今回の欧州再遠征旅行記のテーマは「ナポレオンと友の足跡」ですが、2日目はちょっとそのテーマから離れた城巡り記事をお届けします。

ドイツのザ・お城の代名詞ノイシュヴァンンシュタイン城

日本の城の代表格といえば世界遺産姫路城。ドイツのお城の代表格と言えば同じく世界遺産ノイシュヴァンシュタイン城。前回はスケジュールの絡みで訪問できませんでしたが、やっぱり

ドイツの城巡りでノイシュヴァンシュタイン城を行かない選択肢は無い

お城が大好きな外国人観光客が日本の城巡りを目的として姫路城を行かないのと同じようなものです。19世紀、ある芸術をこよなく愛する王様が自らの憧れの夢を具現化させるためにまさに膨大な費用をかけて築いた「趣味の城」。当然ながらそんな城なので、およそ実用性ゼロでしたが、皮肉な事にその王様が謎の死を遂げると一般に公開され、今では多くの観光客を集める一大スポットにまでなり、まさかの世界遺産指定になったのだから分からないもの。

 さてそんなノイシュバンシュタイン城ですが、その立地はまさにドイツの南端。オーストリア国境近くの山々の中にあります。当然ながらこんな場所までのアクセスは非常に難しく、そんな時に利用したのが

 

現地集合型の当日だけ観光名所を案内してくれる旅行ツアー。しかも日本語ガイド付きなので色々と安心。バスを利用してアルペン街道沿いにあるドイツの名所を観光バスで案内してくれるというまさに嬉しい今回お誂え向きのツアー旅行です。前回の旅行ではアウシュヴィッツツアーで活用して「あ…やっぱり日本語ガイド付きだと凄い安心して見れるわ」と思ったので、今回もやはり現地ガイド付きで依頼しようと思った次第。しかもこれだとチケットの手配などは全部旅行会社がやってくれて、しかも同じ日本人同士の安心感と言ったらない!というわけで、一人旅だとしてもやっぱり極力ガイド同伴の方が安心できるというのが前回の旅行での教訓でした。

もちろん若干割高でしかも人数が催行人数に達しないといけないのですが、実は旅行の2か月前に予約したのですが、希望日での催行がなかなか決定せず、若干ヒヤヒヤ。催行が決定したのが、渡航の20日前というかなりギリギリなタイミングでした。そのためにこの2日目~3日目のスケジュールが確定できずにかなりの見切り発車となってしまいましたが、それでも無事催行決定となって嬉しいことこの上ない。それでは当日模様を2部構成でお届けします。

 

〇ドイツ人による日本語でのドイツ解説は貴重な時間

ツアー旅行はミュンヘン中央駅で7時25分というなかなか早朝集合。当然寝坊なんてしたら目も当てられないので、宿での目覚ましは三重にセッティングして、シャワーを浴びて頭をスッキリさせて7時には出発!やはり中央駅近くの宿にしといて正解でしたね。おかげでゆっくりできる。前日にスーパーで買いこんでおいたパンを食して出発です。

中央駅構内のコインロッカーで大きな荷物などは置いておきます。基本的にドイツのコインロッカーは日本と同じシステムなので安心。硬貨を挿入して鍵を回せばOKなので、これで安心していけます。

事前にメールで集合場所などは確認していましたので、当該ホームの番線も前日にチェック済。行ってみるともうぱっと見でわかっちゃった。だって同じ東洋人…雰囲気で日本人のグループが出来ていたんだもん。家族連れや私と同じ単身旅行者、カップルなど様々な組み合わせの日本人旅行客が10数人。不景気なこんな世の中でもまだまだ海外旅行する人がいると安心してしまいます。

 

ガイドを務めるのはミュンヘン在住のドイツ人女性のMさん。当然のことながら日本語は話せて、しかもこの方直接旅に関係無いドイツの生活アレこれに関する色々な旅行者からの質問にも丁寧に対応してくれました。「こんな商品とかはどんな店で売っているのか?」とか「ミュンヘンでおススメの食事店」とか。ちなみに私が質問したのは

