〇近江国人領主の有為転変・目加田氏の場合
目加田城は近江鉄道沿線沿いの目加田集落の住宅街の中に公園という形で城の史跡が遺された貴重な史跡。城主は『近江愛智郡志』によれば、南近江を支配した大名六角氏家臣の目加田氏の発祥地であり、鎌倉幕府が滅亡した元弘年間(1331~1336)以降、戦国末期までこの城を居城としていました。目加田氏は主君である六角氏が凋落後もこの地に留まり続けましたが、天正10年(1582)の本能寺の変後に明智光秀に属したことにより、羽柴秀吉により改易されました。
近江の在地領主の多くは激しい戦国合戦では大きな激戦地の舞台となったことにより、有為転変で滅亡~存続に翻弄された地域でありました。本能寺の変後に明智光秀に属したことで没落、あるいは翌年の賤ケ岳合戦でも柴田勝家に属したことで改易等の処断を受けた者も多かったのでした。目加田氏もまた激しい有為転変に翻弄されたと言えましょう。
目加田城へは近江鉄道の豊郷駅からレンタサイクルで行くのがベスト。ただし、道順は分かりにくいので事前に地図などを確認するのが良いでしょう。訪問したのは2023年6月、既にだいぶ暑くなってきている時期でした。
目加田城は「目加田城跡公園」として表示されています。平日の日中とあってか人っ子一人いない静寂な住宅街の中です。
この目加田公民館の奥に城跡の史跡があります。
目加田城の石碑
一部後世による改変で開けてしまった形となっていますが、周囲を土塁で覆われた形状となっているので、
観察しやすいのがありがたい。雑草一つなくきれいに復元整備された形状となっていました。
L字型の形状をした土塁
高さ3メートルほどで、綺麗に整備されています。
中心部にはかつての城の形状などが解説案内板も設置されており、この手の住宅街の中に残る城跡遺構としては最適な形となっています。
目加田城とその周囲の上空写真
この土塁の周囲には堀があったとみられていますが、現状では遺構は観察できません。
目加田集落の中に残る城跡、綺麗に復元整備された土塁が遺された貴重な史跡です。
〇アクセス
近江鉄道豊郷駅からレンタサイクルで20分
「目加田城に狼煙が一本…」