初心者同志 -113ページ目

凍りつく心臓。

【 凍りつく心臓 】

著 W・K・クルーガー 1998年刊行

どこまでも深く傷ついた大人が、それでも尚、周りの人間と向き合い続けようとする、優しいミステリー。



カナダ国境と隣接する、アメリカ最北端の州の一つ、ミネソタ州。

今年も、車の排気ガスでさえ、吐きだされたとたんに凍るほどの、

厳しい寒さがやってきた、アイアン湖畔の町オーロラ。


主人公のコーク・オコナーは部屋の窓から、

あっというまに外の景色を真っ白な粉雪によって埋め尽くしていく、荒ぶる風を見ていた。


彼は以前、この町の保安官だった。

町の人は、彼を、善良で信頼できる人間、と誰もが愛していた。

彼はある事件がきっかけで、保安官をやめることになった。


一つの傷が生まれた。


彼は以前、シカゴの一番最悪な地区で警官をしていた。

結婚し、子供が生まれて、こんな場所では育てなくないから、と

故郷の町に戻ってきたのだ。

彼は今、家族とは別の家で暮らしている。


新たな傷が加えられた。


シカゴにいた時でさえ、彼は人を殺したことはなかった。

故郷に戻ってきて彼は、臆病な一般市民に、六発もの銃弾を放って殺害してしまった。


傷は重なって、さらに刻まれる。


アイオワ州は元は、

ネイティブ・アメリカンのオジブワ・アニシナーベ族、ダコタ族の居住区だった。

しかし、他のすべての州と同じように、今は、政府公認の保留地に追いやられていた。

コークの住む町でも、彼らと白人たちとの間で、争いは絶えなかった。


アニシナーベ族の血を半分だけひくコークは、そのどちらにも平等の立場でいようとした。

そして、どちらからも、私たちの味方ではない、と疎まれた。


傷が、更なる傷を呼び、どこまでも終わらない。


コーク・オコナーは窓から目を離した。

後ろを振り返ると、彼の名前を呼んだ女性が、寒さを気にしない薄着の格好で

階段から降りてくるところだった。

コークはもう若いとはいえない。

保安官をやめて、少し太りはじめていることを自認している。

そんな彼より十歳も若く、美しくて健康的な女性、モーリー・ヌルミは、

コークの妻ではない。


自分がどんな人間なのかを証明してくれていた職業を失い、

あらゆる人からの、無条件の尊敬を失い、

今、彼は、家族をも、本当に失おうとしていた。


傷は癒されることなく、ただ深くなっていく。


そんなとき、彼の元に一本の電話がかかってくる。

声はハイスクールの頃からの知り合いだった一人の女性。

自分の息子が、新聞配達にでかけたまま帰ってこないという。


コークはすでに保安官ではない。

外は激しい吹雪で、視界はないに等しく、凍えるような寒さだ。


だが、彼はためらうことなく彼女の元へと出かけた。


コークは何一つ取り戻せないまま、これまで持っていたあらゆるものを失おうとしていた。

そして、それらが、すべて自分の責任だと感じていたのだ。


自分のことを必要としてくれる人間が、まだいたことが、彼には素直に嬉しかった。


そして、少年の行方を捜す先で、彼は一人の遺体を発見した。



すでにアメリカでは六作もの作品が発表され、

人気のシリーズとなっているという、コーク・オコナーを主人公とした物語の第一弾。


「凍りつく心臓」の物語は、こうして始まります。


実は私は、この後に書かれたシリーズ二作目に当たる、

「オオカミの震える夜」のほうを先に読んでいました。


それを読み、コーク・オコナーとその周りにいる人たちのことを

もっと知りたくて、私はこの一作目を改めて手にとり、読んでみました。


そのときに感じたのは、まさに、息がつまるほどの驚き。


二作目でのコーク・オコナーは、数々の痛みから立ち上がろうとする、

強い男として書かれていました。

そこには、その痛みを背負うこととなった理由についても、

詳細に説明されていたので、

当然、それについては、私も理解できただろう、と思っていました。


しかし、一作目に遡って読んでみると、二作目で書かれていたのは

あくまでも、そのさわり程度だったことがわかりました。


コーク自身が体験した本当の痛みは、まさにタイトル通り、

「心臓が凍りつく」ほどの、すさまじいものだったのです。


私はすでに続編を先に読んでおり、

コークがどうなるのかを知っているにもかかわらず、

本がその場面に差し掛かったとき、

思わず目の前が暗くなり、しばし本を閉じて、息を整えたほどです。


映画や物語を読んで泣いたことは、これまでに何度もありますが、