ペットボトルの捨て方

実は前日から腑に落ちないことがあって、ドリンクのペットボトルを購入した後、ペットボトルのごみ箱が見当たらない…と悩んでいたんですね。まさか一般ゴミ箱に捨ててしまうわけにはいかないし、これどうしたらいいん?しかも訪問時は欧州でも異常な暑さ(※5月時点でもヤバイ暑さでした)だったもので、既に数本抱え込んだ状態。Mさんが教えてくれたのは

ドイツではペットボトルは基本的にスーパー等で買い取り型回収してくれる

というもの。ドイツでは環境対策の一環として基本的にスーパーで専用の回収機があって、ここでサイズ毎に1本幾らという形でキャッシュバックされるのです。勿論その費用は基本的に購入価格に上乗せ。どうりでペットボトルが標準150mlサイズで2.5€(500円)と高いわけだよ。システムとしては回収機で幾らペットボトルを入れたかをレシートで表示→会計レジで提示して①他の買い物で割引②現金手渡しという形式になるのだそうです。うーん、こういう日常な生活とかは旅行ガイドでは記載していないからドイツの人から日本語で教えてもらうと色々助かる~

 

駅前に停めてある観光バスはトルコ人運転手Oさんの運転。Oさんも長年勤めていて心得たものでした。ゆったりした観光バスで好きな座席に乗車しての出発。

道中ではMさんによる様々な解説ガイド。つうかMさん凄いな、殆ど(日本語で)道中喋りっぱなしでした。ミュンヘンの歴史や特徴、様々な魅力…本当はしっかり解説したいのですが、ここでは割愛させて一部だけご紹介

 

 

ロマンティック街道…WWⅡ後のバイエルンが賭けた観光復興

第2次世界大戦、それは敗戦国となったドイツにとっても過酷なものでした。戦火によって社会経済はボロボロで、しかも工業の再建まで時間がかかる…そんな時にバイエルンの有力者らが一同に会しての経済再生の柱として考えついたのが手つかずで残っている大自然と古き城や昔ながらの街並みが残る都市を一直線の「街道」に見立てて観光資源とする。ちょうどこれらの都市はバイエルン州を南北に一本道のようにつながっており、これらを観光資源として活用して多くの人を集めよう…ドイツの戦後復興に賭けた人々が整備したこれらが現在では世界中から多くの人々を集めるスポットになっているのだからまことその慧眼たるや恐れ入る次第です。実際、私なんかもこのバスの車窓からのアルプスの山々をバックにした欧州の農村風景を見ているだけでワクワクしてしまったからね。これが画一的な風景だとつまらん。ちなみにこれにちなんで「日本版ロマンティック街道がある」とMさん解説で聞いた時には「え?そんなんあった?」と恥ずかしながら全くもって聞いたことが無い情報でした。場所は

長野県上田市~栃木県日光市に至る広域観光ルート

ぬお!よりにもよってその観光ルートの一部群馬は一か月前に自分主催の沼田ツアーで通っていたよ!知っていたら是非ともそのネタを紹介できたのに~!と。まだまだ世界には私も知らない情報が一杯溢れているなぁ…

なんていうか外国人観光客が色々写真撮りまくる気持ちがよーくわかった。だってまさに異国を訪問しての一番の醍醐味は自国では見れないような外国の風景を見ることによる非日常感を体感することなんだから。これが日本の光景だったらよほど素晴らしい風景でもないとわざわざ写真撮ろうとは思わないもん。私なんかもバスの窓ガラスに密着させて色々撮りまくってしまいました。

 

①第1チェックポイント・ヴィースの巡礼教会「奇蹟の教会」

そんなドイツの素朴な農村風景の中に溶け込んでいるようにあるのが世界遺産となっているヴィース教会です。ぱっと見はどこにでもあるようなありふれた教会にしか見えません。しかも周囲は観光地というよりは農村風景で、放牧されている牛たちが鳴らす鈴の音だけであとは殆ど静寂に満ち溢れたような空間。

