曲といえば虹かPiecesで、夏休みの記憶とリンクしています。
自転車でものすごいスピードを出していたあのとき、
FMラジオをつければだいたいGLAYかラルクが流れていたし、
AMラジオをつければだいたい横浜ベイスターズは勝っていました。


先述の二つの見方のうちでは、真実は前者であってほしいと思います。
前ですらない、足下しか見えていない人間には理解できないような場所が。空の向こうにあれば良い。


雨が降らなければ虹はできない、と当たり前のように言う人はいるけれども、
それは虹の本質ではありません。
虹の材料として必要なのは雨ではなくて光です。強烈な光。
雨なんて、降らなければ降らないで、プールの水道ですら代用がきくものなのです。