カーディアス・バウンテンウッデン「1日の楽しさの為に365日の我慢がある」
『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』で一番共感してしまった台詞であり、今の私もまさにこの心境でした。この日が1年で最良の日とするために、構想1年、下準備に半年をかけて練ってきたプランがこちら。今回は東日本在住者の方の移動の軽減負担を兼ねて、関東を候補に…そして2026年ということで実はある記念の年でもありました。
2016年丸会開催10周年記念
思えば現在のかけがえのない友人達との交流はまさに10年前に開催された大河ドラマ『真田丸』での与力さん主催の丸会から始まったと言っても過言ではない。今回はそこでテーマを「真田」にしようと思っていました。そしてこれは全くの奇遇なんですが、
ツアー開催の翌日から『真田丸』がアマプラで配信開始
去年の京都ツアーでの足利家菩提寺を訪問した翌日にBSで『八重の桜』で「足利三代将軍梟首事件」放送されるのと同じ奇縁にどうも運命のいたずらを感じずにはいられないものがありました。。11月に一度沼田を訪問して、移動時間・解説を踏まえた散策時間を計算してのetc…と多事多難な日々でしたが、無事催行することができました。当日、用意したレジュメをここでも公開するなどして、各地での模様をお届けします。
第1幕 ドタバタの上野駅集合
さてここであれほど準備に専念していた…と言っていた傍からお詫びです。実はツアーのレジュメですが、現住所では印刷できる手段が無かったため、事前に上野宿近くのネットカフェで印刷して宿で用意していたファイルに綴じる作業をする予定が、まさかのネットカフェ満席で使えなかった(汗)というオチ。仕方なく一度秋葉原まで移動して、必要枚数を印刷してのとしていたら、集合時間が差し迫っている!もはや時間的余裕が無く、仕方なく全て揃っているかを確認しての移動で、何とか集合時間数分前に到着。既に明石のタコさん、軒さん、つらまえさんが上野駅公園改札で待っている状態でした。公園改札は待ち合わせ場所としては他の改札口に比べて狭く、人間を視認しやすいので最適だったのが幸いしました。ただ、地下鉄での移動されていたスナコさんには遠かったようで申し訳なかったです。信越方面からの参加者である与力さんとKAKさんは途中の高崎駅で合流するので、我々は
在来線の高崎線ではなく、上越新幹線に乗車(笑)
車内で久闊を叙しながら、本日のツアーの説明とそして皆さまにレジュメ用紙のファイル綴じ込みをお願いしたのは本当に申し訳なかったです…出発ギリギリになってしまったのがまずかった。次回からは事前に印刷までしておきます。与力さんとは事前にlineでやり取りしながら高崎駅到着前にスタンバイ。何しろ合流に失敗してしまったら旅のプランが全て崩壊してしまうのだから責任重大である。事前に乗車する列車・高崎駅ホーム・乗車車両位置まで念入りに確認し合っていたので、その心配は杞憂に終わり、無事これにて当日の参加者は全員集まり、いよいよ今回の目的地である群馬県北部上毛高原駅まで向かう車中は盛り上がったのでした。
第2幕 越後からの玄関口・猿ヶ京の自然
事前に「晴乞い」したおかげもあってか、この日は雲一つない快晴。天気だけはどうなるか分からないのでやきもきしていましたが、また一つ京都の借りを返すことが出来ました。