まだ9時前ということで店なども開店準備の最中、おかげで我々のグループだけがここにいることができました。

この教会は元々ある18世紀にある奇跡の出現から始まりました。1738年、ある農家の婦人が近くの修道院の修道士から貰ったキリストの木像。6月14日に「涙を流した」のを目撃したという「奇跡」。その奇跡が人々に膾炙し、いつしかその農家に巡礼の人々が来訪するようになり、1740年には専用の小さな礼拝堂が牧草地に建てられ、遂には1745年から浄財から賄う形で遂にこの教会が完成した次第です。

それでは入っていきましょう…

 

月並みな表現ですが、我々一同全員言葉を失って眼前の光景の荘厳さに圧倒されてしまった。

素朴な教会の外観からは想像もつかない。私も数多くの教会を巡ってきたが、これほど荘厳な内装の教会は初めてでした。

まるで今できたばかりのようなキラキラした内装、全てが綺麗に保存された像

画像の下の方にあるキリスト像、これこそが全ての始まり。この像の「奇跡」がこれほどの荘厳な教会をも生み出したのですから。

もちろんこの教会もまた紆余曲折あり、様々な危機を残り越えての歴史でした。1803年~04年、折しもナポレオン戦争とその余波でドイツでも休息に革命が進行し、ヴィース教会もまた教会財産没収と取り壊しが命じられます。しかし、周辺地域の農民たちが嘆願と献金によって救われ、、やがて第2次世界大戦後には再び巡礼熱の高まりで多くの人々が集まり、1985年~91年には大規模な改装工事で当時の姿を再現されたのでした。

この外観は如何にも農村に如何にもあるありふれた素朴な教会、でも内部はロココ式様式の装飾で荘厳さに満ち溢れていてそのギャップが凄まじい。そして先の経緯、わざわざ「奇跡」の詳細な日にちまでがキチンと伝わっている点がどれだけ大事に扱われていたか、西洋のキリスト教信仰の一端を味わった思いです。無神論者に近い不信心な私でさえ、思わず心謳われてしまったくらいだから。多分これは実物を見ないと「え~そう!?ww」で終わってしまいそう。思わず、私も入口にある日本語のヴィース教会ガイドを購入してしまったww

 

②第2チェックポイント・ノイシュバンシュタイン城「王の芸術的未完の名城」

さてそれではそのまま出発し、いよいよ本日のメインスポットへ。Mさんのガイドにも自然と熱が籠りだします。

遠く新緑のアルプスの山々の壮観を見ていると

いよいよノイシュバンシュタイン城が見えてきました。

 

10時定刻通り、ホーエンシュヴァンガウの町に到着。この町はまさに観光の町。ノイシュバンシュタイン城という一大観光メッカを訪れる観光客を滞在するために人口3400人ほどの町。そこにあるのはホテルやペンション、観光土産物店などまさに城を訪れる観光客向けの産業で成り立っている町。そのために建物などもそれに相応しい外観となっています。

更には城までの上り下りを現役の馬車送迎まであるというのだから驚き。

しかし、照り付ける太陽は非常に暑い…5月しかもアルプスの山々に近い高原地帯なんでここくらいは涼しくなる…という私の儚い望みは脆くも打ち砕かれてしまいました。マジでこの暑さは異常だよ。さて、ここでMさんから簡単なmapでここでの予定が決められています。我々のグループは12時入城で時間が決まっているのでそれ以外には自由散策形式。行きたい場所に行けるよう当事者の自由裁量方式となっていました。

それではバスで上部まで移動します。ここも凄い満員バス…幸い我々は1台待ちだったので全員座席に座れましたが…

まずはノイシュヴァンシュタイン城の全景を写真で撮れる人気のフォトスポットである「マリエン橋」から。19世紀に渓谷に架けられた木橋が当時の建材のまま使用されています。そして凄い人数だけど、本当に大丈夫か?とりあえず手前で止まっては駄目。奥まで行ったら絶好のスポットが確保できるそうです。

渓谷の高さは91m!高所恐怖症の人は絶対下を覗いてはいけない高さです。私自身もスマホを首に決着させているからこうして覗き込んで撮りましたが、ガチで怖い。

そして確かにこれは非常に何度でもSNSにUPしたい見事なフォトスポットだと実感。折角なので同じグループの御婦人に記念写真を撮ってもらいました。また誰かと一緒に行ってみたい城。
それにしてもこんな急峻な岩場の上によくあんな城を建てたものです。しかも土台はコンクリート製という。

