初心者同志 -56ページ目

アンドロメダ病原体。

【 アンドロメダ病原体 】

著 マイクル・クライトン  1969年発刊

人類滅亡のカウントダウンを静かに、淡々と描いていく、冷たいSFの物語。




海外ドラマ【LOST】では、作品中に何度となく、謎の数字が登場する。

4,8,15,16,23,42


それは、ときには無線機から、延々と聞こえ続ける声が口にしている数字だったり、

使用用途の不明な古いパソコンに打ち込む数字だったり、

地図の中に、暗号のように書き込まれている数字だったりする。


その数字はドラマの中で終始、謎の存在として描かれつづけ、

飛行機が墜落し、生き残った生存者たちの前に幾度なく現れて、

彼らを、様々な形で惑わせていく。


これを見たとき、私が真っ先に思い出したのは、

マイクル・クライトンが書いた小説、【アンドロメダ病原体】だった。



この作品は、アメリカのある地方に落ちた一つの無人衛星から

地球外の病原体が発見され、それを研究機関のチームが調査し、

解明していく過程を、刻々と描いていく、サスペンスの魅力が溢れるSF小説だ。


まだ、なにが起きているのかも判明していない物語の序盤、

人がみんな倒れて動かなくなっている街の中を、

調査に訪れた科学者たちがゆっくりと車で移動しながら、驚愕の声を上げていく、

というシーンには、その淡々とした描写との効果も相まって、

思わず息を呑まずにいられない。


その後、本格的な調査、研究が物語の中で進められていくのだけど、

面白いのは、その経過の中で、事あるごとに、調査の記録や、

検査を申請するための書類、実験の分析結果といったものが、

本当に実在している書類から抜粋してきて、掲載しているみたいに、

物語の合間、合間に描かれることだ。


それらのほとんどは、あまりにも専門的で、素人の私たちには、

何が、どんな意味をもっているのか、ほとんどわからない。

奇妙な数字の羅列だったり、見たことのない表記の記号が続いていたりする。


ただ、その無機質で、意味なんて、あまりなさそうに思えるその数字が、

正体不明な病原体を調査する、という、この物語に、

妙な真実味と、予想のつかない不気味さを持たせているのだ。


海外ドラマ【LOST】を見ていて私が感じた、奇妙な不気味さもそれだった。


本書の作中、科学的な実験が行われていくシーンの描写はとても現実的で、

もし、こんな事件が本当に起きる様なことがあれば、

実際に行われるだろう、という調査の過程が、精密に描かれているのだという。


それでも、本当の専門家たちから見たら、

お、けっこう頑張ってるなあ、という程度で終わるものなのかも知れない。

でも、なんの知識もない私たちから見ると、非常に真に迫っているようで、

思わず、真実が書かれているのでは!?と思ってしまったりする。


事実、この小説の始まりは、1番最初のページに、

アンドロメダ報告書、とあって、その下に、


【このファイルは極秘文書である】


と書かれている。


著者自身のまえがきでも、

本書は、アメリカ最大の科学的危機の記録をまとめたものである、と書かれて、

まるで実際にあった事件の記録を公開する、みたいな記述がされている。


もちろん、実際にはすべては著者の創作なのだけど、

読む側としては、ぜひ、著者の仕掛けに自ら飛び込むことで、

思う存分、この作品を楽しむことこそが、この作品を最も満喫する

最高の方法ではないかと思うのだ。




アンドロメダ病原体/マイクル・クライトン



学級閉鎖と休校の記憶。

私の周りで、風邪が流行りだしている。


一人がひくと、すごい速さと勢いで他人にも伝染していく

風邪の怖さを、今、改めて感じるのだけど、

でも、過去に1番それを感じたのは、やっぱり小学生のときだったのかも知れない。


ある日、クラスメイトの一人が風邪で学校を休んだ。