上毛高原駅は新幹線での沼田の「玄関口」ここからレンタカーで出発。事前に座る席などを打ち合わせして出発。道中では明石のタコさんがご用意していただいた真田丸ミュージックで色々と盛り上がりながらの楽しい歓談タイム…もっとも私の方は実は運転の方に集中して、なかなか話できなかったのが残念ではありました。緊張感があると途端に色々と視野が狭くなるのは何とかせいよ、私。
まずはご案内したのが上毛高原から更に北西にある猿ヶ京地区にある
謙信のさかさ桜
天文12年(1552年)上杉謙信が初めての関東出兵の折に吉凶を占うために、初の関東への足を踏み入れたこの地で春日山(上越市)から持参してきた桜の鞭を逆さに埋めたという故事が残る老桜。その後はこの桜は地元住民からその年の作物の豊凶を問う豊年桜として大切にされてきました。事前情報では4月下旬~5月初頭に満開になるということだったのですが、残念ながら今年は既に桜が散った後。それでも割れた主幹とそれでも枝が力強く伸びている姿はまさに老木の風格。他の桜はまだ花びらが残っていたので、今年は少し桜の時期が早かったようです。
それにしても長野には剣で泉の湧き出る地を起こしたり、群馬では桜を植え付ける逸話が残るなど上杉謙信はどこか戦国武将というより宗教団体の教祖ぽい(爆)
与力さん曰く「絶妙な胡散臭さが上杉謙信らしい」ので地元からでもこんな辛辣な評価出されるところがやはり異質だよね。
桜があるのは赤谷湖というダム湖公園の近く。あの対岸にあるのが猿ヶ京温泉であり、かつてはこのダム湖の辺りが三国街道となっていました。(一部は国道17号線として現役道路)上杉軍はあの先の三国峠を越えて、越後からここ関東の地を足を踏み入れてきた地。寒く豪雪地帯から「越山」してきた彼らが最初に逗留したのがここ猿ヶ京であります。そこは単なる国境にはとどまらない気候も風土もまったく異なる世界の境界線です。
ダム湖傍にはほぼ直角に聳え立つ岩山があり、しかも明らかに途中で崩落した生々しい傷跡もありました。
ここから少し解説に入ります。
今でこそ群馬県は「グンマー王国」だの「日本一地味」だのというまったくもって失礼な扱いをされているが、戦国時代、上野国はまさに戦国版:関東三国志の「荊州」にあたる重要な地であった。
甲斐の武田・相模の北条…そして越後の上杉。彼らの攻防の歴史はまさに本家・三国志にも匹敵する面白いものがある。戦国時代というと信長・秀吉・家康による天下統一戦ばかりが注目されるが、東日本では武田・北条・上杉の三大名の治乱興亡の歴史もまた面白いものである。残念ながら大河でこの関東三国志と抹消面から描いた大河は『風林火山』が最後となっているが、やはりこちらを題材にた作品という意味で小田原北条氏大河が待ち望まれる。そしてこの三大名家、実は本家三国志の国とどこか共通点も多い。
武田=蜀漢
超有名な軍記もの(「三国志演義&甲陽軍鑑)による知名度の高さ、天下取りを夢見ながら挫折した(諸葛亮&信玄)悲劇性(なお、史実では実際には詰みの状況であった)、そして奮闘しながらも最後は時代の流れで静かに滅びた無常観…そう考えると姜維=勝頼のイメージと合致する。2人とも他国出身というどこか微妙な立ち位置だったのもそっくり
北条=孫呉
自らの地盤とした地域の開発(江南&関東)に専念したのちの時代を見据えた領国経営、自分の領域を守る防御力はめっぽう強いのに一方で攻勢が下手さ
上杉=曹魏
疾風怒濤で押し寄せる北からの来襲者、実はもう一つ共通点がある。
戦国のライヘンバッハ・プラン「謙信のいる戦場では戦うな」