ちなみになんでこんな所に橋を?と思ったのですが、実はあの山へは「グラールヴェーク」(聖杯の道)という登り道で、2時間半かけて歩くとその山頂にある「王の山小屋」へと続いており、そこからはまた一段と絶景が楽しめるそうです。

まあそんな本格的な山登り目的でないと行く気も起きないけど。

もちろん多くの観光客はここマリエン橋で城を撮影するのに夢中。

橋の反対側にはホーエンシュヴァンガウ城とアルプ湖。こちらも結構なコントラストの風景を撮影することができました。

ホーエンシュヴァンガウ城は実はこの中では最古の城。ルードヴィッヒ2世の父であるマクシミリアン2世が築かせた城で、ルードヴィッヒも子供の頃はここで過ごし、そこで自らの心の理想世界を実現する使命感に目覚めたと伝わっています。

さてそれではマリエン橋からノイシュバンシュタイン城までは徒歩で約20分くらい。

ちゃんと登り道には石垣が敷かれていて何だかホッコリするなぁ(笑)

城の側面部

一部修復工事中で足場が組まれていたのはちょっと悲しい…まあ大事な建物ですからね…

さて11時の入城までは時間があるのでとりあえず少し降りた場所に軽食の店とかお土産店があるので自由行動で降りていきます。

ここで私は2人ほど同じ店を利用した日本人観光客と相互に今回の欧州旅行について歓談。1人は60代の男性でこちらは海外旅行の大ベテラン。既に東欧のバルカン半島を先日行ってきたそうで、流石にセルビアとかでは英語が通じなくて悪戦苦闘したそう。確かに英語で話せば大体通じるなんてドイツとかフランスとかならともかくあの辺だと厳しいよね…更に海外での運転免許証保有でドイツとポーランドをレンタカーで廻って来たそうで時速160キロを疾走してきたそうな…時速160キロ!?日本では高速道路でさえ120キロくらいが限界ですよ!?私なんか160キロも出したらそれだけでメンタルやられてしまいそう。

もう一人は50代くらいの女性で、こちらは美術館などを回っている模様。鉄道パスの使い方などが分からないそうなので、私がアプリでの使用方法などをアドバイスしておきました。いやぁいいものですね~こうして互いに同胞の人々と海外旅行で盛り上がって、色々な情報交換できるって。一期一会旅とはすなわちこういう楽しみが無ければね

山上に聳えたノイシュヴァンシュタイン城をようやく間近で見ると達成感もひとしお。そして城の「正門」から見ると先ほどのマリエン橋とは全く異なった様相の城の姿を見せてくれるのだから不思議なもの。その複雑怪奇さはやはり築城者の精神を形となったかのようです。

それでは入城開始です。

Mさん曰く「時々入城時に手荷物検査があるかもしれません」…本当に検査されちゃった。なかなか厳重だな…

城内の広場で待ち。ここでは厳密に時間が決まっているので当該時間帯になるまでは入城できないシステム。

うーむ時間が待ち遠しい…12時ジャストというのもなかなか運命を感じてしまう。

さてそれではいよいよ城内へ…

 

ごめんなさい、内部は写真撮影禁止なのです。

もうこればっかりはシステム上仕方ない。もちろん今回は日本語のオーディオガイドがついています。そしてこの城にも縁が深き、ワーグナーの作曲が流れてくるので、石黒版銀河英雄伝説ファンは歓喜すること間違いなし!そして城内の内装は城主であるルードヴィッヒ2世の中世騎士世界への憧れの思いを具現したかのようにどこか厭世的で自分だけの世界に籠りたかった彼の願望が伝わってくるようなそんな世界…と言っておきましょう。宮殿というには余りにも狭く、そこは城主と彼に従う従者や使用人など少数の人間が生活するだけの場しかない。そんな不均衡さ、更には驚くべきことに洞窟まで設けてそこで一人っきりになることを好んだというのだからまさに引き籠りの国王とでもいうべきもの。現実世界にどこか絶望し、憧れた中世の世界へと入る事を夢見た一人の王族の悲哀を感じてしまいました。

