凍りつく心臓。
【 凍りつく心臓 】
著 W・K・クルーガー 1998年刊行
どこまでも深く傷ついた大人が、それでも尚、周りの人間と向き合い続けようとする、優しいミステリー。
カナダ国境と隣接する、アメリカ最北端の州の一つ、ミネソタ州。
今年も、車の排気ガスでさえ、吐きだされたとたんに凍るほどの、
厳しい寒さがやってきた、アイアン湖畔の町オーロラ。
主人公のコーク・オコナーは部屋の窓から、
あっというまに外の景色を真っ白な粉雪によって埋め尽くしていく、荒ぶる風を見ていた。
彼は以前、この町の保安官だった。
町の人は、彼を、善良で信頼できる人間、と誰もが愛していた。
彼はある事件がきっかけで、保安官をやめることになった。
一つの傷が生まれた。
彼は以前、シカゴの一番最悪な地区で警官をしていた。
結婚し、子供が生まれて、こんな場所では育てなくないから、と
故郷の町に戻ってきたのだ。
彼は今、家族とは別の家で暮らしている。
新たな傷が加えられた。
シカゴにいた時でさえ、彼は人を殺したことはなかった。
故郷に戻ってきて彼は、臆病な一般市民に、六発もの銃弾を放って殺害してしまった。
傷は重なって、さらに刻まれる。
アイオワ州は元は、
ネイティブ・アメリカンのオジブワ・アニシナーベ族、ダコタ族の居住区だった。
しかし、他のすべての州と同じように、今は、政府公認の保留地に追いやられていた。
コークの住む町でも、彼らと白人たちとの間で、争いは絶えなかった。
アニシナーベ族の血を半分だけひくコークは、そのどちらにも平等の立場でいようとした。
そして、どちらからも、私たちの味方ではない、と疎まれた。
傷が、更なる傷を呼び、どこまでも終わらない。
コーク・オコナーは窓から目を離した。
後ろを振り返ると、彼の名前を呼んだ女性が、寒さを気にしない薄着の格好で
階段から降りてくるところだった。
コークはもう若いとはいえない。
保安官をやめて、少し太りはじめていることを自認している。
そんな彼より十歳も若く、美しくて健康的な女性、モーリー・ヌルミは、
コークの妻ではない。
自分がどんな人間なのかを証明してくれていた職業を失い、
あらゆる人からの、無条件の尊敬を失い、
今、彼は、家族をも、本当に失おうとしていた。
傷は癒されることなく、ただ深くなっていく。
そんなとき、彼の元に一本の電話がかかってくる。
声はハイスクールの頃からの知り合いだった一人の女性。
自分の息子が、新聞配達にでかけたまま帰ってこないという。
コークはすでに保安官ではない。
外は激しい吹雪で、視界はないに等しく、凍えるような寒さだ。
だが、彼はためらうことなく彼女の元へと出かけた。
コークは何一つ取り戻せないまま、これまで持っていたあらゆるものを失おうとしていた。
そして、それらが、すべて自分の責任だと感じていたのだ。
自分のことを必要としてくれる人間が、まだいたことが、彼には素直に嬉しかった。
そして、少年の行方を捜す先で、彼は一人の遺体を発見した。
すでにアメリカでは六作もの作品が発表され、
人気のシリーズとなっているという、コーク・オコナーを主人公とした物語の第一弾。
「凍りつく心臓」の物語は、こうして始まります。
実は私は、この後に書かれたシリーズ二作目に当たる、
「オオカミの震える夜」のほうを先に読んでいました。
それを読み、コーク・オコナーとその周りにいる人たちのことを
もっと知りたくて、私はこの一作目を改めて手にとり、読んでみました。
そのときに感じたのは、まさに、息がつまるほどの驚き。
二作目でのコーク・オコナーは、数々の痛みから立ち上がろうとする、
強い男として書かれていました。
そこには、その痛みを背負うこととなった理由についても、
詳細に説明されていたので、
当然、それについては、私も理解できただろう、と思っていました。
しかし、一作目に遡って読んでみると、二作目で書かれていたのは
あくまでも、そのさわり程度だったことがわかりました。
コーク自身が体験した本当の痛みは、まさにタイトル通り、