ナポレオン・ボナパルトというチートな天才に対抗するために欧州諸国が編み出したライヘンバッハ・プラン。発案者はスウェーデン王太子カール・ヨハン(元フランス元帥ベルナドットと言われ(※諸説あり)、ボナパルトとは戦を避け、他で勝ち星を拾うというものでこれが最終的にライプツィヒの戦勝につながる。実は謙信と曹操も似たようなものがあり、共に戦ではめっぽう強いため、敵対者からは「あいつとは直接戦うな」というまさにライヘンバッハ・プランに似た戦略をもって対抗されたという点である。信玄も氏康も明らかにこれを意識した行動を取っている(第4次川中島合戦以降は特に)
第3幕 群馬県にある本物の西洋城館ロックハート城
実は密かに今回「穴場」的スポットとして是非ともご紹介したかったのが高山村にある「ロックハート城」日本全国にはヨーロッパを模したテーマパークがあるが、ここはそこにはない本物のクオリティが醸し出す他にない圧倒的なヨーロッパへ移転したかのような魅力があります。かつて14世紀から続くスコットランドの貴族ロックハート家が1829年に築いた
ザ・西洋城館
この城が群馬の山奥深くにあるのは実は亡き名優・津川雅彦氏の御尽力の賜物です。津川氏が「英国の本物の城館を日本へ移築・復元する」構想を練り、私費と投じてこのロックハート城を解体、その石材などを遠くイギリスからここ日本まで移送するという今から考えると「贅沢ってレベルじゃねーぞ!」という壮大なプロジェクト。当時はソ連のゴルバチョフ書記長からの厚意もあり、シベリア鉄道での移送を許可されたという現代から考えると隔世の感があります。紆余曲折があったのはむしろ日本到着後。様々なトラブルに見舞われ、なかなか実現までのハードルが高かったのですが、それでも困難を乗り越え、無事ロックハート城は群馬県に再びその姿を蘇らせました。更には中世ヨーロッパを模した街並みを復元したテーマパークとして開園。更に西洋のお城を日本で撮れるということもあって、以降数多くの映画・ドラマでこのロックハート城は登場してきました。中でもドラマ『相棒』シーズン4の第1話で
リアルでの名誉城主津川雅彦氏とドラマ内では城主役の『閣下』を演じられた実兄の長門裕之氏の共演は美味しすぎて非常に印象に残っています。
さてこのロックハート城ですが、そのネックは公共交通機関でのアクセスの貧弱さ。何しろ沼田駅からバスが1日4~5本というもので、そのために損している部分はあります。でも実際に訪問してみると私を含めた全員
「これは凄い…」
と思わず夢中になるほど素晴らしいテーマパークでした。もしこの記事を読まれた方は是非ともロックハート城をご訪問してみてください。
到着してまずは出迎えてくれる城館入口。既にここからが「只者ではない」雰囲気を漂わせてくれます。更にテーマパークのガイドキャストも英国執事の服装を着こなしているなどまさに「本物」
そしてまさにうたい文句通りに中世ヨーロッパ風のテーマパークの光景が広がります。
『翔んで埼玉』でもロケ地として使用され記念としてGACKTを覗いた俳優・スタッフ全員が食したカレー
群馬県民、何気に埼玉県民より扱いが良いのに最高に草
当該レストラン
こちらは中世ヨーロッパの町にはよくあった「みせしめの台」
町内で軽度のおきて破りをした者(浮気、安息日のおきてを破った、軽犯罪etc)をみせしめのために広場で頭と両手を挟まれて、晒し者にしていたという器具。うーん、なかなかシビアな世界ではあるな…ただ長くても数日それを済ますと無罪放免になるそうなので、その意味では陰湿なバッシングが続く現代よりはマシか…?