区画ごとの解説を聞きながら、食い入るように城内の光景を肉眼に焼き付けようと凝視する様は傍目から見ると滑稽に見えるでしょう。しかし、ここまで来るのに多大なる労苦を強いられた人間とすれば、こうでもしなければ絶対に行けなかったのである。そんじょそこらに観光するのではないのだから。

さてそれでは撮影禁止エリアを抜けて、やってきたのは恒例のグッズショップ。私はせめてフォトカードとそして発見!日本語でのノイシュヴァンシュタイン城に関するガイドブック!もちろん即買いです!

続いてはカフェ店で軽食でも頼むことにします。

注文したのは銀英伝ファンならお馴染みのケルシーのケーキ。うん、やはりドイツ趣味者としてはこれが一番なのよね!

展望台から見ると改めて先ほどのマリエン橋が如何に凄い所に架橋したかが実感できるというもの。

調理場

ここは撮影可能ということで、折角なので撮っておきました。

 

 

 

 

 

ノイシュヴァンシュタイン城は残念ながら未完成のままでした。ルードヴィッヒ2世は更に色々な自分なりの構想をもって増築を予定していたのですが、彼の非業の死と共に建設計画は全て打ち切りに。完成予想図は城内の映写室での映像で放映されています。

かくして城内散策を終えて無事見学ツアーは終了。ここから先は次の出発時間まで自由行動ということでそれぞれが行きたい所へ向かいます。私自身はとりあえず下山して、どこかで折角なので

ドイツと言えばビールを愛飲したい思い

普段は酒を全く飲まない私ですが、ドイツのビールだけは例外。これはドイツ愛好者としては外せない関門です(笑)

さて城から麓のホーエンシュヴァンガウまでは意外とそんなに距離はなく歩いても25分くらいで降りられます。もちろん登りだとかなりキツイですが、下りなら別に何ということは無い。それでは山道を下りていこう…とすると実は意外なモノに悩まされる羽目になります。

麓と城を登り下りする馬車の馬の〇ン街道

うーん、これは情緒をぶっ壊されること間違いなし。うっかり間違えて踏んづけたりしたら最悪です。しかも道の至るところに落ちているし、ある意味行きでなくてよかった。

ところどころにある石の遺構はかつてのノイシュヴァンシュタイン城の遺構のそれではないかと想像してしまいます。

それでは麓の軽食店でドイツビールとサンドイッチを食して、ああやっぱりドイツはビール最高よね。

かくして本日最大の山場を攻略。そしてツアー旅は後半戦へと入っていきます。

 

〇ルードヴィッヒ2世「夢の城」が完成するまで
『ナポレオン』でのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の台詞にあるが、19世紀は欧州諸国の国王にとっても「不本意の時代」であった。フランス革命の余波で国民意識が芽生え、国民国家への過渡期にあたる時代。君主にとっては思うようにすることもできず、国民の慰撫に努めなければならない。

王侯貴族というと農民から税金を搾り取り、贅沢をほしいままにするというイメージがあるかもしれないが、彼らにはそれと引き換えに様々な意味で「檻の囚人」であった。ノイシュヴァンシュタイン城を築城したルードヴィッヒ2世もまた本来は入りたくもなかった王族に生まれたが故の不幸を味わった人間である。1845年バイエルン国王マクシミリアン2世の長男として生まれた。父は皇子のルードヴィッヒに厳格な教育を施したが、それは非常に歪んでおり、本来の王家として収めるべき帝王学については何ら教育がなされないままであった。ルードヴィッヒは青年時代に過ごした父の城であるホーエンシュヴァンガウ城で長く過ごした。そこには中世の伝説の世界やドイツの歴史を描いた壁画が至る所にあり、それに対する憧憬が彼の精神に強い影響を及ぼした。ロマンチックなものを好み、また素朴なこの地域の自然や民衆を好む一方、宮廷での伏魔殿のような権謀術数や阿諛追従を嫌悪感を抱いていたのである。更に彼は文芸の方面においては多才に勉強を重ね、1861年運命的な出会いをする。ミュンヘンの劇場で