泣いてしまいそうな感情を簡単に突き抜けてしまうほどの悲しみを感じたのは、

まだ、この本だけです。



見つかった遺体は、行方不明になった子供がいつも最後に、

新聞を配っているはずの、家の主でした。

そして、その日の新聞は、まだその家には届いていませんでした。


その遺体が、少年の行方不明と関係しているのでは、と感じたコークは、

少年を探すために、その事件を調べようとしますが、

すでに保安官でもない彼が、事件を追いかけることを、誰も好ましく思いません。


そして、何故か、彼に探して欲しいと頼んだ母親までが、

コークに、「もう、探す必要はない」と、言いはじめるのでした。


保安官をやめ、家族のいる家を出て暮らしていたコークは、

自分の住むハンバーガースタンドに帰ってきます。

彼はそこで、湖に釣りにやってくる客相手に、食事を販売して暮らしていました。


そして、今は凍りつき、誰もいない湖を見ながら、

コーク・オコナーは子供の頃に聞いた、

オブジワ族が伝える、ウィンディゴという怪物の伝説を思い出していました。


氷の心臓をもった巨人の化け物、ウィンディゴ

ウィンディゴは人を襲い、人を食べるという。

そして、人を襲うとき、ウィンディゴはかならず、その人物の名前を呼ぶという。

名前を呼ばれた人間は、決してウィンディゴからは逃げられない。


コークはふいに足を止めて、相変わらず強く吹き荒ぶ雪の奥に目を細めました。


「そこにいるのは誰だ?」


誰かがいたような気がしたのです。

そして、誰かが、自分の名前を呼んだようにも思えました。

しかし、実際には、そこには何もありませんでした。


また、誰からも必要とされなくなっていくコーク。

そんな彼をただ一人気にかけ、深く愛そうとするモーリー・ヌルミは、

コークの、ときには、閉じ込めてしまうほうがいい、と思っている素直な彼の感情さえも

優しく見抜き、開放させてあげようとします。


コークはその優しさに唯一癒されながら、しかし一番の視線は

離れて暮らす、子供たちに向けられていました。


時折しか姿を見せない父親と、無邪気にとっくみあいをして遊びながら、

まだアニメにすぐ夢中になってしまう五歳のスティーヴィ。


母に黙って父の家にやってきては、

怪我をして旅立てず湖に残った、つがいのガンにエサをやり、

両親がまた一緒に暮らせるように祈るの、と父に語る十一歳のアン。


父が何もしなかったから、今の事態になったのだと責めながら、

父の目に映る恐怖をするどく見抜いて、心配をする十四歳のジェニー。


コークは子供たちと、もう一度やり直せないかと真剣に考えますが、

それは、今の自分の唯一の理解者、モーリー・ヌルミとの別れを意味していました。


そして、彼が迷いながらも、ある決断をしたとき、

まるで嵐の中を進むと決めたとたん、空がとつぜん晴れるように、

それまで見えていなかった事実が、初めて彼の目の前に現れてきたのです。


彼は思います。

あのとき、自分の名前を呼んだのは、やはりウィンディゴだったのだ。


今、俺は心臓を貪り食われたのだ。



凍りつく心臓 (講談社文庫)/ウィリアム・K. クルーガー
Amazon.co.jp


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─

これは、作品を批評するものでも、お勧めするものでもありません。
あくまでもご紹介をすることに、努めたつもりです。
もし、興味をもたれた方は、周りの友人を頼る、試読できるショップや図書館を利用する等で、
まず、ご自分での評価をして頂けることを、強くお勧め致します。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─



見守るハンター。

オンラインゲームの「MHF」 に登場するモンスターたちは、


みんな、本当に大きい。

みんな、本当に恐ろしい。

みんな、本当にとても強い。


でも、ハンターである私たちには、助け合える仲間がいる。

心強い友達が。


だから、私は怖くないんだ。


MHFss021


でも、私の武器は狩猟笛

私の役割は、笛を吹いて、みんなを助けることだ。


それは、たとえ仲間たちが、窮地になっていても変わることはないっ!

いや、窮地にあるときこそ、吹かなければいけないっ!


・・・・・・ほ、本当だぞ。


近づかないのは、笛を吹くのが、私の仕事だからなんだっ!


「なんかさ、みんなで必死に戦っているとき、一人だけ、ずっと遠くにいなかった?」


だから、それは違うんだよーっ!