そしてヨーロッパの城らしい塔と門が出迎えてくれます。
遂にロックハート城正面に到達!ちょうどこの日はまさに結婚式が開催される日とあってか、特別な雰囲気。幸い、式の開催時間と被らなくて良かった
ロックハート家の紋章
この紋章はもとはロックハート城に積まれていたのですが、移転復元時には損傷が激しく、使用することが困難なために修復してこの階段部に展示した次第です。
英国旗のユニオンジャックとロックハート家の紋章旗が掲げられた城の正面、それではいよいよ城内部に入ります。この内部は様々な展示があり、参加者の自由行動という形にしました。だって、皆さん色々な箇所に興味津々でしたし、ここはむしろ自由にさせた方が良かった。
グッズショップ
あ、これは「修学旅行の木刀」枠だ!(笑)
シャーロック・ホームズギャラリー
英国最大の名探偵キャラであるシャーロック・ホームズの世界観を模した部屋は19世紀のビクトリア朝時代の英国書斎彷彿させる図書館。残念ながら内部は立ち入れなかったですが、与力さんと明石のタコさんが歴代ホームズで至高のは?で盛り上がっていて何よりでした。
ロックハート城の歴史を解説する展示ルーム
ロックハート家は欧州との関係も深く、様々な展示が成されてありました。その中でも軒さんが発見されたのがオーストリア女帝マリア・テレジアの勅許状。その序文に
マリア・テレジアの肩書が全部載せてあるのには笑うと共に圧倒された
いや本当に銀英伝の銀河帝国ゴールデンバウム王朝皇帝の肩書を全部読むより長すぎて凄まじい。これは読み上げる時に一つでも読み飛ばしてしまったら馘首されかねない(七都市物語感)
当時の当主ジェームズ・ヴォン・ロックハートはオーストリアと英国が同盟した時(時期的にオーストリア継承戦争時か)にオーストリアで活躍し、その感謝として贈られたものです。
サンタミュージアム
津川雅彦氏が生前コレクションしていた世界のサンタクロースにまつわる物品の展示ルーム
こういう解説を見るたびに津川さんがいかにこの城にかける情熱がひしひしと伝わってきました。いや本当に素晴らしい遺産を残していただけたと思います。大河における名優でもあり、我々にとっても津川さんは感謝してもしきれません。
与力さんが見つけていただけたナポレオン関係の展示品
ウォォォ!!!!ボナパルト派としてはテンションMAX になってしまった!
ロックハート城の脇には他に凄い展示品があります。故ダイアナ王妃が乗っていたと言われるロールスロイス車と日本でここだけしかないプジョー車。ロールスロイス車の方は今も結婚式でウェディングカーで使われるので「群馬ナンバープレート」付き。一応プジョー車の方も動態保存されているそうです。
一度登ってみたいと思い、全員で塔の上のスプリングベルまで登っていきます。ここはちょっと高所恐怖症の人にはかなり危ない高さ。何とか全員で登っていくと上の方には恋の落書きが…あれ?でもあのあたりどうやって書いたんだ。足場がないんですが?この鐘も結婚式で実際に使用されるそうです。
最後にウィリアムズガーデンを全員で散策。ヨーロッパの迷宮庭園の歴史と花木の美しさを再現させた庭園で、こういう時は周囲を豊かな自然で囲まれたこのロックハート城の立地は非常に納得です。あの見上げるとロックハート城の城壁が聳える光景もあり、更に池にはアヒルのつがいが2組飼われていて、色々な意味で写真にとっておきたい場所でした。
全体としては「1時間ちょっとでは勿体ない!あと2~3時間は滞在しておきたい」
と思えるクオリティでした。絶対訪問してみて損はない。
第4幕:沼田料理店の交流と小松殿墓参
さてここまでの午前中のツアーで実は「真田と関係ないじゃん!」となってしまいましたが、午後からはいよいよ本題です。その前に沼田で郷土料理を食します。
沼田市内にある明治時代創業の老舗料理店「姫本」で食事。ここで真田御膳を選択。沼田名物の団子汁に刺身こんにゃく、焼き天ぷら、六文銭を模した芋など様々な意味で今回のツアー旅行に打ってつけでした。一品ずつ女将の方が配膳され、その味もなかなかのもの。おかげで美味しく食事をすることができました。さて食後に明石のタコさんが設定されていたお題の発表会
伊勢新九郎盛時(俗に北条早雲)を主人公とした『新九郎奔る』を題材にした大河ドラマの配役予想