リヒャルト・ワーグナーのオペラ「ローエングリン」

それは彼の中世世界への憧憬に欠くべからざる出会いであった。彼は終生この芸術家に対する敬慕の念を抱き続けた。

1863年、ルードヴィッヒはバイエルン王国皇太子として時のドイツ一の大国へと成長しつつあったプロイセンの鉄血宰相ビスマルクと会見する。意外なことにビスマルクはこの若き皇太子にどこか惹かれるものがあったのか、その後しばしば文通し、彼の肖像画を自室に飾る程であった。1864年父王の死によってルードヴィッヒは何ら帝王学を学ぶ機会の無いままバイエルン国王に即位する。それは彼にとっては苦痛の始まりであった。彼は良き国王たらんと奮闘するがそれは最早時代には合わないものであった。既に当時のバイエルン王国では議会と閣僚が実質的な政治を行い、彼の存在は単なる神輿以外の何物でもなかったのだ。淡々と王としての仕事を果たす傍ら、当時借金に苦しんでいたワーグナーを庇護していたのであるが、これが逆にバイエルン中の反感を買ってしまう。一時は政府と民衆の圧力でワーグナーを遠ざけさせられたルードヴィッヒは更に世の中に絶望し、更には望まぬ戦争への参加を強いられ、遂にドイツ統一…すなわちプロイセン王のドイツ皇帝即位を認める時代の流れを認めさせられるなど不本意の連続であった。

ノイシュヴァンシュタイン城の前身はかつて中世時代にシュヴァンシュタイン城という古城があった。ルードヴィッヒ2世の時代までそこには廃墟の古城が残っていたのであるが、ルードヴィッヒ2世は当時の最先端科学の結晶であるダイナマイトで古城と岩山を爆破してここに夢の城を建設しようと計画した。基礎をセメントで固め、更に領内から石灰や大理石が集められ、彼の夢を実現するための一大プロジェクトが開始されたのである。なお、彼の弁護のために述べておくと、よくある書物などで「ルードヴィッヒ2世はこれらの城を建設するために王国の国庫を蕩尽した」と言われるがそれは誤解である。実際には、これらの築城の費用は王家の私財や王室費(国家君主としての給料)、ビスマルクから贈られる年金、そしてあとは王家の名義での借金で賄われており、少なくともこの辺の公私の区別はキチンと付けていた。また工事の際にも既に当時登場していた最新の科学技術がふんだんに使われ、労働者への福祉にも気を遣うなど当時においては極めて「ホワイト」な事業であった。中心部は1883年に完成し、翌年遂にルードヴィッヒ2世はこの「夢の城」での生活を開始する。それは約2年間、滞在期間だけなら140日ほどでやがて彼は最期の時を迎える。

 

ノイシュヴァンシュタイン城にリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城と様々な自分の理想の城建設に走る彼であったが、その負債は増大しておき、遂に閣僚たちは彼を見限り、精神異常者という医師の診断(実際には診察などしていない)を基に彼を幽閉する。江戸時代の日本風に言えば、「主君押し込め」であろうか。1886年6月10日、ノイシュヴァンシュタイン城に滞在していたルードヴィッヒ2世を移送しようとしたが、シュヴァンガウの住民と王に忠実な護衛に阻まれてしまう。それでも6月12日には強制的に城から連れ出し、ベルク宮殿に幽閉。そしてその僅か1日後、ルードヴィッヒ2世は主治医と共にシュタインベルク湖で水死体となって発見された。

彼の死と共にノイシュヴァンシュタイン城の工事はすべて中止し、未完の城としてその役割を終えた。ルードヴィッヒは遺言で自身の死後には城を爆破するように言い残していたが、城は間もなく一般開放され、その後観光資源として多くの人を集める多大なる経済効果をもたらすという皮肉な結果となった。

時代に合わない王のイメージに憧れた一人の国王の理想と悲劇が凝縮された城、それがノイシュヴァンシュタイン城なのである。

 

 

 

 

「ノイシュヴァンシュタイン城に狼煙が一本…

Ein Feuerzeichen auf Schloss Neuschwanstein…」