父とゲーム。

私の父は、かなり恐ろしい人だった。


マンガやアニメにでてくる、典型的な頑固親父みたいな姿を

想像してもらっても、現実の姿と、ほとんど違和感はないと思う。


厳格な人で、私が何か悪いことをすると、

鉄でも握っているのか、と思うような堅いゲンコツが、

すぐに頭に飛んできた。


背は高く、痩せ型だけど体は引き締まっていて、

頭にはパーマをかけていた。

目は細くて切れ長で、その奥にはギラギラとした

眼光がいつも光っていた。


そんな見た目だから、私の友人の間でも、

怖いおじさんとして通っていたんだけど、

そんな評判にひそかに私は、


実態を知ったら、怖いくらいでは済まないんだぞぉ、


と思っていたくらいだった。


そんな父があるとき、部屋の奥から何やら持ち出して、

テレビに繋げていた。

それは、鮮やかなオレンジ色をした、

カセットデッキみたいなもの。


当時私の家には、かなり豪華なレコードプレイヤーと

ピーカーの音響セットが、客間の一角に設置されていた。


父が若い頃、必死にバイトをしてお金を貯めて

買ったというもので、かなりアンティークなものだったと思うけど、

とても大切にしていた。


「おまえたちは、ぜったい触るなっ!」


て、ほんとによく言われたっけ。

うーん、懐かしいなあ。


私の家は裕福な家庭では決してないのだけど、

父は最新の工業ロボットなどを、依頼されて製作するエンジニアのような

仕事をしていて、新しい機械には目がない人だったんだ。


それで、お金もないのに、新しいテレビやビデオデッキなどが出ると、

それをすぐに買ってきて、よく母にはぶつぶつと小言を言われていた。


そのとき、父がテレビに、また見たこともない機械を

繋げているのを見て、私は興味を持った。

でも、それが何なのか、と聞くことはしなかった。


だってさ、質問とかって、許されなかったんだ。

「自分で少しは考えろっ!!」なんて言われて、平手がバチーン。


ううっ、考えても分からないから聞いたんじゃないかぁ・・・・・・。


それで、そのときも、ただずっと、後ろで見守っていたのだ。


父は、それを繋ぎ終えると、隣に住んでいる家のお兄さんを呼んできた。

そして、おもむろにオレンジの機械のスイッチを入れたのだった。


すると、真っ黒だったテレビの画面に、

突然見たこともない画像が浮かび上がった。

それは、なんと、テレビゲームだったのだ。


田舎に住んでいて、ファミコンすら持ってなかった私は、

そのとき初めてテレビゲームというものを知り、

テレビというものが、見るだけのものじゃなく、

それを使って遊ぶものにも変わるのだと知って、

本当に驚いたのだった。


父と、隣の家の兄はそれから、画面の端にある棒状のバーを操作して、

ボールを打ち合うテニスみたいなゲームを、

本当に楽しそうにやり始めたのだけど、


後ろでそれを見ていた私に、父が気を利かせて、


「お前もやってみるか?」


なんて言ってくれるわけもなく、ひとしきり楽しんで終了すると、

ゲームはそそくさと、また箱に片付けられて、

当時の私には手の届かない、棚の上のほうに

置かれてしまったのだった。


それから私はその箱を見るたびに、


あの箱を自分で開けられさえすれば・・・・・、

自分にそれだけの身長があれば・・・・・・、


と思ったのだけど、それから十数年、身長は手に入れたものの、

あのときの箱はもう、どこにいったのかわからないまま、

私のそんな空想は、空想のまま、

宙にふらふらと浮いたままになっている。


こんな話を思い出したのは、最近ネット上で、

まさにその当時、私がうしろから見ていたゲーム機そのもの を発見したから。


少し調べてみると、発売はなんと、昭和52年。

価格は1万5千円!

発売はあの、有名な任天堂!


当時、私がそれを初めて見たときの年齢を考えると、

どうやらその時にはすでに、かなりの骨董品だったみたいだ。


なんとなく私は、十何年ぶりかに、父の意外な姿を

発見させられたような気がしたのだった。


助け合いハンター。

私が、初めてオンライゲームを遊んだとき 以来、

私が感じている、オンラインゲームの一番の魅力は、今もまったく変わっていない。


それは、そこに集まったみんなと、


「一緒に協力して、目的が達成できること」、だ。


オンラインゲームの「MHF」 でも、それはやっぱり同じだった。

みんなと協力して、さまざまな依頼に挑戦できるのは、本当に心強いんだ。


卵の運搬だって、1人でやるより、みんなでやったほうが、ずっと簡単で、安全だ。

キノコの採集だって、みんなとできるぞ。

1人でやるキノコ狩りは、ただ黙々とやるしかないけれど、

みんなで歩きながらキノコを探せば、ただの採集も、ちょっと楽しい。


もちろん、モンスターとの戦いだって、みんながいれば、ずっと心強いんだ。


MHFss022


ただ、一緒に戦う仲間にも、私がそう思われているかどうかは、また別の話・・・・・・。


「確かに仲間は心強いけど、あいつは、いらないよなぁ」


なんて、言われることがないよう、私も、もう少し頑張らないといけないな。

よーし、吹くぞおっ!


自分を知っている。

私は政治に、興味を持ったことがない。

政治家の言葉に、心打たれたこともない。


でも、選挙にだけは、必ずいくようにしている。


なぜならば、

私が選挙に行きたくないのは、


誰に投票しても、結局は同じだから、とか、


選挙そのものに関心がないから、などでは決してなく、


「ただ面倒くさいから」だということを、自分ではっきりと理解しているからだ。


だから、私は選挙に行く。


選挙に行こう、と訴える笑顔の芸能人のポスターのためでも、


何かを変えられるかも知れない、と期待しているわけでも、


自分の権利を、行使するためでもなく、


候補者のためでもない。


ただ、「メンドウ」だからと、それを平気で避けていく人間になるのが、怖いから。


ただ、自分のためだけに。