というなかなか考えてみると色々と楽しいお題。ただ如何せん私は車の運転とツアーの動向で頭を巡らせてしまっており、道中考える時間的余裕が全く無かったこともあり、今回明石のタコさんの配役予想クイズはリタイア。本当に色々ドンくさくて申し訳ないです。ただ、予想クイズでは与力さんがなかなかあと一歩!というくらいに近い配役をされていたのは内心驚嘆の念を禁じ得なかったのは内緒。絶対無理だよ。明石のタコさんは50人レベルの登場人物の配役をしかも顔写真付きで作成されており、これがなかなか素晴らしい出来(公開できないのが残念なくらい)足利将軍家などは『花の乱』をモチーフにしたキャスティングまで用意されているあたりが感銘を受けたものでした。この場では私の5月に予定している重大発表を行い、いよいよ旅は真田ツアーの本丸へ。
次は『真田のお兄ちゃん』こと真田信之の最愛の女性、小松殿こと法名大連院殿の墓がある正覚寺へ。ここは沼田市街地にあり、更には喧騒は無縁の静かな場所。ここで静かに墓参りを行い、手を合わせてきました。
正覚寺は真田関係者にとってのまさに「墓所」である。その歴史は慶長17年(1612)に初代沼田藩主真田信之から現在の沼田城傍の地を賜り、移転したのが始まり。沼田城のエピソードで有名な「稲姫」こと小松殿が眠る墓所と霊屋がある。また真田家重臣で名胡桃城主となった鈴木主水が城を奪われた責任を取って切腹した寺としても伝わる。小松殿は元和6年(1620)に病で江戸から草津へ療養に来る途中の2月24日に武蔵国鴻巣(埼玉県鴻巣市)にて没し、分骨され鴻巣の勝願寺・沼田のここ正覚寺・上田の芳泉寺にそれぞれ葬られた。
ちなみに私にとっての小松殿のイメージは実は『戦国無双』の稲姫がデフォ。CVがカービー役の大本眞基子という可憐少女声とその勇壮な台詞にギャップ萌え。なお、父親の本多忠勝は大塚明夫である。これは最強。明夫なら実写でも演じられるんじゃないかと思う次第。
第5幕 真田が築いた天空城塞:沼田城
沼田城の堅固さを知るには城を訪れる前に地形を知ることが大事。そのため、沼田城訪問前に一度JR沼田駅前に立ち寄ります。沼田は河岸段丘の地形で高低差が非常に大きい町。駅前の町は一番の低地となり、そこから見ると高台にある沼田城の堅固さが実感できるからです。ただ、訪問時駅前駐車場は満車のため、仕方なく道路に支障にならない範囲で路駐。それにしても沼田市民はこの高台と低地を行ったり来たりしているのだから大変である。歩きや自転車だとあの上り坂がキツイ。車でもこの上り坂を行き来するのは非常に車にも負担がかかりそう。本当に良く通ってい入るものです。
沼田城は現在では城跡公園として綺麗に整備されており、なおかつ随所では信之&小松殿の夫婦のリア充カップルぶりを見せつけられる仕様。信之は元はモブキャラだったのですが、真田丸放送後に見事プレイキャラとして登場。戦国無双&三国無双で家族全員が登場しているのは孫家・司馬家・真田家だけ。CVは小野Dであり、これはオラオララッシュで敵をぶちのめしそう(ジョジョラー感)庭園のように咲く花で彩られた公園はそれだけで癒しの場所となり、観光客や地元住民で結構賑わっていました。
沼田城を紹介する写真では必ず紹介されるのがこの鐘楼。鐘楼自体は明治期に建てられたものですが、今では沼田公園の大事な存在となっています。
沼田城の絵図
沼田城はまさに天空の城下町
高低差を利用した幾段もの曲輪が敵を迎撃していく。一番高台にある天守と谷川岳のコントラストはなかなかの壮観だったでしょう。
天守跡
沼田城は関東では珍しい5層の天守が聳え立っていました。江戸城の天守焼失後には関東唯一の城郭天守であった時期もあったほど…でもこの土台の大きさで果たして5層の天守が建立できたか?は参加者全員疑問。一応、絵図では5層に描かれているのですが…