でも、それはまだ、普通によくある風景だった。

給食で一人一つずつ配られる、プリンやみかんや、牛乳なんかが、

欲しい人たちの中でじゃんけんをして配られたり、

プリントを持っていく人をお願いしたり、という、いつもの光景があった。


翌日、風邪で休む生徒が二人になった。

担任の先生は、口頭で「風邪がはやっているようなので、注意してくださいね」

と言ったりする。

でも、小学生の私たちは、それを、ほとんど真剣に聞いていない。


翌日、更に増える。

三人目。

さすがに少し、私たちもざわつく、

「みんな風邪なの?」

「うん、そうみたいだよ」

その一方で、

「でも、風邪で休めるなんて、いいなあ」

なんて、言ってるクラスメイトも、まだ、いる。


でも、その翌日。

更に風邪をひいて休む生徒が一人出て、しかも、休んでいる生徒が、

ただの風邪ではなくて、インフルエンザだとわかる。

でも、当時小学生だった私は、ただの風邪と、

インフルエンザとの違いをよく知らなかった。

その感染力と、症状の重さも知らなかった。

だから、そうか、インフルエンザなのか、というくらいの思いしか感じなかった。


ただ、誰も座っていない席が教室の中に、ポカンと穴が開いたみたいに、

4つの空虚な空間が作り出されていて、

普段よりも多めに残る給食と、おとなしい教室の中の雰囲気が

とても異質に感じられたのは覚えている。


そして、さらにその翌日。

新たに二人のクラスメイトが学校を休むことがわかって、

家に先生から電話がかかってきた。


「学級閉鎖です」


すでに朝食を食べながら、学校にいくつもりで準備していた中で、

とつぜん、もう今日は学校に行かなくていい、と

伝えられたときの違和感。

なんだか、一人だけ仲間はずれにされたみたいな、疎外感。


いきなり、学校に行かなくてもいい、と言われても、

朝の早い時間、風邪をひくような気配もなかった私は、

一体なにをしたらいいのかわからなくて、なんだか、だらだらと、

普段は見ることのない、平日の面白くもないテレビ番組を見て、

ぼーと過ごしたのを記憶している。


うーん、もしかしたら、人生の中で、

心の底から学校に行きたい!と思ったのは、

あのときだけだったかも知れないなあ、と思う、今日このごろ。


最近では、【職場閉鎖】て言葉はないのかな、と、

風邪で休む人が増えて、自分の仕事の負担が増す度に、

私は思わずにいられないのだった。


雪のあそび。

本当に不思議だな、と思う。


小さいころは、雪が降れば、降るだけ嬉しかった。


もっとも降ったときには、学校までの道のりを、腰の辺りまで

雪に埋まりながら、行ったことさえあった。

でも、それでも大変だと、思ったことはない。


今は、雪が降ると、ああ、自転車で仕事にいけないなあ、とか、

雪かきしなくちゃなぁ、というくらいの思いしか浮かばない。


子供のころには雪だるまも、かまくらも作ったし、

雪が降ったあとに凍結した路面では、スケートのように滑って遊んだりもした。


母親は冬の間、野菜を雪の中に保管した。

天然の冷蔵庫だった。


理科の授業で、液体が凍る温度を調べる実験があって、どうせ凍らせるのなら、と

ヨーグルト味の粉末を水に混ぜて小さなカップに入れ、

外に置いておく、ということをやったら、

次の朝には、もの凄く美味しいヨーグルトシャーベットができていて、

学校の授業として、堂々とお菓子が作れることが嬉しくて、

そのあとも、密かに作りつづけるクラスメイトが続出したりした。


ふったばかりの新雪は、朝の早い時間だと、

1番上の表面の部分だけが、砂糖菓子のように凍って固くなっていて、

それを、○や、△の形に切り抜いて、綺麗に型ぬきする遊びも流行った。

上手な人は、それを犬や猫の形に切り抜いたりして、

それはもう、ほとんど芸術作品のようだった。


雪が、ただの余計な存在じゃなかった時が、確かにあった。