「心臓が凍りつく」ほどの、すさまじいものだったのです。
私はすでに続編を先に読んでおり、
コークがどうなるのかを知っているにもかかわらず、
本がその場面に差し掛かったとき、
思わず目の前が暗くなり、しばし本を閉じて、息を整えたほどです。
映画や物語を読んで泣いたことは、これまでに何度もありますが、
泣いてしまいそうな感情を簡単に突き抜けてしまうほどの悲しみを感じたのは、
まだ、この本だけです。
見つかった遺体は、行方不明になった子供がいつも最後に、
新聞を配っているはずの、家の主でした。
そして、その日の新聞は、まだその家には届いていませんでした。
その遺体が、少年の行方不明と関係しているのでは、と感じたコークは、
少年を探すために、その事件を調べようとしますが、
すでに保安官でもない彼が、事件を追いかけることを、誰も好ましく思いません。
そして、何故か、彼に探して欲しいと頼んだ母親までが、
コークに、「もう、探す必要はない」と、言いはじめるのでした。
保安官をやめ、家族のいる家を出て暮らしていたコークは、
自分の住むハンバーガースタンドに帰ってきます。
彼はそこで、湖に釣りにやってくる客相手に、食事を販売して暮らしていました。
そして、今は凍りつき、誰もいない湖を見ながら、
コーク・オコナーは子供の頃に聞いた、
オブジワ族が伝える、ウィンディゴという怪物の伝説を思い出していました。
氷の心臓をもった巨人の化け物、ウィンディゴ。
ウィンディゴは人を襲い、人を食べるという。
そして、人を襲うとき、ウィンディゴはかならず、その人物の名前を呼ぶという。
名前を呼ばれた人間は、決してウィンディゴからは逃げられない。
コークはふいに足を止めて、相変わらず強く吹き荒ぶ雪の奥に目を細めました。
「そこにいるのは誰だ?」
誰かがいたような気がしたのです。
そして、誰かが、自分の名前を呼んだようにも思えました。
しかし、実際には、そこには何もありませんでした。
また、誰からも必要とされなくなっていくコーク。
そんな彼をただ一人気にかけ、深く愛そうとするモーリー・ヌルミは、
コークの、ときには、閉じ込めてしまうほうがいい、と思っている素直な彼の感情さえも
優しく見抜き、開放させてあげようとします。
コークはその優しさに唯一癒されながら、しかし一番の視線は
離れて暮らす、子供たちに向けられていました。
時折しか姿を見せない父親と、無邪気にとっくみあいをして遊びながら、
まだアニメにすぐ夢中になってしまう五歳のスティーヴィ。
母に黙って父の家にやってきては、
怪我をして旅立てず湖に残った、つがいのガンにエサをやり、
両親がまた一緒に暮らせるように祈るの、と父に語る十一歳のアン。
父が何もしなかったから、今の事態になったのだと責めながら、
父の目に映る恐怖をするどく見抜いて、心配をする十四歳のジェニー。
コークは子供たちと、もう一度やり直せないかと真剣に考えますが、
それは、今の自分の唯一の理解者、モーリー・ヌルミとの別れを意味していました。
そして、彼が迷いながらも、ある決断をしたとき、
まるで嵐の中を進むと決めたとたん、空がとつぜん晴れるように、
それまで見えていなかった事実が、初めて彼の目の前に現れてきたのです。
彼は思います。
あのとき、自分の名前を呼んだのは、やはりウィンディゴだったのだ。
今、俺は心臓を貪り食われたのだ。
- 凍りつく心臓 (講談社文庫)/ウィリアム・K. クルーガー
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これは、作品を批評するものでも、お勧めするものでもありません。
あくまでもご紹介をすることに、努めたつもりです。
もし、興味をもたれた方は、周りの友人を頼る、試読できるショップや図書館を利用する等で、
まず、ご自分での評価をして頂けることを、強くお勧め致します。
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