沼田城は公園化されており、その遺構は断片的になってしまいましたが、その中で一番沼田城の面影が残っているのがここ西櫓台の石垣です。真田家はその後、信之の息子・孫の相続問題のいざこざから松代藩と沼田藩でそれぞれどちらが嫡流かで大きなしこりとなります。このゴタゴタは既に信之生前から表面化しており、沼田藩真田家は松代藩との対抗上から石高を高めに申告(それまで3万石の表高を松代よりも高い14万石に。実質は6万石)。必然的にそれは苛斂誅求となり、最終的にその苛政と普請の不手際を幕府より咎められ、改易の憂き目を見たのでした。折角、真田昌幸苦心の真田安全保障の両翼が後継者争いが遠因となって崩壊してしまうことになったのはお兄ちゃんとしても悔いが残る結果となってしまいました。さて、一度真田が築いた沼田城は破却され、その建物や石垣の多くも破却されたのですが、ここは埋め立てられたことで、数少ない遺構となっています。
ここで再び記念撮影
西櫓台の石垣には御殿桜が植えられており、桜の満開時期には城の色彩を彩る名所となっています。石垣傍にあり、かなりの傾きですが、わざわざ支えの鉄骨を用意している辺りはやはり地元住民に愛されている証拠なのでしょう。通常ならこういう場合は石垣を傷つける可能性があるため、撤去が最善なのですから。さてその奥の捨曲輪で解説タイム
凄い威圧感たっぷりの警告表示
彦根城の「トンビ注意」が可愛く思えるレベルの禍々しさが漂うのは昨今の不穏な状況故か。なお、実際JR沼田駅前で深夜で出没したと聞いた時(昨年秋)は腰を抜かしそうになりました。
この捨曲輪からは河岸段丘の先が非常に良く見渡せます。そして利根川を挟んだ向かいには真田が沼田城攻略の拠点として築いた名胡桃城が見えます。ここからだとお互いが非常に良く見え、沼田城から見たらまさに喉元に突き付けられたナイフに等しい威圧感があります。
この捨曲輪にあるのが平八郎石
元々の城主は土着の国衆である沼田氏であるが、北陸から関東へと至るこの要衝は戦国時代に上杉・北条・武田の手で激しい争奪戦が繰り広げられた。天正8年に武田勝頼の命を受けた真田昌幸はこの城を攻略。更に沼田氏の生き残りである沼田景義が奪回を図ろうとすると親族の内通を餌に場内に誘い出して謀殺。これが「平八郎石」の由来である。
流石は安房守汚い、本当に汚い。
まさに真田丸の源次郎の台詞の通り、真田もまた他者を騙し、奪い、勝ち取ってきたのである。大河では主人公をキレイキレイに描くのがデフォだが、真田丸~鎌倉殿と主人公陣営が一番ドス黒いのは中々ありません。そういえば軒さんが
「この平八郎石と(戦国無双の)真田昌幸のアングル、確信犯ですよね(笑)」
言われてみれば!これなかなか沼田市民の皆さんも辛辣だよね。
「天空の城下町・沼田」
真田が整備したこの城は沼田という地域の特性である河岸段丘を利用した天空の城下町という点である。四方を山に囲まれた沼田盆地、さらに利根川・薄根川・片品川という河川によって形成された河岸段丘がこの城を要衝と変えたである。
真田版『双頭の蛇』による領域の安全保障
真田にとって沼田は単なる「征服地」ではない。それは自らの本領(ホーム)ともいうべき信濃小県郡及び上野我妻郡を守る「双頭の蛇」なのである。一般的に上田城が真田の居城というイメージがあるが実はかなり歪な形をしている。真田の領域全体から見たら上田城は西に偏っており、領国全体の防衛網の「西端」なのである。沼田城及び上田城という堅城を築き(なお、上田城築城の軍資金は徳川から)、その両端の城をもってホームを守る。無論、東西に細長く延びた形状の真田領は中央を分断されやすい。しかし、そのまさに中間には
岩櫃城という上田・沼田の城でさえ可愛く思えるレベルの堅固な山城が待ち構え、更に周囲をこれもまた防御強化した支城網が待ち構える徹底ぶり。岩櫃城が戦場にならずに済んだのは幸運(真田の敵方の兵士にとって)である。上田と沼田という両端に堅城を築き、中央に岩櫃城という超特大天険の山城が待ち構える…
沼田は真田の「安全保障の要」なのである。
構想としては『銀英伝』でラインハルトが計画した新帝都フェザーンの安全を確保するために回廊の両端にシャーテンブルク(同盟側回廊出入口)ドライ・グロスアドミラルスブルク(帝国側回廊出入口) の2つの要塞を建設する構想とヤンが構想したイゼルローンを中心とした回廊を帝国の支配が及ばない「解放回廊」とする構想を合体化させたものと想像してみると分かりやすい?思えない?岩櫃城=イゼルローン要塞、上田城&沼田城=2つの要塞、その間に「真田回廊」として独立国を築くのが真田昌幸の構想ではないかというのが私の持論である。
銀英伝の主人公並みの軍事構想を描くとは安房守…恐ろしい人!