結局は、どんなものだって、それに接する人間次第ということなんだ。


そう思いながら、休日、カメラ片手に気分転換をしたくて、

雪景色に包まれた近所を歩いていたのだけど、なんだか、ひどく疲れてしまった。


部屋に戻って、撮った写真を見てみる。

うーむ、相変わらず、上達する気配がないなあ。


やっぱり、邪念があると駄目なのかも知れない。



janenga al


雪だま合戦、開戦!。

小学生のころ、雪が降れば、まず、雪だるまを作った。

それが当然の行動だった。


それから、もっと雪が降るようなら、かまくらも作った。

雪だるまより、ずっとたくさんの雪が必要だから、簡単には作れないんだけど、

できる限り大きく、中を広く作るのが楽しかった。


そして、最後はいつも、雪だま合戦だった。


あるとき、通っていた小学校で、その雪だま合戦が禁止になったことがあった。

なんでも、ある生徒たちが、雪だま合戦に夢中になって、

他人の家の窓を割ってしまう、という事件が起きたことが、

原因だったみたいだ。


私たちはホームルームで、先生から「禁止します」、と伝えられ、

ほんとうに、ただ、呆然とした。

だって、その言葉は、私たちの両手足を縛って、裸で外に放り出したも同然だったんだ。


外に出れば、降り積もった大量の雪が、すぐ目の前にある。

手を伸ばして、それを手にとって丸めれば、それは雪玉になる。

投げあえば、雪だま合戦だ。


こんな当たり前のことが出来なくなってしまうなんて、

当時の私たちの誰が、想像できただろう。


でも、大人たちになにか誤算があったのだとしたら、それは、子供とは、

自分たちのこととなると、意外なくらい、悪知恵が働くということだ。


私たちは考えた。

雪だま合戦はしたい。

でも、してはいけない、と言われている。


うーむ、なにか、いいアイデアはないもんだろうか。


大人たちが禁止したのは、雪だま合戦だった。

だったら、【雪だま】でなければ、どうだろう?


たとえば、雪の下に埋もれている雑草を一枚抜いて、雪だまに混ぜる。

できたそれは雪玉じゃないぞ、雑草玉だっ!


うーん、頭いいっ!


しかも、手当たり次第に、次々と雪玉を作ることができなくなったおかげで、

雪だま合戦が、ただの無防備な投げあいでなくなる、という

プラスな要因も生まれたりして、

私たちは、戦略を必要とする、この新しい雪だま合戦、

じゃなかった、雑草だま合戦に、どんどん熱中していくことになるのだった。


子供は遊びの天才だ、とは誰かが言ってたけど、うん、これってホントだな。


ただし、このアイデアが先生にばれて、この雑草だま合戦も禁止にされるのに、

数日とかからなかったことは、言うまでもない。

うう、大人て、心が狭いよ・・・・・・。


それにしても、くそー、誰だ、先生に告げ口したヤツはーっ!

仕事をつづけられる生き方を思う。

ずっと以前に、一度だけ紹介したカードゲーム 【モンスターメーカー】。

今でも時々、引っぱり出してきて友人たちと遊ぶくらい、

私にとって、とても付き合いの長いゲームになっている。


のだけど、つい最近、このゲームをデザインしたという人が、

ネット上で対談している のを発見して、

わたしはそこで、初めてご本人の姿を見た。


なんと、現在73歳!

しかも、今なお、現役でゲームデザイナーとして仕事されていて、

と同時に、自分は生涯ゲーマーだとして、今も様々なゲームで

遊びつづけてもいるという。


73歳という年齢で、1日に10時間以上もパソコンでゲームができるなんて、

うーん、なんて集中力!


さて、自分も、50年後に同じ真似ができるだろうか、

考えると、なんだか、私なんてまだまだだなぁ、と思ってしまうのだった。


仕事と遊びを両立させて、しかもそれを73歳になっても

続けていられる能力!


うーむ、うらやましいなあ。