しかし、沼田城は一方の当事者である北条氏にとっても重要な安全保障の要(沼田を確保できれば、対北方からの関東侵攻を阻止できる)ので、この利害の衝突がやがて戦争の火種となるのです…(後述)
第6幕:日本随一の大迫力滝「吹割の滝」
「東洋のナイアガラ」
高さ7メートル、幅30メートルに及ぶこの滝の威容は圧巻である。すぐ傍から臨場感たっぷりに鑑賞できる遊歩道・水飛沫がかかるほどの瀑布、更に岩肌を削ってできた奇岩が、あたかも「巨大な滝が吹き割れた」ように見えることからその名が誕生した。吹割の滝、鱒飛びの滝の壮絶な景観、そして獅子岩と呼ばれる岸壁群の奇景は一度見たら忘れられない光景である。
四季それぞれでこの吹割の滝は色々な感動を与えてくれる沼田の絶景です。
さて、今回ロックハート城と並ぶ「目玉」にしていたのが、この「吹割の滝」。ここは他のスポットに比較するとかなり距離があり、スケジュール進行の上での最大のネックとなっていました。
参加者が移動できる距離を短くできるよう滝からすぐ近くの有料駐車場を選択。幸い、ここでパンフレットを全員に配布してのご案内。ここは私の拙い解説よりももう滝の威容だけで全てを物語れるので、私もあまりしゃべることはありません。
まずは鱒飛の滝
川上りをする鱒でさえ断念するほどの高低差のある滝で、これを近くの岩場から臨場感たっぷりに見れる。何しろ滝から飛散する瀑布の水が自分にかかってくるほど。参加者の皆さまも言葉も少なく、その威容ある光景を見て写真に収めていました。
しかもこの遊歩道、転落防止のための柵とかなく、もしうっかり転落してしまったらこの急流、まず生存の可能性はゼロ。一応、万が一の救命設備は備え付けていましたが、役に立つとはとうてい思えない。
最後の記念写真をここで撮影して、遂にこの威容を紹介することができた!とこの時は思っていたのですが…
「臨場感たっぷりすぎて怖かった…」
実は鈍感な私は純粋にその威容に感動していただけだったのは大いに反省。生命の感覚がずれているって怖いよね(自省)
ここで参加者の方にお土産タイムを設けて、その間に車を近くの土産物店まで移転。さてこの時点で
かなりのスケジュール時間が切羽詰まっている!
ことに焦りを感じ始めていたのでした。やはり軍事作戦と同じで旅行スケジュールも計画通りには進まない。問題は帰りの新幹線の時間は決まっているので、デッドラインは絶対遅れることは許されない。
第7幕:名胡桃城、真田のDNAが残る名城
名胡桃城はかつて天正年間に沼田城攻略のために築いた城であり、同時にその存在そのものが
小さな城が歴史を動かした
本城の存在が天下統一戦の総仕上げとなる小田原征伐を呼び込み、その後の歴史に大きな影響を与えたのである。同時にこの城はまさに真田が独立大名となるキッカケとなった城である。
城の歴史は実は分からないことが多い。古い城だと「いつ築城されたか?」は分からないし、江戸時代まで使われた城だと後世の改修による影響で元の城の姿を描き出すのは至難を極める。しかし名胡桃城は築城の歴史もはっきり分かり、なおかつ10年でその歴史を終えたために真田のDNAを色濃く残った城といえるだろう。
沼田ツアーもいよいよ最終幕。幸い最後の目的地の名胡桃城はゴールの上毛高原駅から車で数分なので、あとはここでの滞在時間さえ確保できれば…
最初に丸馬出という武田の築城技術でグッとくるものがあり、その上で、台地の先端に築いた地形を生かして、マトリョーシカのような幾重にも重ねられた曲輪。一つ曲輪を攻略してもまた次の曲輪が待ち構えている構造。そして周囲には深い空堀が待ち構えている。そしてその構造が現代まで残っているので「真田の城」の堅固さを体感できる名城です。問題は滞在時間が短くなってしまい、解説時間が確保できなかったのが悔いとなってしまいました。最後の解説は載せておきたかったのですが、残念。
最終幕:オフ会での大河歓談の時間
無事上毛高原駅に帰着し、舞台は予約していたオフ会会場へ。ここで明石のタコさんとは別れを告げて、残る6人で大河ドラマに関する話題で2時間盛り上がり。私が事前に題していたお題は
「もしもリメイク真田丸が作られるとしたら予想キャスティング?」
私は大泉洋に徳川家康。鎌倉殿での頼朝好演が印象に残っていた私は今度は大泉に是非ともラスボス家康を時にコミカルに時に非情なラスボスを好演してもらいたいという思いで希望。なお、茶々さんにはガッキー希望。全国の大河視聴者を豊臣贔屓にする魔性ぶりを発揮してもらいたいという思い
つらまえさんは凄い配役一覧まで用意されていて脱帽。真田信繁を福士蒼汰、秀頼を寛一郎、治部を菅田将暉というなかなかに考え抜かれたキャスティングを厳選させていだきました。
軒さんは真田昌幸に役所広司、小芝風花にきりちゃん希望。草刈さんとは異なるベクトルで嘉納治五郎風な昌幸と与力さんも大歓喜な小柴さんヒロイン、なかなか良い。
スナコさんは真田信之に小栗旬。治部に井上祐貴、茶々に二階堂ふみ、秀頼に福士蒼汰、明智光秀に染谷将太
オグリンは今や大河で西田敏行枠なので、これは何故自分でも気づかなかったのかと迂闊さで一杯。治部はこれまた越中守と違うベクトルで仕事では能吏、私生活では趣味人全開でいきそう(べらぼう感)
KAKさんは真田信繁に藤岡真威人、平八郎の息子がこんどは源次郎と演じるのか。しかしアクションなら確かに文句無さそう!
トリの与力さんは昌幸=阿部寛、秀吉=西村まさ彦、茶々=小芝風花 アベちゃんの強さとイケメン度とインチキ臭さの三拍子そろった逸材!と太鼓判に納得。茶々さんでそれぞれの推し女優が衝突する形になってしまったことに複雑な心境
更に欠席だった明石のタコさんからは後日希望を聞いておきました。信之=福士蒼汰、信繁=中川大志、家康=ムロツヨシ
福士蒼汰大人気だな!!
話の内容は現今の大河『豊臣兄弟!』に関する懸念点や昨年放送の大河『べらぼう』の思い出話など大河ドラマに関する様々な話題で大盛り上がり。豊臣兄弟はやはり不自然な構成(主人公周りがありきたりで陳腐でつまらない、一方で他のパートではそれなりに面白いというアンバランスさ)など。更にその一方、我々のような大河ドラマウォッチャーからの評価と世間での大河評との乖離が話題に。うーん、我々の価値観が世間と乖離しているのかな…と色々悩みを吐露する世知辛い話にも及んでしまいました。それこそ2時間では足りないくらいでしたが、最後に私の5月からの「計画」で締めて今回のツアーは終了。全体としての反省点はかなりキツキツのスケジュールになってしまったこと、私が運転とツアー進行でかなり疲労困憊してしまったためになかなか会話の音頭を取れなかったことが反省点となってしまいましたが、2026年最良の一日となることができました。
皆さまからの「楽しかった」という言葉が何よりの自分にとって嬉しい言葉でした。本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。







































































































